大国主の誕生475 ―難波と大和と神婚譚④―
中臣氏や小子部氏(ちいさこべ氏)、それに鴨氏(鴨県主)が雷と結びつく理由。
このうち、小子部氏と鴨氏については、養蚕と結びついている、という志田諄一
(『古代氏族の性格と伝承』)の指摘があります。
養蚕と雷が結びつくことは、古くから、雷が鳴った時に「くわばら」と唱えると雷が
落ちない、という民間信仰があります。
これは、桑原には雷が落ちないという言い伝えから来たものです。
桑原はその名のとおり、桑の木を多数植えたところをいいます。桑の葉は蚕の
エサになります。
それでは、小子部氏、鴨氏と養蚕の関係ですが、『日本書紀』によれば、小子部ス
ガルは雄略天皇から「蚕を集めよ」と命令されますが、「子を集めよ」と聞き間違えて
たくさんの嬰児を集めてきたので、雄略天皇からこの嬰児たちの養育を命じられ、
同時に小子部の名を賜った、とあります。
この記事を、志田諄一は、雄略天皇はスガルに、養蚕に従事する秦氏の一族を
集めさせたのはないか、と考察するのです。
秦氏が養蚕に従事する氏族であったのは、『日本書紀』に、秦氏が天皇に絹を
献上した記事や、桑の木を植えたり、秦氏の民を各所に散らばせて絹の生産を
させたとする記事(雄略天皇十六年)があることから想像できます。
志田諄一がこのように考えた理由のひとつに、『新撰姓氏録』の秦忌寸の注釈に、
「天皇遣使小子部雷。率大隅阿多隼人等。捜括鳩集。得秦民九十二部一万八千
六百七十人。遂賜於酒。爰率秦民。養蚕織絹。盛