どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

ポエム156 『音楽教師・知らん先生』

2017-04-15 03:20:30 | 行事

 

     紫蘭

    (城跡ほっつき歩記)より

 

 

 

  中田先生は担任を持たなかった

  田舎の中学校で音楽だけを受け持っていた

  飴色のフチが特徴のメガネをかけ

  レンズの奥から生徒たちに笑みを投げかけた

 

  オルガンを弾くときは手元をしっかり見ていた

  タクトを振るときは大きな躯を揺すってスウィングした

  腰から上は可動域いっぱいまで動いたが

  大きな尻は微動だにせず二本の脚が錘となった

 

  「先生、モーツアルトって本当に三歳で作曲したんですか」

  「知らんねえ、付き合いはなかったからね」

  教室中がどっと沸いた

  進路指導の憂鬱を抱えていたぼくらの憩いの時間だった

 

  「知らん先生」のあだ名をつけたのはみんなの総意だった

  中学校でこんなにユーモアを感じさせる教師はいなかった

  オルガン演奏は楽しそうに見えなかったが

  タクトを振るときは水を得た魚のようにイキイキしていた

 

  その中田先生を僕は一度だけ怒らせたことがある

  卒業一年前のクリスマスが近づいたころ

  クラス全員で「聖夜」の輪唱を練習していた

  その最中に僕がプッと噴きだしたのが原因だった

 

  なぜ笑ったのか理由はわかっている

  キヨシという上級生と噂のある女の子が頭に浮かんだのだ

  ばかな中学生の性衝動に由来したのか

  ひとり涙しながらクククク、ククククと笑いを引きずった

 

  とっくに忘れてしまいたいことなのに

  紫蘭の咲く季節になると中田先生のことを思い出す

  きよしこの夜の歌い出しでキヨシを連想した失敗を

  紫蘭と「知らん先生」でまたも繰り返そうとしているのだ

 

  この歳になってふと気づくことがある

  音楽教室の壁をぐるりと飾っていた作曲家たちの肖像画

  ベートーベン、シューベルト、ショパン、シューマン、バッハ・・・・

  中田先生はその中の一枚になることを夢見ていたのではないか

 

  一介の音楽教師として生徒に接していても

  ウィットやエレガンスや自由への憧れが滲み出てくる

  中田先生はどこからやってきたのだろう

  きっとオーケストラの花咲く国から派遣されて来たに違いない

 

  

  

  

  

  

 

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6 コメント

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尊敬できる先生 (更家)
2017-04-15 14:18:15
”紫蘭”を見て、尊敬していた”知らん先生”を思い出したんですね。

私も、この詩を読んで、忘れかけていた先生達のことを、少しづつ思い出し始めました。

そして、自分が尊敬できる先生がいたということは、幸せな学生時代を過ごしたんだなあ、と素直に思いました。
返信する
そう、他の先生と違った雰囲気 (tadaox)
2017-04-15 18:35:56
(更家) 様、当時知性などという言葉を知りませんでしたが、どこが他の先生方とは雰囲気のちがうエレガントな方でした。
体型も顔つきも都会的な印象で、どこか別の世界から派遣されてきたような不思議さを漂わせていたように思います。

週に一度か二度の授業でしたが、いつも尊敬と憧れの対象でした。
中学校の先生など不釣り合いで、本当は作曲家とか指揮者を目指して勉強してきたのではないか、そんな思いを抱いていました。

更家さんの思い出の先生も、きっと素敵だったことでしょう。
きっかけになったとすれば、望外の幸せです。
返信する
教師の幸せ (知恵熱おやじ)
2017-04-15 20:35:37
たしかに窪庭さんの詩には接するものの記憶を深層から浮上させる不思議な力がありますね

私もこの詩で札幌市郊外の月寒小学校時代の担任の岩崎先生を思い出させていただきました。もう60数年も前のことです。

昭和22年に樺太(現ロシア・サハリン)から引き揚げてきて小学4年生に編入されたときの担任でした。

学校近くの焼け跡を岩崎先生とクラス皆が一緒に整理していた時でした。焼けた瓦礫の下から棒のようなものが出てきたのです。

先生がその汚れを拭き取るときれいな塗りが現れました。「指揮棒だよこれは!」岩崎先生の興奮した声で、みんな先生の周りに集まりました。
「焼けずによく残ったものだなあー」と先生は唸る。

そんなものでなぜいつもはもの静かな先生がそんなに興奮するのか僕らにはわかりませんでしたが、数日後の音楽の時間でその威力を理解することになりました。

コーラスで先生はそのタクトを使ったのです。みんなと一緒に見つけたあの時のタクトだと説明し、みんなに触らせてから。

驚いたことにいつもばらばらだったコーラスが、先生の指揮棒の動きを眼で追うだけで間もなくそろっていったのです。
そして先生の喜びが僕らにも伝わってきました。

僕らは初めて理解したのです。
その棒はただの棒だけれど「ただのl棒ではない」ことが・・・そこに人の思いがこもるとき別なものになることを。

その後岩崎先生は教師をやめて、家業の酒屋さんをついたと人伝てに聞きました。
中年過ぎたころ僕は帰郷したときに、我が家からそう遠く離れていない先生が継いだ小さな酒屋さんを訪れました。

店頭には歳は重ねられましたが、確かに小学生の頃のあの指揮棒を見つけたときのうれしそうに笑っていた表情の岩崎先生がおられました。

僕は名乗らずただの通りすがりのお客として酒を買い、幸せな気分で店を後にしたのですが・・・

この詩がこれだけの思い出を引き出してくれたことに感謝あるのみです。
それだけの力が今回の詩に秘められているということなのでしょう。
多謝。
返信する
シランの季節 (塚越和夫)
2017-04-15 21:39:06
こんばんは。

いつも拙画像のご紹介、心より御礼を申し上げます。

音楽の教師といえば、自分の場合には中学の2年間を担任していただいたY先生を思い出します。
主要5教科の成績が余り芳しくはない小生にとりまして、教師との相性もよく結果的に音楽のテストだけは良かったので、当時の9教科の平均点を10点以上底上げをしておりました(笑)
音大進学にはピアノ演奏という大問題があり受験は行いませんでしたが、音楽への興味を提示していただいた恩師でもありました。

今回のポエムは、そういった懐かしい記憶を呼覚ます鍵となったようです。
このコメントも、ピアノソロのBGMを聞きながら打ち込んでおります。

紫蘭の花もそろそろ開きはじめました。
ゆるゆると過ぎゆく春を感じるなか、半世紀前の事柄が脳裏に浮かぶという素敵な時間をありがとうございました。
返信する
なんと温もりに満ちた思い出・・・・ (tadaox)
2017-04-16 00:21:14
(知恵熱おやじ) 様、岩崎先生との思い出をお聞かせいただき、こころの中でうるうると潤うものを味わっております。
人と人との関わりに生じる温もり、その中心点に存在した焼け跡での指揮棒の発見、なんと興奮をもたらす逸話でしょう。

まさに、「ただの棒ではない」高みへ誘う魔法の棒だったんですね。
一転、退職後の岩崎先生をお尋ねするくだり、そして名乗ることなく酒だけを買って去る奥ゆかしさに、おやじ様の真骨頂を見た思いです。

こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました。
返信する
音楽にも造詣の深いのは (tadaox)
2017-04-16 01:09:47
(塚越和夫) 様、いつも画像を提供していただいておりますが、そのほか城跡探訪など多方面で活躍していることを頼もしく感じておりました。
そして、今回明らかになったことが一つ。

やはり音楽にも造詣が深かったのですね。
ときどきクラシック音楽の音声動画を投稿されていたので、再生しては楽しんでおりました。

また、Y先生の存在も塚越さんの音楽好きに大きく影響したことも理解できました。
音大進学に心を動かすなんて、素晴らしいことです。
やはり、少年時代から中学生までの情操経験がバネになっているのでしょう。

Y先生との思い出をご紹介いただき、あらためて感謝申し上げます。
そして、埋もれていた記憶を掘り出すきっかけにしていただいたことを、心から嬉しく思っております。
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