今日は珍しく、昼にも書き込み、今また書き込みに来てます。
久々の休息日。昼過ぎまで寝て、TVを観て、部屋の片づけをし、夕飯を食べ、またTVを観て・・・という1日。
3月に入ったので、背景も変えてみました。春らしいわけじゃないけど、とりあえず気分を変えようかと。
さっき久しぶりに花組芝居のサイトを見たら、先週の土曜日に「仮名手本忠臣蔵」の舞台中継をNHKで放映したと載ってて、ショック!
サエコさんに気を取られて、すっかりチェックがおろそかになってました・・・反省(汗)。
とはいえ、今月は植本姫が大阪の舞台にご出演。それこそ大地真央さんのコメディ舞台なので、楽しみです。
今日は、スカイステージで待ちに待った「フェット・アンペリアル」の放映がありました。
大野先生の初・洋物、しかもすごく出来の良かった作品なので、すごく気に入ってるんです。オリジナルだけど、ちゃんと恋愛も入ったし(爆)。
放映は千秋楽ということで、かなりアドリブのお遊びが入ってましたね・・・パリのサロンでワインのおつまみに‘柿の種’って・・・(大笑)。
やっぱり、大野先生は友情を描くのが上手い。すずみんのお芝居も絶妙で、しいちゃんとのやり取りが面白い。
それに、私は大野先生の書く台詞が、すごく好きなんですよね。洒落てるとかいうのではないんですが、言葉の選び方が綺麗。時代背景とか、人物の心の内にあるもの、それらを計算した上で、語彙を選んであるというか。
正塚先生の自然でお洒落な台詞とも、荻田先生の詩的で流麗で、なおかつ本質を突くような鋭い台詞とも違って、言葉の並べ方、語彙の持つ意味、聴いているとその字面が浮かぶような台詞回しは、マニアックだけど本として読んでも綺麗だろうな、と思わされます。
あと、大野先生の好きなところは、悲劇で終わったとしても、必ずエピローグとして救いが見出されていること。
「更に狂はじ」でも「月の燈影」でも「花のいそぎ」でも「睡れる月」でも、愛する者の死を通り抜けてなお、残された生きていく者たちの切なさと深く澄んだ哀しみ、そして決して失うことのない優しさと、未来へとつなぐ希望、そんなものが作品の根底にあってこそ、観終わったあとになんとなく、ほっとできる、そんな夢幻の世界観が、大野作品にはあるんですよね。
大劇場デビューとなる「宇治十帖」も、浮舟の出家という悲恋の結末でしょうが、そこに大野先生らしい救いと優しさを、描き出してくれると思ってます。
久々の休息日。昼過ぎまで寝て、TVを観て、部屋の片づけをし、夕飯を食べ、またTVを観て・・・という1日。
3月に入ったので、背景も変えてみました。春らしいわけじゃないけど、とりあえず気分を変えようかと。
さっき久しぶりに花組芝居のサイトを見たら、先週の土曜日に「仮名手本忠臣蔵」の舞台中継をNHKで放映したと載ってて、ショック!
サエコさんに気を取られて、すっかりチェックがおろそかになってました・・・反省(汗)。
とはいえ、今月は植本姫が大阪の舞台にご出演。それこそ大地真央さんのコメディ舞台なので、楽しみです。
今日は、スカイステージで待ちに待った「フェット・アンペリアル」の放映がありました。
大野先生の初・洋物、しかもすごく出来の良かった作品なので、すごく気に入ってるんです。オリジナルだけど、ちゃんと恋愛も入ったし(爆)。
放映は千秋楽ということで、かなりアドリブのお遊びが入ってましたね・・・パリのサロンでワインのおつまみに‘柿の種’って・・・(大笑)。
やっぱり、大野先生は友情を描くのが上手い。すずみんのお芝居も絶妙で、しいちゃんとのやり取りが面白い。
それに、私は大野先生の書く台詞が、すごく好きなんですよね。洒落てるとかいうのではないんですが、言葉の選び方が綺麗。時代背景とか、人物の心の内にあるもの、それらを計算した上で、語彙を選んであるというか。
正塚先生の自然でお洒落な台詞とも、荻田先生の詩的で流麗で、なおかつ本質を突くような鋭い台詞とも違って、言葉の並べ方、語彙の持つ意味、聴いているとその字面が浮かぶような台詞回しは、マニアックだけど本として読んでも綺麗だろうな、と思わされます。
あと、大野先生の好きなところは、悲劇で終わったとしても、必ずエピローグとして救いが見出されていること。
「更に狂はじ」でも「月の燈影」でも「花のいそぎ」でも「睡れる月」でも、愛する者の死を通り抜けてなお、残された生きていく者たちの切なさと深く澄んだ哀しみ、そして決して失うことのない優しさと、未来へとつなぐ希望、そんなものが作品の根底にあってこそ、観終わったあとになんとなく、ほっとできる、そんな夢幻の世界観が、大野作品にはあるんですよね。
大劇場デビューとなる「宇治十帖」も、浮舟の出家という悲恋の結末でしょうが、そこに大野先生らしい救いと優しさを、描き出してくれると思ってます。