
そろそろ撤収の時期
お天気が崩れれば雪になる。そんな季節になってしまった。
疾うにタイヤは履き替えてある。そろそろ撤収の時期が来たようだ。
永住するのも悪くはないけれど、家を眠らせ、畑を眠らせ、再び春を待つほうが性に合っているのかもしれない。
六月から約半年間、この地を拠点に楽しませてもらった。
六合村の「尻焼温泉」、草津の立寄り湯「煮川の湯」、野沢温泉「大湯」、ダム水没が予定されている「川原湯温泉」など馴染みの薄かった温泉にめぐり合えたのも嬉しいことであった。
数年来の「応徳温泉」通いで、衰えていた体に精気が戻ってきたから、近場のドライブを繰り返すこともできた。
須坂、小布施の充実した地方文化にも驚かされた。その地を訪れなければ、数行の活字が目の前を通り過ぎるだけ・・・・。
足元の浅間山周辺でも、高峰高原、湯の丸高原、志賀高原などで、微妙な季節の移ろいを味合わせてもらった。
「犬も歩けば棒に当たる」とは、「動くことによってのみ見えてくるものがある」と、そんなことを格言で教えているのだろうか。
インターネットの世の中だが、情報は直に自分の目で確かめない限り、あっても無いのと一緒だという気がした。
何年ぶりかにアルバイトをして、感じたこともあった。長年怠けていた体が弱音を吐きそうになり、忍耐を思い出させてくれた。
まだまだ老け込んではいられない。
土地の人たちから見れば、一回り若い「小僧っこ」にすぎない。
牧場や野菜生産にたずさわる現役は、年齢など数えている暇はない。家庭菜園ぐらいでお茶を濁していたら後ろめたくなる。
薦められて読んだ新潮文庫『雪沼とその周辺』(堀江敏幸)は面白かった。特別な事件があるわけではなく、逆に些細な日常の中のふれあいが読む者のこころに小石を投じる。
池澤夏樹の解説文も印象深かった。この短編集の「へそ」を見事に解き明かしてくれる。
ブック・オフで買った古本も捨てたものではない。
『ノストラダムスの遺産』(レイモンド・レナード)は、1986年発行の本だから、20年以上前の世紀末本の一冊だ。
予言どおり地球最後の日は来るのだろうかと、ドキドキ、ハラハラした世紀越えだったが、とりあえず核戦争は回避されたようだ。
しかし、この本の中の結末は今となっても恐怖に値する。設定時刻を過ぎたあとから読んでも興奮できるのが、フィクションの力だろうか。
もう一冊、『夏彦・七平の十八番づくし』も面白かった。雑誌『正論』に掲載されたものを1983年初版でまとめたもので、両山本による対談集だ。
残念ながら両者ともすでにこの世に居ない。
夏彦命・・・・というほど惚れ込んでいた友人がいたが、さぞ落胆したことだろう。
一方の山本七平は、イザヤ・ペンダサンとの関係を明らかにしたのだろうか。『日本人とユダヤ人』が超ベストセラーとなったいきさつが、愉快でもあり感心させられた。
対談集に関して、主導権はやはり夏彦か。
時代を超え、古今東西の古典に登場する人物と目の前で会話できる男はそうは居ない。ときどき女になってみるというのだから、機知に富んだコラム連発も納得がいく。
いずれにしろ、夏彦にとって時間の経過は関係ないらしい。昔も今も何の障害も無く飛び越えて、自在に往き来する。
その彼が、男は女の一部が欠けた存在と認識しているのが凄いこと。最後まで女のことしか考えないのが男だと・・・・。
内田百を最高峰の作家と信じ、ときどきその著作に帰るのを愉しみにする者もいる。
百に限らず、日本の古典、世界の古典の中には古びないものがある。
夏彦に倣って、登場人物と会話できる域に達したいものだが、とうてい無理だと天の声。
一年を振り返り、来年に繰り越すべき課題として、儚い望みながら心に刻んでおこう。
新しい本、古い本、読める本の数は限りがある。生き延びてきた本を読むというのも効率的かと勝手な解釈。
逸早く自分の目で確かめる読書家には、無精者の所業は許しがたいのかもしれないが・・・・。
雪はこれから降り積もりそうだ。
そろそろ撤収の準備をしよう。
東京に戻ってからのアルバイトも探さなければならない。
新卒者の内定取り消しなど、金融不安、経済危機で大揺れだが、若者たちはこの未曾有の困難に立ち向かっていけるのだろうか。
子供のうちから「ピンチはチャンス」と思える下地をつくっておくのが、教育の課題だろう。
情報・知識ばかり詰め込んだって、いざというときの役には立たない。土に触れ作物や動物を育てる経験が、生きた判断を導くのだ。
忙しくなりそうなので、早めの回顧とブログ来場への御礼を申し上げます。
ただし、今年これで打ち止めというわけでもないのですが・・・・。
来年から多少リニューアルを考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
この一年、貴ブログで実験的小説、歴史的紀行文、読書録などおおいに楽しませてもらい、実(み)にもさせてもらいました。
わけても知的関心度の高さに、わが身を顧みて刺激をいただきました。
そして、いよいよ「撤収」ですかぁ。充実の半年間をひとまず風呂敷に包み、山を下りてくるのでしょう。
さらにそして、窪庭さんの文で啓発されるのが「ことば」の数々で、今回は「アルバイト」なんてまさに死語になりそうな用語に目を覚まされましたよ。それがいま、世間で問題視されているものの、メディアはそんな単語を使っていません。
時は移ろうもの、さて、これからはどんな方向に流れていくのでしょうか。
せめて良い年を!