kekeと忍野に行った時に撮ったもみじ。
最近しばらく朝や夜に足をつることが無くなったので、何でだろう?ナッツを食べているからかな?!と思ったけれど、今日の朝は久しぶりに足をつる。
ナッツもあまり関係ないのかもしれない。
私は良い出来事につけ、悪い出来事につけ、「〇〇をしたから、こうなった」と言う風に原因を考えるけれど、そうしたら必ずそうなるものではなく、色んな要素が複雑に絡み合った結果、そうなるのだろう。同じように種をまいても、伸びる芽と伸びない芽があるように。何をしたからどうなったという単純なことではないはずだ。
なのに、私はついつい良いことが起きた時は「ナッツを食べたからに違いない」とかエラそうに思ってしまうのだった。
そして、またありきたりな「努力しました結果」として結び付けようとするのだった。
今でもずいぶんフリーダムに生きているだろう私だけど、もっと自由に、誰とも比較せず、優劣とかも考えず、自分のしたいことを伸び伸びとしたいな~。
今日は初めて菊の花に目が留まり、もしも写真にするならこの方向かな、と考えた。
昨日はカモが一匹、川の中でたたずんでいるのを発見した。(この前は彼女と一緒だったのに今日は一人なのかい)と思った。
何の変化もないいつもの散歩道なのに、毎日必ず新しく思うことがあるのだった。
たかが20分程度の散歩道でこうなのだから、1時間も歩いたらもっと何かを発見し、考えるにちがいない。
1日として同じ散歩は無いのだった。
もしかしたら、私はこのような人生散歩をもうかれこれ60年近く繰り返していて、そこで見える景色の全てに、「これは良いこと」「これは悪いこと」と勝手に色をつけてきただけなのかもしれない。
「努力」もいっけん「良い行い」の見本のようだけど、努力して大きな夢を勝ちとった人ほど「良い・悪い」がはっきりしてて、他人を上下で見る人が多いような気がする。そう思うと必ずしも努力家が良い事ばかりとは思えなくなってきた。
(↑例えては申し訳ないけど、ホリエモンさんとか、ヒロユキさんのようなイメージ。)
頑張ってお金を稼いでお金持ちになって偉いのだけど、なんか周りの人をコバカにしているようなイメージもつきまとう。「お金」という尺度で測ればとても立派な方々だけど、キャラクターとしてはどうなのかなぁと思ってしまう。つまりこういう風に見方によって、何が「良い」のか「良くない」のかも変わってくる。
(お金持ちに対するこういう私の見方も、また一つのクセモノである。)
だから、つまり、余計なことは考えずに、もっと自由に、もっと軽やかに今と言う時を味わおう。
明日は本当だったら早くから出かけたかったけれど、飲み会もあるので自然に起きた時間によって、また考えようと思う。天気予報によって日曜の天気は色々なので、今週末は無計画。
そんな、行き当たりばったりもまた楽しいかも。。。
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