小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

474 難波と大和と神婚譚③

2016年01月25日 00時10分54秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生474 ―難波と大和と神婚譚③―
 
 
 そのひとつが、チイサコベノスガルの伝承です。チイサコベノスガルは『日本書紀』では少子部
蜾蠃、『日本霊異記』では小子部栖軽と記されています。なお、チイサコベ氏は『古事記』では
小子辺連と記されています。
 連(むらじ)の姓(かばね)を持つこの氏族も、『日本書紀』や『日本霊異記』では雄略朝で活躍
したことになっていることから、物部連、大伴連、中臣連らとともに允恭系の天皇が続いた時代に
台頭してきたものと思われます。
 
 さて、『日本書紀』の「雄略紀」では、スガルは雄略天皇がから御諸岳の神を捕らえるよう命じ
られます。しかしスガルが捕らえてきた御諸岳の神は大蛇の姿をしていて目は輝き、体から
雷光を放っていたのでした。
 一方の『日本霊異記』では、雄略天皇から、「雷の丘(奈良県高市郡明日香村にある雷岡に比定)の
雷を捕らえろ」と命じられて雷を捕らえるという話になっています。
 
 三輪山の別名が御諸山ということから、また『日本書紀』の「崇神紀」では、大物主が小さな蛇の
姿をモモソヒメに見せていることから、大物主は蛇神であり、スガルの捕らえた御諸岳の大蛇は
大物主であると解釈されることが多々あります。
 ですが、『日本書紀』はスガルの捕らえた大蛇のことを、
 「或はいわく、この山の神を大物主神というと云う」
と記しており、あくまでも大物主とは別の神と考えていたようです。
 それに、モモソヒメの伝承が『古事記』に載せられていないことから、本来は、大物主以前に
三輪山で祭祀されていた神で、大物主とは別神であるともいわれています。
 
 御諸山、三輪山という名称についても、三輪氏がこの山で大物主の祭祀をおこなうようになって
三輪山と呼ばれるようになったもので、それ以前の名称が御諸山であったともいわれています。
 
 さらに言えば、小子部氏は、『古事記』に、
 
神八井耳命(カムヤイミミノミコト)は、意富臣、小子辺連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、
筑紫の三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野国造、道奥の石城国造、
常道の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹羽臣、島田臣等の始祖。
 
と、記されており、この神八井耳命は大物主の孫にあたりますから、つまり小子辺氏は大物主の
子孫であるわけで、スガルが大物主を捕らえるというのは矛盾していることになるのです。
 
 ところで、『新撰姓氏録』には中臣氏の始祖である天児屋命(アメノコヤネノミコト)十一世の孫
として中臣雷大臣(なかとみのいかつおみ)なる名を載せています。河内中臣氏や中臣藍連、
中臣志斐連、中臣栗原連などはこの中臣雷大臣を祖にしているのです。
 中臣雷大臣は中臣烏賊津臣(なかとみのいかつおみ)と同一人物であるともいわれていますが、
ともかく中臣氏に雷の名を持つ人物がいたことになります。
 中臣氏は同時にタケミカヅチを祭祀する氏族でもあります。
 タケミカヅチは『古事記』では建御雷命と記され、やはり雷の名を持つのです。
 
 しかし、雷と蛇が結びつくとしても、中臣氏や小子部氏が雷と結びついているのには何らかの
理由がなくてはなりません。
 ここでもうひとつ関連づけたいのは、『常陸国風土記』の晡時臥山伝承と「山城国風土記逸文」の
鴨県主の始祖伝承です。
 晡時臥山伝承ではヌカビメの生んだ蛇は雷神の子であったわけですが、この伝承は鴨県主の
始祖伝承と大筋で合致します。こちらの方も、玉依日売が生んだ子は蛇ではありませんがやはり
雷神の子でした。
 これらの氏族はどういう理由で雷と結びついたのでしょうか。