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大国主の誕生473 ―難波と大和と神婚譚②―
夫の正体がわからない、という伝承は『肥前国風土記』の弟日姫子や『古事記』の活玉依毘売
だけではありません。
「山城国風土記逸文」とされる鴨氏(鴨縣主)の始祖伝承である玉依日売(タマヨリヒメ)や『播磨
国風土記』の道主日女命(ミチヌシヒメノミコト)、それに『常陸国風土記』の努賀毗(ヌカビメ)の
伝承も同様です。
鴨縣主の始祖伝承では、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしている時に河上から流れ
てきた丹塗矢を家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊して男の子を生みます。
その男の子が鴨県主の始祖となる賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)で、この子が成長した
時に、玉依日売の父の賀茂建角身命(カモタケツミノミコト)が、神々を集めて七日七晩の宴を催し、
「お前の父と思う者に酒を飲ませよ」
と、賀茂別雷命に告げると、賀茂別雷命は杯をかかげたまま、屋根を突き破って天に昇っていった
ので、玉依日売が拾った丹塗矢は、天つ神の火雷神(ホノイカヅチの神)であることがわかった、と
いうものです。
『播磨国風土記』の道主日女命の伝承もこれと酷似しており、夫なく子を生んだ道主日女命が
盟酒(呪術的なことに用いる酒のこと)を造るための田を作ると七日七夜のうちに成熟し、女神は
それで酒を造ると、諸々の神を集め、わが子に、
「父神にこのお酒を捧げなさい」
と、言うと、その子は天目一命(アメノマヒトツノミコト)に向かって酒を捧げたので、道主日女命は
夫の正体を知ります。
道主日女が盟酒を造った後、この田は荒れてしまったので、この地を荒田と呼ぶようになった、と
『播磨国風土記』は記します。
これが、オオタタネコの住んでいた陶邑に比定されている堺市中区の陶器に鎮座する陶荒田神社
との関係を推測させるものであるのですが、オオタタネコの始祖である大物主神も、三島ミゾクイの
娘セヤタタラヒメのもとに、丹塗矢に姿を変えてたずね、イスケヨリビメ(神武天皇の皇后)を生ませた、
と『古事記』は記しています。
つまり、「山城国風土記逸文」と『播磨国風土記』と『古事記』にある伝承は、大物主・オオタタネコと
関連づいているのです。
それと、「山城国風土記逸文」の玉依日売の夫が雷神であった、という点にも注意を必要とします。
『常陸国風土記』の努賀毗の夫も雷神であると思われるのです。
この伝承では、夜になると、正体を語ることなくヌカビメを訪ねる男がいて、ついには夫婦となりヌカ
ビメは一夜で懐妊した、とあります。
やがて臨月が来てヌカビメが生んだ子は小さな蛇でした。
蛇は次第に大きく成長し、ヌカビメは蛇に、
「あなたはきっと神の子にちがいありません。ですが、わが家の財力ではあなたを養うことができま
せん。あなたは父のもとに行きなさい」
と、言えば、蛇も涙をぬぐって言います。
「母さまがそのようにおっしゃるならば従いましょう。ですが、ひとつお願いがございます。身一人では
心細いのでどうか従者を1名つけていただけませんか?」
これに対してヌカビメは答えます。
「この家にいるのはお前のお婆さまと伯父さま(ヌカビメの兄)だけしかいないことは知っているでしょう?
従者となる者はおりませんよ」
このことを蛇は恨み、いよいよ旅立ちの時になっても怒りがおさまらず、雷で伯父のヌカビコを殺し、
それから天に昇ろうとします。
この行為にはヌカビメも驚き、器をわが子に向けてぶつけると、蛇は天に昇る力を失い、そのまま
晡時臥山(くれふし山)の峯にとどまった、というのがこの伝承の内容です。
ヌカビメの生んだ蛇が雷で伯父を殺したことで、この蛇の父親が雷神だと推測されるわけです。
そして、蛇と雷神が結びつく説話が他にもあります。