小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

471 臣から連への時代⑨中臣氏と海人系神話

2016年01月11日 02時28分59秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生471 ―臣から連への時代⑨中臣氏と海人系神話―
 
 
 記紀神話におけるタケミカヅチと言えば国譲りで事代主からは承諾を得て、建御名方を
屈服させる活躍を見せる神ですが、『琉球神道記』にあるタケミカヅチはこれとは大きく
異なるわけです。
 しかしタケミカヅチと阿曇磯良が同神とはどういうことなのでしょう。
 そのひとつの解釈として、鹿島神宮の祭神は、本来は阿曇氏の祭祀する神であったと
する説があります。
 たしかに、鹿島神宮の御神体が海中にある巨大な甕であったとする話は海の信仰を
彷彿させるものではありますし、また阿曇氏の本拠であったという志賀島(しかのしま)の
地名が鹿島と似ているのがその根拠の一つに挙げられることもあります。
 しかし、この説には問題となる点があります。まず、阿曇氏(阿曇連)の始祖は綿津見神
(わたつみ神)なのです。
 それに、鹿島神宮の祭神が阿曇氏の祭祀する神であったならば、中臣氏とはどのように
つながるのか、という疑問もあります。
 
 『古事記』では、神功皇后と建内宿禰に信託する神が天照大御神と住吉三神であるの
に対し、『日本書紀』ではここに中臣烏賊津連が加えられ、信託する神にも海人系氏族が
侵攻する神であったと松前健(『日本神話の形成』)が考察する天事代虚事代玉籤入彦
厳之事代神が加えられていることから、中臣氏が海人系の神に関係していると見られる
のですが、これもまた、中臣氏がなぜ海人系の神とつながるのかという疑問をしょうじさ
せるわけです。
 
 雄略朝時代に台頭してきた連(むらじ)の姓(かばね)を持つ氏族たち、すなわち物部連、
大伴連、中臣連は天孫降臨に関係し、天孫ホノニニギに従う形になっています。そうして、
そのまま天皇の側に仕える存在を主張しているわけです。
 ならば、この問題にも天孫降臨神話が関係していると考えるべきではないでしょうか。
 天孫降臨が皇室の誕生を語る神話となっていることは今更言うまでもないことなのです
が、ホノニニギの子がそのまま皇室になるわけではないのです。
 ホノニニギの子がホヲリノミコトで、その子がウガヤフキアエズノミコト、その子が神武天皇
です。つまり神武天皇はホノニニギから数えて四代目にあたり、その間にホヲリ、ウガヤフ
キアエズの二代が挟まるわけです。
 そして、このホヲリとウガヤフキアエズはともに綿津見神の娘を妻に迎えているのです。
このことは神武天皇の母が綿津見神の娘であるということでもあるのです。
 皇室の父方の祖は天照大御神であり母方の祖は綿津見神である、つまり皇室と阿曇連は
ともに綿津見神を祖に持つことになるのです。
 
 ところが、ここにひとつの問題が生まれたのです。
 それと言うのは、16代仁徳天皇から17代履中天皇へと代替わりがなされた時に、履中
天皇の同母弟であるスミノエノナカツ皇子が謀反を起こし、これに阿曇連浜子が加担した
ことです。
 皇室と祖を同じとする阿曇氏の、謀反への加担は皇室神話が成立する上で大きな問題
となったはずです。
 このことは皇室神話にも影響が見られます。
 ホヲリは別名を山幸彦といいますが、兄に海幸彦の別名を持つホデリノミコトがいます。
 この兄弟は対立し、山幸彦ことホヲリが海幸彦ことホデリを屈服させることでホノニニギの
後継者となったという話になっているのです。
 
 中臣氏は天孫降臨の神話に関わるようになった時に、これに含まれる海人系の部分に
強い影響力をもつようになったのではないでしょうか。
 
 もうひとつ、『日本書紀』には、市磯長尾市が倭大國魂神を祭祀するようになったきっかけ
に中臣探湯主が絡むという異伝を載せています。
 市磯長尾市は倭氏の祖ですが、始祖はサオネツヒコ(シイネツヒコとも)という神です。
 この神は、神武天皇が船で瀬戸内海を大和に向けて進んでいる時に、海上に現れて海の
道の案内をするという海神の要素を持つのです。
 さらにこの神は天香久山の土を採取する任務にあたっているのですが、これが住吉大社の
「埴使」の神事と共通することは前に紹介した通りです。
 これも、中臣氏による海人系の神話への関与を思わせるものではないでしょうか。