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今宵一夜

2014-03-10 23:59:23 | 観劇
今回の「ベルばら」、ともみんのアンドレだけでなく、ちぎちゃんのオスカルもまた、なんかすごいことになってきてる・・・。
衝撃だったのが、今宵一夜。というか、その直前。
コムちゃんのオスカル以来、トップ娘役がロザリーを務めることが多いせいか、オスカルとロザリーの絡みを増やすために、出陣前夜のオスカルの居間に、ロザリーが突然やってくるシーンが付けられるようになりました・・・。
私には、これがどうも違和感ありまくりで、好きじゃなかった・・・(苦笑)。
いえ、ぶっちゃけ、ロザリーお邪魔虫だな~!とずっと思ってました(だってロザリーが居たら、アンドレ呼べないでしょ/笑)。
それが今回初めて、衝撃的にも、納得ができたのです。
それは、ちぎちゃんのオスカル、みゆちゃんのロザリー、ともみんのアンドレ、この3人のお芝居が、それぞれ絶妙なバランスだったから。

まずは、みゆちゃんのお芝居が、とても健気で、愛らしく、そして必死感が伝わってきました。
たぶん、ちぎちゃんとコンビ発表はあったものの、実際にはまだ組んでないわけで、ちぎちゃんとみゆちゃんの間に、カップル感がまだないのが良かったのかも(コンビを組んだ相手役同士だと、どうしてもそちらのほうの空気感ってありますもんね)。
だから、純粋にオスカルを慕うロザリーのお芝居になったんだと思います。
そしてそれを受けて返すちぎちゃんのオスカルもまた、妹を優しく諭すように、接している。
オスカルの「このおてんば娘!」も、ちぎちゃんの笑い方が好きだなぁ。「NOW ON」でオスカルの居間は4階と判明。そりゃあロザリーすご過ぎだろう(爆)。でもだから、「おてんば娘」に実感がこもる、とのちぎちゃんのコメント(笑)。
ある意味、気安く、姉妹のような信頼が見えるからこその、違和感のなさ。
そして、だからこその、ロザリーの切迫した、必死感がオスカルに伝わっている。
ロザリーを帰したあとのオスカルが、「この部屋ともお別れだな・・・」とつぶやくところ。オスカルはすでに、二度とここへは戻らないことを自覚してます。それが、死によるものか、それとも革命によるものかは、わからない。でも、オスカルはもう初めから、事が起こったときは民衆のために動くことを決めている。
だから、これまでの自分に別れを告げるんですね。でもそこでのちぎちゃんオスカルが、なんと、涙を流している・・・!
衝撃でしたね!これまで、その台詞を言いながら泣いてるオスカルなんて、観たことない!!
オスカルにとって、それだけ、やっぱり大きな選択だったんだと思える。
ただ、ロザリーの切迫感、革命の渦の大きさを改めて知り、それらを覚悟していながらも、自分一人の力でどれほどのことができるのかと、これまでの貴族としての立場を捨てる以上、生身の自分一人で何ができるかと、オスカルには不安でたまらなかったのではないかと。
ちぎちゃんのオスカルって、決然としながらも、そういったところでの繊細さというか、強いからこそ折れやすい、みたいな風情があるんですよね。
だから、オスカルはアンドレを呼ぶんだろうな、と。自分で決めて、揺るがないことではあっても、それを全部受け入れて、大丈夫だと言ってくれるアンドレが、どうしても必要なんです。
そしてそんなちぎちゃんオスカルに対する、ともみんアンドレが、素晴らしかった。
オスカルの進む道がどうであろうと、ともみんのアンドレは、絶対にその行く先を、大丈夫だよ、と言って寄り添ってくれる。オスカルを安心させて、歩く道の先を明るく照らしてくれる。それも、ランプとかの明かりじゃない。晴れやかに真っ直ぐな道を照らし出す、それこそ、ともみんの言っていた太陽のアンドレ、そのものじゃないかと。
ともみんアンドレの明るさ、優しさ、そしてオスカルの全てを受け入れてくれる大きさ、それが、ちぎちゃんオスカルにとってどれだけ救いになり、必要不可欠であり、失うことのできないものであるかが、ひしひしと感じられる。
今宵一夜の一連の名台詞が、こんなにもひとつひとつ、奥深い意味を持って聴こえたなんて、本当に初めてでびっくりしました・・・。
自分の弱さを自覚し、だからこそ、アンドレが必要だと必死にすがりつくオスカルと、そんなオスカルの全てに、愛おしく、優しく、当たり前のように、応えるアンドレ。このともみんアンドレの声のトーンがまた、絶妙にあたたかくて切ないんですよね。
最初、呼ばれて入ってきたアンドレのものすごく自然な「どうした、眠れないのか?」が、優しすぎて・・・。
毒入りワインの事件のあと、ともみんアンドレって、絶対にオスカルと距離を置いてたと思うんですよ。もちろん、一緒に行動してはいたでしょうし、いつも通りの態度で、いつも通りの口調で。でも、絶対に触れない。触れてはいけないものに触れてしまった罪の意識が、残ってると思うんです。
「星が綺麗だ・・・」と窓辺に佇むオスカルの傍らに、並んで立ちはしても、これまでの「ベルばら」みたいに肩を抱かないのは、そのためかな、と。・・・お稽古ではやってたんですけどね(苦笑)。どんどんお芝居を突き詰めていくに連れて、そういう流れに到ったのかなぁ。
でも、肩を抱かなくても、ちぎちゃんオスカルとともみんアンドレって、ちゃんとつながってるのが伝わるんですよね。
共に育ち、奥の奥まで絆が深いからこそ通じ合い、お互いに響き合ってるオスカルとアンドレを目の当たりにできるなんて、ものすごい奇跡なんじゃないでしょうか・・・。
二人が結ばれるのは、ひとつになり、このあとの運命全てを、共に分かち合うための儀式。そんな風に、思います。

そうして迎えた、革命のとき。オスカルの決意を、少し離れて、じっと見守っているアンドレが、本当にあたたかい。オスカルも、そんなアンドレの眼差しに包まれているからこそ、強くいられるのだろうと。
二人になった瞬間、「さすがはオスカルだ」と明るく言ってくれたアンドレに、オスカルは「戦闘が終わったら、結婚式だ!」と返す。
アンドレがそうやってオスカルを見守り、照らしてくれる限り、二人の未来もまた、続いて行けるだろうと、そんな明るい希望がオスカルに芽生えているからこその、言葉。
舞台を観ている側は、結末を知っているので、「結婚」という言葉がとても悲劇的で哀しく、虚しく響きますけど、でもこのときの二人には、そんな結末が待っていることは思いもよらない。二人で幸せをつかめるのかもしれないと、光に満ちているのが、切ないですね・・・。

なんだかまた語りすぎた(苦笑)。
でもね~、観れば観るほど、ちぎちゃんのお芝居と、ともみんのお芝居がどんどん深くなってて。
ちぎちゃんも、役にぐ~っと入り込むタイプですけど、ともみんも、どんどん緻密につくり込んで行くタイプなので・・・全国を回るうちにどういうことになるか・・・楽しみですが、コワくもある(爆)。あまり濃密になりすぎて、この二人以外のオスアンが観れなくなったらどうしよう~(笑)。

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