小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

470 臣から連への時代⑧中臣氏の伝承と鹿島の神

2016年01月07日 00時59分52秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生470 ―臣から連への時代⑧中臣氏の伝承と鹿島の神―
 
 
 『日本書紀』の「皇極紀」三年の記事には、中臣鎌子連(藤原鎌足)が、神祇伯(かむつかさの
かみ)に任命されたのに、再三にわたってこれを固辞して三嶋に隠遁した、とあります。
 三嶋というのは古代の摂津国三島郡のことですが、この三島郡に含まれる大阪府茨木市
と高槻市の境にある阿武山に築かれた阿武山古墳の被葬者は藤原鎌足と考えられています。
 こういったことから、三島郡は中臣氏とゆかりの深い土地であったと想像されます。
 阿武山の茨木市側の地名は安威(あい)ですが、『新撰姓氏録』に見られる摂津国の氏族、
中臣藍連の本拠がこの安威と考えられています。
 また、同じく『新撰姓氏録』に摂津国の氏族として記される中臣大田連の本拠は同じ茨木市内
にある太田であろうと考えられています。
 中臣藍連も中臣大田連もともに中臣氏と同じく天児屋命を始祖としています。
 
 さて、高槻市と隣接する三島郡島本町には武内神社が鎮座します。祭神は武内宿禰なのですが、
この武内神社は別名を春日神社というのです。
 春日神社は中臣氏関連の神社の名ですから、武内神社も中臣氏と関係があるのでしょうか?
 ただ、伝えられるところでは、武内神社の祭神は、元は壱伎直真根子(いきのあたいのまねこ)
であったといいます。
 『日本書紀』の応神天皇九年の記事に壱伎直の祖真根子が登場します。
 武内宿禰が弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)の讒言で謀反の罪を着せられた時に、壱伎直
真根子が身代わりになって死んだという内容です。
 
 ここに壱伎直が関係することは見逃せません。
 例の、顕宗天皇三年にあった月神と日神による阿閉臣事代への神託。月神の神託は、
 「わが祖高皇産霊(タカミムスヒ)は天地を造りし功績を持つ。それゆえに吾を祀れ」
というもので、これを受けた朝廷は山城の葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)に月神を祀る社を築いて
壱岐縣主の祖押見宿禰に祭祀を行わせているのです。
 
 このことは物部氏や大伴氏は高皇産霊神と結びついていたわけですが、中臣氏も何らかの形で
高皇産霊神と結びついていたその痕跡を感じさせます。
 また壱岐の氏族が絡んでいることも、神功皇后が三韓遠征に臨んだ際の伝承に中臣烏賊津連が
関わっていることを思うとこれも何らかの関係があるように思えます。
 神功皇后の遠征に際し、対馬の琴崎(きんざき)の海辺で軍船の碇が沈んで上がらなくなったのを、
海中に潜ってこれを引き上げたという伝承を持つ磯武良は阿曇磯良と同一人物あるいは同神である
とされています。
 また、『太平記』の巻第三十九には、神功皇后が三韓出兵の際に、神々を常陸の鹿島に招いて
軍評定を行おうとしたところ、阿度部(あとべ)の磯良という神だけが、顔に貝がビッシリと付着して
いることを醜いと恥じて、最初の内は海中より出てこなかった、と伝承を載せています。
 阿度部の磯良は言うまでもなく阿曇磯良と同一人物(同神?)です。阿曇は時として「あど」に変化
します。
 
その阿曇磯良ですが、『琉球神道記』には、
 
 「鹿島の明神は、もとはタケミカヅチの神なり、人面蛇身なり。常州鹿島の浦の海底に居す。一睡
十日する故に、顔面に牡蠣(かき)を生ずること、磯のごとし、故に磯良と名づく」
 
と記されており、中臣氏とゆかりのある鹿島神宮のタケミカヅチと同神というのです。
 鹿島神宮が鎮座する地は、古墳時代には東南西の三方が海に面していたとされます。鹿島という
地名も、それよりも古い時代には島であったからだと言われているのです。
 その鹿島の海底に大甕があったという伝承があり、その大甕が鹿島神宮の御神体であるというの
です。