天王山古墳をあとにして、向かうは舒明天皇陵。
ここは宮内庁管轄ということで、きっちりと整備され、立ち入りは禁止。正面から眺めるだけ。とはいえ、文献等からほぼ確実にちゃんと舒明天皇のお墓として間違いないらしいので、中大兄と大海人のパパということで、ようやく馴染みのあるところに来たという印象(笑)。
この御陵は、上空から見ると台形の上に八角形がくっついてる形をしているそうで、この八角形というのが、とっても重要らしい。舒明天皇の子孫(天智・天武ほか)は、みんなこの八角形のお墓なんだとか。蘇我の血を引く王家とは、一線を画したこの舒明系、もとをたどれば敏達天皇系の王家は、これからの注目株だと力説しておられたのは、風人さん。
なるほど~と思いつつ、二つの王家の流れがどうのと言うと、今の私は中世の持明院統と大覚寺統に頭が流れていってしまいますが・・・(大爆)。
ちなみに、この舒明天皇陵から、山裾をたどるようにして、鏡女王のお墓、大伴皇女のお墓と歩いて行ったのですが、実はこの山が開住西阿の砦のあった外鎌山だったと知ったのは、帰宅してからのこと(爆)。別に登りたかったとまでは思わない(その時点で、もはやそんな気力もないくらいしんどかったし/苦笑)けど、知ってたらもうちょっと真剣に山を見上げたのになぁ~。
次に急いで向かったのは、特別見学させていただけるという石位寺。
ここの秘仏である石仏は、昼食の前に見学した粟原寺にあったと言われているそうです。
大きな石に、薬師三尊像が浮き彫りにされているのですが、飛鳥時代のものとは思えないくらい、白く輝いて綺麗な仏様。彩色のあとも残っていて、どことなくオリエンタルチック。
額田王の念持仏だったという伝説もあり、事前に予約しないと見られない、貴重な仏様だそうです。
石位寺をあとにして、残るコースは住宅地の公園内に整備された、忍坂古墳群のみ。
住宅街を開発した際、発掘された古墳を、そのまま土ごとごっそり運んできて保存してあるという、なんともびっくりな遺跡公園です。
石積みをそのままの形で運んでくるなんて、いったいどういう技術なのか(しかも今から30年以上前なのに)、摩訶不思議な気もしますが、ぼろぼろのフェンスに囲まれたまま、ひっそりと並んでいる古墳たちは、それでも開発の波に呑まれることなく、ちゃんと生き残ってるんですね。
これにて忍坂探検の道程はすべて無事に終了。朝倉駅に戻り、そこで一応のお開きとなりました。
あとは、いつものように打ち上げへGO!とにかく歩いて疲れて喉が乾いてたので、乾杯のウーロン茶をごくごく呑んじゃいました(笑)。
たっぷり歩いてわいわい騒いで、楽しいウォーキングの一日が終わりました。翌日からの筋肉痛は響きましたが(苦笑)、まだまだいろんな飛鳥の世界があるなぁと、次はどんなところを歩けるか、これからの未知なる探検を、また楽しみにしたいですね。
ここは宮内庁管轄ということで、きっちりと整備され、立ち入りは禁止。正面から眺めるだけ。とはいえ、文献等からほぼ確実にちゃんと舒明天皇のお墓として間違いないらしいので、中大兄と大海人のパパということで、ようやく馴染みのあるところに来たという印象(笑)。
この御陵は、上空から見ると台形の上に八角形がくっついてる形をしているそうで、この八角形というのが、とっても重要らしい。舒明天皇の子孫(天智・天武ほか)は、みんなこの八角形のお墓なんだとか。蘇我の血を引く王家とは、一線を画したこの舒明系、もとをたどれば敏達天皇系の王家は、これからの注目株だと力説しておられたのは、風人さん。
なるほど~と思いつつ、二つの王家の流れがどうのと言うと、今の私は中世の持明院統と大覚寺統に頭が流れていってしまいますが・・・(大爆)。
ちなみに、この舒明天皇陵から、山裾をたどるようにして、鏡女王のお墓、大伴皇女のお墓と歩いて行ったのですが、実はこの山が開住西阿の砦のあった外鎌山だったと知ったのは、帰宅してからのこと(爆)。別に登りたかったとまでは思わない(その時点で、もはやそんな気力もないくらいしんどかったし/苦笑)けど、知ってたらもうちょっと真剣に山を見上げたのになぁ~。
次に急いで向かったのは、特別見学させていただけるという石位寺。
ここの秘仏である石仏は、昼食の前に見学した粟原寺にあったと言われているそうです。
大きな石に、薬師三尊像が浮き彫りにされているのですが、飛鳥時代のものとは思えないくらい、白く輝いて綺麗な仏様。彩色のあとも残っていて、どことなくオリエンタルチック。
額田王の念持仏だったという伝説もあり、事前に予約しないと見られない、貴重な仏様だそうです。
石位寺をあとにして、残るコースは住宅地の公園内に整備された、忍坂古墳群のみ。
住宅街を開発した際、発掘された古墳を、そのまま土ごとごっそり運んできて保存してあるという、なんともびっくりな遺跡公園です。
石積みをそのままの形で運んでくるなんて、いったいどういう技術なのか(しかも今から30年以上前なのに)、摩訶不思議な気もしますが、ぼろぼろのフェンスに囲まれたまま、ひっそりと並んでいる古墳たちは、それでも開発の波に呑まれることなく、ちゃんと生き残ってるんですね。
これにて忍坂探検の道程はすべて無事に終了。朝倉駅に戻り、そこで一応のお開きとなりました。
あとは、いつものように打ち上げへGO!とにかく歩いて疲れて喉が乾いてたので、乾杯のウーロン茶をごくごく呑んじゃいました(笑)。
たっぷり歩いてわいわい騒いで、楽しいウォーキングの一日が終わりました。翌日からの筋肉痛は響きましたが(苦笑)、まだまだいろんな飛鳥の世界があるなぁと、次はどんなところを歩けるか、これからの未知なる探検を、また楽しみにしたいですね。
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