2年ほど前まで、さっちゃんは言語リハビリに通っていました。
担当してくださったST(言語聴覚士)のT田先生が紹介してくださった失語症のグループリハビリにも通うようになりました。
このグループリハビリは病院ではありませんし、デイサービスなどの介護施設でもありません。
さっちゃんが一個人として参加しているグループ活動のようなものなんです。
もちろんそんな意識はさっちゃんにあろうはずもなく、何故そこにいるのか理解できていなかったと思います。
僕だけの想いだったでしょう。
それでも貴重な社会との接点のひとつとして、大切な場だと感じていました。
その失語症グループリハビリでは毎月の月報が発行されていました。
手元には2019年5月の月報から残っていました。
その月報はさっちゃんの入院中も毎月送られて来ていました。
もうグループリハビリに参加することは無理だなと思うようになって、その月報送付をお断りしなければと、ずっと気にしていたんです。
そんな中、グループリハビリの責任者であるS田さんから送付を中止しますとのメールが来ました。
以下はそのメールに対する僕の返信です。
* * * * * * * * * *
このようなメールをS田さんの方から出させてしまって、心苦しい想いです。
幾年も前から、月報送付を遠慮しなければ、とは思っていたのです。
でも、さっちゃんにとっての数少ない社会との接点のような気がしていて、送付遠慮をお伝えすることが出来ませんでした。
単純に、僕自身の怠惰だったのかもしれませんが。
S田さんから言っていただいて、ホッとしております。
有難うございます。
失語症のリハビリに訪れることは、2021年11月あたりが最後だったと思います。
その月末に大腿骨転子部骨折で入院、いったんは自宅に戻れましたが、すぐに誤嚥性肺炎で入院。
老健を経て、今年のバレンタインデーに自宅へ帰って来てくれました。
その頃は、冷静な思いの中ではグループリハビリに行くのはもう無理だと考えていました。
でも、一縷の希望的観測としてはあの場に訪れることくらいは実現できるようにならないかな、と願っていました。
ほぼ不可能なことだとは知っていながら。
再びの誤嚥性肺炎で再入院し、身体も弱りに弱ってしまい、その微かな希望も確実に無理なものとなっています。
今は自宅介護も難しそうだと、自分では考えるようになりました。
車椅子に乗れそうにありませんし、デイケアやショートステイも利用困難だと思われるからです。
病院の相談員さんから介護医療院のことを教えていただけました。
施設によっては面会もかなり自由になっているようですし、看取りも希望に沿って出来るみたいです。
もはやさっちゃんに必要なのは終末期医療だと思われます。
コロナ禍でなければ、特養などももっと早く利用したと思っています。
自由に面会が出来るでしょうから。
今、少しずつその辺りの壁が薄く低くなりつつありますから、介護医療院のことも検討する価値があると思われます。
S田さん、いろいろとさっちゃんに想いをはせてくださって有難うございました。
もし暇なお時間がありましたら、ほんの時々で構いませんので、さっちゃんのブログにも訪れてください。
さっちゃんがすぐそばに居なくなって2年近くが経ちますけれど、さっちゃんと一緒に居て体験した様々な苦労が懐かしくてたまりません。
今では思い出すたびにその頃の苦労が幸せなこととして思い出せます。
この文章を書きながら、涙が止まりません。
人の幸せとは不思議なものですね。
さっちゃん不在の今の時期も、いつの日か幸せな思い出として懐かしく振り返れる日が来るのかもしれません。
そうなって欲しいです。
* * * * * * * * * *
僕の返信に対して、S田さんから再度メールが送られて来ました。
さっちゃんがグループリハビリに行き始めたころの感想が綴られていました。
さっちゃんへの愛おしさが蘇って来ますね。
以下にS田さんからのメールを残しておきます。
最初にいらした日には、お二人のお姿から、山登りの帰りかしら? と本気で思いました。
いつもご主人を目で探され、そばにいてくださると安心したお顔をされていましたね。
時々聞き取れる言葉を発してくださることがあり、私の質問に対して「あっち(ご主人)に聞いて」と言われて、思わず皆で笑ったこともありました。
イライラがご主人に向くこともありましたが、ご主人はいつも優しく受け止めていらして、素敵だなと思っていました。
ブログは頻繁に拝見していますよ。
今のご様子もですが、お元気だったころの奥様のお姿を垣間見ることができて、発見が多いです。
あのかわいらしいおさげのお写真も含め。
これからも楽しみに開こうと思っています。
ご回復への希望を捨てることなく、ご夫妻で穏やかな日々を過ごされますようお祈りしております。
▲S田さんからさっちゃんの写真も添付されて来ました。メンバー表に掲載するために撮ってくださった写真だと思います。この頃はまだ自然に笑顔を浮かべることが出来たんですね。