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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (18)

2006-03-27 13:50:05 | 連載小説

 夕方五時から、新宿区役所通りに面したレストランの一室を借り切って、イノウエと佐鳥さんの結婚披露パーティーが催された。
 おれが会場となる部屋に入って、受付の女性に会費を払っていると、友人に囲まれて談笑していたイノウエがおれを見つけて近寄ってきた。
「やあ、おめでとう」
 先手を打って、挨拶した。
「いやあ、うれしいです。忙しいところを来て頂いて、ほんとに申し分けなかったです」
 イノウエは、ほんの少し大人になった表情を見せて、おれに謝った。礼を言うつもりが、詫びの言葉になるのがいかにもイノウエらしかった。
 佐鳥さんは同年配の女性たちと並んで、写真を撮られていた。すでに、おれに気付いていて、写真が終わると、髪に挿した大輪の花を揺らしてイノウエの傍にやってきた。
「お久しぶりです」
 白いドレスが似合っている。
 マンダ書院にいたときには、本を抱えた後ろ姿が痛々しく見えたものだが、化粧をして女らしくなった佐鳥さんは、新妻にふさわしい輝きを放っていた。
 健康と幸運を祝しあって、席についた。
 出席者は、二十名ぐらいだったろうか。彼ら二人を除けば、おれの知った顔はひとつもなかった。おそらく、高校・中学時代の同級生が多かったのではないか。東京郊外の、土の匂いを残した顔つきが微笑ましかった。
 まもなく運ばれてきたビールで乾杯し、食事をしながらのパーティーに移っていった。社会人になって間もない若者たちのスピーチは、おれにはあまり興味を持てなかった。仲間うちではウケていたが、要するに学校時代の失敗談を競って披露しあう宴であった。
 順番でめぐってきたおれのスピーチも、月並みな褒め言葉を並べて早々に終わった。少々年上の先輩らしき男の口から、面白い話が聞けるかと期待していた参加者は、空虚なことばの羅列にうんざりしたことだろう。
 その場の空気が、分からなかったわけではない。だが、マンダ書院で味わった屈辱の日々を披露してみたところで、何の得があるだろう。おれにとっては、より深い痛手を忘れるためのリハビリ的意味を見出すことも出来るが、二十歳になったばかりのイノウエと佐鳥さんの出会いを、精いっぱい美化して話す以外に方法はなかったのだ。
 ニ次会に向かうイノウエ夫妻と分かれて、おれは久しぶりに歌舞伎町をうろついた。日中の猛暑に焼かれた路面が、この時間になって熱を放出している。両側に連なる怪しげな店が、派手なネオンを縦横に走らせて道行くひとを幻惑する。
「きみィ、変な女にひっかかっちゃダメだぞォ」
 ミナコさんの声が耳元に甦り、その声色に導かれて路地の奥まで視線を送り込む。だが、おんなたちが目立つようになる時刻は、はるか先のこと。しつこい客引きを避けながら、ひとの流れに乗って回遊する。
 コマ劇場から、ミラノ座のあたりを目的もなく往来し、広場のコンクリートに腰を下ろして、歓楽街が醸成する瘴気に鼻をうごめかす。どこからともなく漂ってくる腐敗臭は、ここに引き寄せられてくる千の人びとの排泄臭だ。
 残飯、ローション、体液、吐息、それらを熱し、拡散する空気の群盗たち。剥き出しの欲望が、あちこちで渦を巻き、巻き込まれた男や女が昨日と違う自分を発見したりする。
 おれは結局、変な女にひっかかる勇気もなく、もと来た道を引き返す。おれの得意なスマートボールの店に気を惹かれたが、そこも歩きながら覘きこむだけで、まもなく大通りの人混みに合流した。
 
 中野駅北口の焼き鳥屋で、焼酎と数本の焼き鳥を食して帰る癖が付いた。
 仕事が終わって、中野にたどり着いても、そのままアパートに籠もってミナコさんの訪れを待つ心境にはなれなかった。
 以前には全く感じたことのない嫉妬のような感情が、おれの心を波立たせるようになり、その苛立ちをやり過ごすために、帰宅の時刻を遅らせていたのかもしれなかった。
 ミナコさんは、好きなのはおれのことだけ・・と、確かに言った。
 おれは、それ以上にミナコさんを愛していることを伝えようとして、頭をかきむしる。
 ミナコさんは、おれの手の届かない世界に戻っていて、おれはその外側で、ひたすら顔を覗かせてくれる日を待ち続けるしかないのだ。
 (ああ、おれはミナコさんのオトコなんだ)
 いままで嫉妬を感じなかったという事実が、おれの心のありようを物語っている。
 手当てを与えてもらう代わりに、おのれの気持ちは枠外に押しやっておく。すべては旦那しだいの二号の心得。皮肉なことだが、おれとミナコさんの関係は、ミナコさんと自動車内装会社社長の関係と、そう大きな違いはないように思える。
 だから、あの日、芝居のなかの配役から、生身の役者の顔で現れた社長の存在を意識して、おれの胸中は坩堝と化した。
 苦しい、かなしい、やりきれない。女々しいほど感情の起伏を繰り返す自分が、そこにいた。おのれをもてあまし、焼酎の量が増えていった。
 土曜日になれば、きっと来てくれる。
 それだけを信じて、日を過ごした。
 あと三日、あと二日・・。その日、残業をこなしてアパートに帰り着く寸前に、ポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
 先刻から、遠くでカミナリの音が行き来していたのだが、しだいに稲光の回数も増していて、どうやら中野区上空にも近付いてきそうな気配があった。
 一瞬迷ったものの、まっすぐ家に帰ってきて正解だった。
 いつものように、屋台の焼き鳥屋に立ち寄っていたら、雷雨の洗礼を受けるところであった。ねじり鉢巻の親爺は、厚手のビニールを四方に垂らして営業を続けるであろうが、くだを巻きながら長居を厭わない男たちに付き合うのは、おれには耐えられないことであった。
 久しぶりに、即席ラーメンを作って夜の食事にした。
 スイートコーンの缶詰めを開けて、バターとともに載せてみた。
 冬の季節、暖房もない三畳の部屋で、片手鍋から直接食ったインスタントラーメンの方が、はるかに旨く感じられた。油を吸収し、おれの舌を焼いた白菜が、きょうのラーメンには入っていない。
 主役を欠いた用意不足が、味の違いとなって如実にあらわれたとしか、言いようがなかった。
 洗い場に、鍋とどんぶりと箸を出し、水に浸けてそのまま放置した。東向きに開いた窓のカーテンを引いてみると、空の端から端まで埋め尽くした黒雲をめくり返して、稲光の競演が始まっている。
 とつぜん、風がアパートを揺るがした。同時に大粒の雨が窓ガラスを叩いて、硬質の音を撒き散らした。雹かもしれないと思った。上昇気流のてっぺんから、一転して地表に駆け下る氷の結晶たち。その爽快感が、おれを興奮させる。
 おれは、カーテンを開け放したまま、明かりを消して畳に横たわる。突風が収まるにつれ、雨脚が強くなっている。
 ズズン、ズズンと腹の底に響く落雷の衝撃があたりを震わせる。時おりカラカラと空を渡る不気味な雷鳴が、つぎの直撃を予感させる。おれは、畳の上に大の字になったまま、天が望むなら、おれのもとに火の玉となって訪れてもいいと、呼吸を細くしていた。
 雷鳴の合間をぬって、チャイムの音を聴いたと思ったのは、空耳だったのだろうか。おれは、片手をついて半身を起こした。
 再び、人工の音がした。この荒々しい自然の狂乱の中で、チャイムのまろやかな呼びかけが、天使の声のように届いた。
 おれは、すばやく起き上がり、玄関の扉まで走っていった。

   (続く)

 

 


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