カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

チョンウチはカン・ドンウォンに決めた!

2011-03-31 19:51:35 | チョンウチ

祝『チョンウチ』公開 

 

ということで

過去記事からチョンウチシリーズ

掘り出しますよ

 

な~るほどザ・チョンウチ 

 

2年ぶりにカメラの前に現れたウォンくん大人っぽくなって素敵でした 

 

 


チェ・ドンフン、“一言でムチャクチャ?...チョンウチはカン・ドンウォンに決めた!”

2009.12.21 ホン・スギョン記者

http://www.movieweek.co.kr/article/article.html?aid=22050&contcode=020401

 

-青少年観覧不可の映画を作った監督がどうして、12才観覧可の映画を作る気になったのか。

私の意志ではなかった。 <チョンウチ>を子供の映画として作ろうと思ったのではないが、作っていくうちに、少し純粋になったようだ。 <チョンウチ>で笑ったのが、今までだいたい120回は見たが見る度にだんだん少年になっていく。 それで少年好みの映画だと思った。 成人の映画を作っていたのに、突然子供の映画を作ったと失望する人々もいるだろうが、厳格なおとなも子供のような時があるのだから。

-おいたちにはなして聞かせた物語が原案だといった。 本当に<チョンウチ前>が原作ではなかったのか。

おいたちに聞かせたのはもっと純粋だった。 チカチカポンという少年が美しい少女を悪魔から救う話だった。(笑い) <いかさま師>を終わらせて<火山高2>を準備するつもりで、友人と草稿を一緒に作った。 とてもあきれる話だったが、シナリオを作るうちにSF的な話の楽しみを感じた。 多分その影響もあったようだ。

-では、チョンウチは正確にはいつ心に入ってきたのか?

幼い時からチョンウチが好きだった。 <いかさま師>の前に映画化を考えたがどう解釈すべきか漠然としていた。 チョンウチがとても魅力的なキャラクターなのでそこから抜け出そうとしたが、ある日‘なぜ抜け出るだろう? 撮ればいいじゃないか’と発展したようだ。

-原作が影響を及ぼした部分はあるか?

宮廷のシーンだけそのままだ。 脚色というより全部想像して作ったのだ。 <チョンウチ前>の原形だけを反映した。

-その原形というのは、チョンウチのキャラクターか?

そうだ。 一言でムチャクチャ. 大義とは全く関係ない、本当に極めて個人的な欲望だけのキャラクターだ。 悪いことをしていたずらだけする。

-シナリオを完成する前からカン・ドンウォンに決めていた。 彼を選らんだ特別な理由があるならば?

カン・ドンウォンと私席で初めて会った時にとても素晴らしかった。 二回目に会った時は妙な遊び心を発見した。 <いかさま師>の舞台挨拶で回るときに<私たちの幸せな時間>チームと大邱(テグ)で会うことがあった。 夕方、釜山(プサン)に集まって一緒に酒を飲んだが、カン・ドンウォンがどんな人間なのかとても気になった。 また、妻が<あいつ声>のプロデューサーだったがカン・ドンウォンがとても素晴らしいだけでなく、少し少年のようだったと言った。 結果的に、映画を見たら‘カン・ドンウォンでなければ誰がチョンウチをするのだろうか’という気がする。 シナリオ上のチョンウチとカン・ドンウォンのチョンウチを見ると、彼のほうがおもしろい。 それで信じて行った。

-<犯罪の再構成>と<いかさま師>はセリフが強く残る映画だった。 <チョンウチ>ではセリフよりシーンを残そうと思う欲が見える。

以前の映画のセリフが良かったというよりは俳優たちがうまく演技したようだ。(笑い) <チョンウチ>はファンタジー映画だからある程度スペクタクルが必要だったし、それで場面を長く引っ張っていった。 以前には場面がとても短くてとても多くのシーン(Scene)だったとすれば、今は長いシークエンス中にずっと続くシーンがある。 以前には次のシーンが今のシーンの後に出るが、<チョンウチ>の場合はシーンが物理的にもつながる。 短いシーンを続けて進めるのもおもしろかったが、シークエンスを構成してシーンをとても長く引いてみたかった。 空間はどんどん変わるが話はいつも同じ、そのような演出をしてみようと思った。

-その上始めと終わりを飾るナレーターがいるから弁士のいるモダン劇の感じもする。

そのような感じが欲しいと思った。 現代の映画では表現するのが難しい部分だが劇の中の話し手(誰なのかはスポイラー!)と言ってもかまわないキャラクターであった。 多層的な話の形式が好きなので。

-映画の中の世界はどのように設定したのか?

2年半前に決めたので記憶がぼうっとする。 チョンウチは何でも積極的にするキャラクターではない。 反対に何もしない。 彼が劇中でしたいことは大切な争いの笛を探すこととは何の関係もない。 チョンウチは導師の象徴の青銅の剣と鏡を持ちたいという欲があるだけなのに、それを探して笛の話に割り込むのだ。 一つの巨大な騒動劇のように見せたかった。 なのでチョンウチは何もせずに、遊びたいがやむを得ず妖怪を捉えなければならないということだ。 チョンウチのキャラクターのために全ての話が作られることになった。 チョンウチを遊べないようにしようとドラマを組んだ。(笑い)

 

コメント (4)
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