「萩原や一夜はやどせ山のいぬ」
芭蕉は旅の途中で萩の枝の下に潜り込むようにして野宿したのだろう。
紙子〈紙でできた防寒具〉を頼りに蓑などの寝具にくるまり萩ごしの月を眺めていた気がする。
「草臥れて宿かるころや藤の花」の句もそうだが野宿はしょっちゅうだったんだなあと老体へのダメージを考えてしまう。
ところでこの句の注目点は「山のいぬ〈犬〉」ではないだろうか。
今は絶滅したとされる日本狼だが、芭蕉の時代には山犬〈野犬〉のような動物として獰猛ではあるが人間には身近な存在だったのだろう。
アメリカの西部劇では焚火で暖を取りながら寝るカウボーイを遠巻きにして吠えるコヨーテの声を連想してしまう。
芭蕉の静謐な世界と比べ思わず笑みが浮かぶ。
日米のパフォーマンスの差が歴然ではないか。
コヨーテを黙らせた大谷翔平の貢献度はどれほどのものか、あらためて彼のすごさにも注目である。
和の心を理解するMLB関連者がバショー、バショーと芭蕉をもてはやす日が遠からず来そうな気がするのだが・・。
<参考>鹿島紀行
貞享4年(1687)8月 芭蕉44歳
貞享4年(1687)8月14日、芭蕉が名月を見るため、門人曾良・宗波を伴い鹿島、潮来方面へでかけた旅。深川芭蕉庵から舟で行徳へ。陸路で八幡・釜ヶ井(谷)・布佐。夜舟で鹿島根本寺に至る。翌日、鹿島神宮に参詣し、芭蕉参禅の師といわれる仏頂和尚を訪ねて1泊し、雨間の月見をする。
紀行文『鹿島詣』は、短編であるが風月の趣に溢れている。前半は〈月見の記〉でありながら、紀行文に重きを置く。後半は発句を一括し、月見の句と旅の句を分離する。芭蕉が本格的な紀行文を執筆するための出発となった重要な作品である。
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