きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

~~~したから、こうなる

2023-04-19 | 日記


先日、新宿御苑で撮った新緑の写真です。

最近、昼休みの散歩の陽気が心地よいこと。今日はちょっと汗ばみましたが、風が通る時の気持ちよさ。
暑からず寒からずが今頃だったんですね。4月の半ば。

昨日はまたベニシジミを発見しました。今日はベニシジミには会えなかったけれど、しみじみ(寒くなくて動きやすい時期だな)と感じたのです。

この頃と言えば、新学期も1週間余りが過ぎ、そろそろ新しいクラスに馴染みつつある時期ですよね。この時期がすごく寒かったり、すごく暑かったりしたら、それだけでこの先の1年が長く、重く、果てしなく感じるのではないでしょうか。
もう学校生活から何十年も過ぎてしまった自分も、新学期のあの感覚を思い出すのです。まだ少し肌寒くて、新しいカバンが固くて、不安と緊張だった新年度の始まり・・・・。その後で少し暖かくなって、心も体も軽くなるこの季節だったから学校がウソでも楽しく思えたのでは・・・なんて。

今日はそんなことに気がつきながら散歩をしたのです。(^_^;)
散歩を始めて1年半になりますが、この時期が一番心踊るような気がします。


そして、今日の話題は、またマドモアゼル・愛さんの話ですが、「良いことはたくさんしない方がいい」という話があって、「たしかにそうだよね」と思いながら聴いていました。
その中の例えばの話で、すごく風水や占いにこだわる方がいて、それを徹底的に良い環境にするのだそうです。。。それではその後の運命が完璧になるか・・・と言うと、必ずしもそうならない、やはり「これがいい」と思いことを突き詰めて追い求め過ぎても結果は逆に出ない(そこには数字や理屈で表せない何かがある)という話だったのです。

それを聞いて思い出したのが、前に紹介した「突き抜ける生き方」/(藤原直哉さん、土橋重隆さん著)の本のことです。この本でお医者様の土橋さんが言うには、「食べものにはこだわり過ぎない方が長生き」と書いてありました。実際にどこかの国(日本ではなかった)で研究をした人がいて、すごく食べもの(添加物とか)にこだわっている人のグループと、あまりこだわらない人のグループを追いかけて調べたところ、こだわらなかった人の方が長生きだった、というデータがあるそうです。

そこを読んで「えー!」と思ってしばらく考えてしまいましたが、だんだん「そうかもしれない」と思うようになったのです。食べものにこだわるということは、心にもストレスになるだろうし、そういう心の疲労も重なることもあるかもしれない。そうではなくても、体に良いものを食べる=長生きになるとは限らないだろう。
やっぱりそこは数学の方程式みたいにピタッとはならないのではないか、と思うのです。(その傾向は否定しませんが)

物事みんなそうですよね。
「~~~したから、こうなった」ばかり言う人は、神様をバカにしているように感じてしまうんです。「そんなにお前さん、偉いのかい?」と言いたくなるような傲慢さを感じるんです。裏を返せば「自分はアンタみたいにならないように、こうしよっと」とみたいな・・・何て言うか、やっぱり傲慢さを感じるんですよ。

私も若い頃はそう言う考え方で人様を決め付けたりしてきたので、あまり偉そうなことは言えないのだけど、その後、自分の家庭環境(離婚したこととか)、や子供のこと、「~~~したから、こうなった」と言われて、どれだけ悔しかったか。(お前に私の人生の何が分かるのか?!)と胸倉つかみたかったです。

でもその時そう言っていた人達も、酸いも甘いも体験して、今だったら少しは言葉も控えるかもしれませんね。

そう、「~~~したから、こうなる」とは限らないのです。
そんな単純なことばかりじゃないでしょう。そう言う考えに至ってやっと「食べものと長生きが必ずしもイコールにはならないかもしれない」と思ったわけです。さすがに添加物はこれからも控えようと思いますが、砂糖、乳製品、お酒・・・巷で最近言われているこのようなものも、これからも少しづつ楽しもうと思うのです。小麦もまったく排除はできない。

そして、マダモアゼル・愛さんが「良いことはたくさんしない方がいい」と言うのも、あぁそうかもしれない、と思ったのです。


今日のお弁当。
鶏肉が生煮えみたいだから残してきたと言われてしまった。
やっぱりから揚げサイズで揚げた方が安心かもしれない。

自分のお弁当はおにぎりに混ぜたふりかけ(自家製)もちょっと味が濃い目で、他のものもしっかり味がついていて、全体的に塩分取りすぎなような感じ。