紀貫之が編纂した古今和歌集には世間的に評判の高い6名の歌人の作品が収録されている。
序文に当たる「仮名序」には六歌仙の呼び名はないが、誰いうともなく六歌仙の呼称が定着したようだ。
古今和歌集に収録された6名の歌人は次の通り。
1 僧正遍照
2 在原業平
3 文屋康秀
4 喜撰法師
5 小野小町
6 大友黒主
このうち文屋康秀について紀貫之が仮名序に記した短評が気になったので焦点を当ててみた。
<吹くからに秋の草木のたをるれば むべ山風を嵐といふらむ
評=詞はたくみにて そのさま身におはず いわば商人の衣着たざらんごと
この和歌に関する限り、紀貫之の評は的確と思うが少々辛らつに見える。〈もっとも6人全員の欠点を上げ酷評しているのだが・・〉
でも何かありそうだ。
新KAIDANぽい。
いろいろ探ってみると、康秀の作品は息子が代作したものだとか、平安前期の官吏だったが高い位の経歴がなく卑官とみなされていたことなど軽んじる噂が多い。
しかし真の理由はほかにあるのではないか。
それは文屋康秀が小野小町と親密だったという評判である。
小野小町が次のような和歌を詠んでいる。
<わびぬれば身を浮き草の根を絶えて 誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ
この和歌をもとに文屋康秀が地方への異動のさい小野小町を誘ったのではないかといった憶測が飛び交ったが、これには元良親王が宇多上皇の女御に送った元歌があって恋多き小野小町が仕組んだざれ歌とみる見方もある。
紀貫之の短評では
仮名序=万葉集の真の清純さを保ちながらなよやかな王朝浪漫性を漂わせている
と、絶賛である。
文屋康秀への短評との差はどう考えたらいいのか。
因みに小野小町は小野一族の流れをくむ名門で小野良真の娘といわれている。
<思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざるましを
<花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
これらの優れた作品があるのに先の文屋康秀の誘いに応えたかのような小野小町の作品を古今和歌集に選んだのは紀貫之の見識というより小野小町にちょっかいを出した康秀をさらし者にする意図があったのではないか。
伝承では小野小町は秋田県の小野という場所〈現在の湯沢市〉で生まれたらしい。
秋田美人の誉れ高く早くから小町と呼ばれた。
終生秋田県で過ごしたそうだが、古今集に選ばれる前から情熱的な歌人として評判が高かったのだろう。
美人の上に才媛。
天は二物を与えたわけだ。
うがった見方かもしれないが、紀貫之も小野小町にべたぼれの感じだから、噂とはいえ親密な仲といわれた文屋康秀に意地悪をしたとしても不思議はない。
〈おわり〉
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