(氷解の時)
夜中の十二時に先輩の友野が、いきなりぼくに質問をした。
「きみ、最近なにか怖いことにでも出合った?」
「そうだなあ、うちの親父が急に出てきて、もう一度一緒にやり直そうって言われたことですかね・・・・」
「出てきたって、田舎から?」
「いや、闇の中からです」
「と、いうと・・・・」
「ええ、死んでもう十五年になる親父なんです。顔も忘れかけていたのにヌウっと現れたんです」
「へえ、そりゃあ奇遇だね」
「もう一度一緒にやり直そうと言われても、心当たりがないんですよ」
ぼくは奇遇という言葉に違和感を覚えながら、真面目に答えた。
「そりゃ怖いわ・・・・」
「怖いでしょう?」
会話はなんとなく途絶えた。
「ところで、そういう質問をするところをみると、先輩にも何か気がかりがあるんですか」
ぼくは友野に訊き返した。
ちょうど深夜十二時をさしたまま、ビジネスホテルの置時計の針はあまり進んでいなかった。
「いや、ぼくの方はノープロブレムさ」
先輩は即座に否定した。
「・・・・ただ、きみの顔色がいつになく悪いし、何だかプレッシャーに押し潰されている感じがしたんだ」
「そんな風に見えるんですか・・・・」
「おかしいよ。セールスに自信なくしたみたいで」
ぼくはすっかり気が滅入ってしまった。
「・・・・やっぱり、親父の出現が気になっているのかなあ」
「田舎から出てきたって言ったよねえ?」
「だから、田舎じゃないんですって。親父はとっくに死んでいて、その人間が闇の中から現れて変なことを言うから参ってるんですよ」
「きみ、故郷になにか秘密を持ってるの?」
「それが・・・・実を言うと、ぼくが生まれた村の地下から得体の知れない音が湧き起こる夢を見るんですよ」
「・・・・」
「自宅のベッドで寝ていても、地鳴りのような振動に脅かされるんです」
「なるほど・・・・」
「故郷から遠く離れた東京にいるのに、地面の揺れを身体に感じるなんて変な話でしょう?」
「たしかに・・・・」
友野が、ぼくの顔をまじまじと見つめた。
「きみの生まれ故郷って、どこだっけ?」
「宮城県の北部で岩手県との県境なんです。市町村合併をして現在は栗原市になっているところですけど・・・・」
「いやあ、たまげた。それじゃあ、ここからさほど遠くないじゃないか」
「いわき市からですか」
ぼくは怪訝な思いで先輩を見た。
「・・・・海と山ほども離れているじゃないですか。それにハワイアンセンターの賑わいと比べれば、うちの田舎なんて野生動物の間借人ですよ」
「へえ、そんなに山深いの? 案外、誰か有名人でも出てるんじゃないのか」
「そうですねえ。有名とまでは言えないですけど、千葉卓三郎は地元では知られてますよ」
「千葉さんかあ、どんな人なんだろう」
「明治維新の隠れた偉人です。中央の権力者に対して、自由民権運動に根ざした五日市憲法を練り上げた人物です」
「あんまり知らないなあ」
「いつの時代も、民衆の意思は権力に封殺されてしまいますから。五日市憲法も、知ってる人は少ないんじゃないですか」
「おお、お蔭でぼくも少し利口になった気がするよ。・・・・まあ、きみの症状は気になるけど、明日があるからいい加減に寝ようか」
「そうですね、明日の売り込みはシビアですから、頭をやすめておきましょうか」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
枕元の照明を落として、ぼくたちはそれぞれのベッドにもぐりこんだ。
先輩の友野から「さほど遠くない・・・・」と言われて、ぼくの心は細波のようにざわめいていた。
十八歳のとき、父親から勘当されるようにして故郷を離れたぼくは、長年父にも故郷にも近づこうとしなかった。
薬品会社のセールスマンという仕事柄、仙台にも盛岡にも、そして一関や釜石にも出張する。
しかし、ある線から先はバリアーが張られていて、生まれ故郷に近づくことはなかったのだ。
いわば、ぼくが模った心理的バリアーで、決して故郷が結界をつくってぼくを拒絶してきたわけではない。
その証拠に、中学校の同窓会があれば必ず通知が来たし、案内状の余白に「たまには顔を出せ」と添え書きを書いてよこしたこともある。
餓鬼大将のひと言に思わず胸が熱くなる場面もあったが、結局ぼくが栗原市に帰ることはなかった。
ビジネスホテルの窓際のベッドに横たわったまま、ぼくは転々とした。
次々に思い出が甦ってきて、眠るどころか頭の芯はしだいに冴えわたっていった。
「わたしの妹が三、四日うちに泊まって行ったとき、遠野のばあちゃんから急に家に帰れといってきたことがあってなあ」
ぼくは母の言葉を思い出していた。
母が父のもとへ嫁いで一年経ったころのことで、嫁に行った姉の様子を探る密命を帯びて妹が栗原まで送り出されてきたらしい。
場合によっては一週間近く滞在する予定であったが、二、三日残したところで電報が来たため早めに帰っていったという。
その時は何事ぞと思ったが、ばあちゃんの夢見に大きなナマズが現れて「がまんならん、がまんならん」とすぐにも暴れそうにしたのだという。
「こりゃあ、不吉なことよ・・・・」と心配になって、妹を呼び戻したのが真相で、その後十日も経たないうちに大きな地震に見舞われたのだ。
「姉ちゃん、わたしばあちゃんのお蔭で助かったわ」と手紙に書いてきたから、「私のことはちっとも心配しなかったのかしら」とイヤミを言ってやったという。
ばあちゃんだって母のことを気遣っていたに違いないが、いったん嫁にやったものは生きるも死ぬも相手次第と覚悟を決めていたのだろう。
心配はしても、最後のところは運命に任せる潔さが、昔の人には備わっていた。
そのとき東北北部を襲った地震は、何軒かの家屋倒壊と道路の被害をもたらしたものの、幸い大事には至らなかった。
母の家も屋根瓦が何枚か落ちた程度で、比較的軽微な損傷で済んだ。
もともとぼくの母方の祖母は、人智を超えた能力を授かっていたらしい。
母が子供のころから、腫れ物や痛みを直す力が評判を呼んで、近所の人が訪れてきた。
治療法は簡単で、鉄包丁を患部に軽く押し当て、なにやら念を送るのだという。
日常のことなので、母は不思議とも感じなかったが、腹部の腫れや出血まで、現在なら女性特有の病気と診断されそうな症状まで対応した。
誰からも苦情がなかったのは、実際に腫れや痛みが軽減したこと、無料だったこと、そして自分が万能ではないことを断っていたからだろう。
そんなばあちゃんの夢見が、また一つの伝説を呼んで、遠野の辺りでは宮城・岩手境の山脈に巨大ナマズの巣があると信じられてきたのだ。
ぼくは幼いころ母に聞かされた話を、単に面白そうな言い伝えと聞き流してきたが、ぼくを襲った不気味な揺れが地震を暗示するものではないかと疑い始めた。
前触れもなく父が出てきて「一緒にやり直そう」などというのも、何か父の方から懇願している雰囲気が感じられて異様だった。
いわき市の病院めぐりは、それなりの成果を挙げることができた。
ところが水戸に下って、ホテルでの朝食がてら付属の喫茶店で当日の作戦を練っているとき、突然強烈な揺れに襲われた。
「なんだ、なんだ」
平成20年6月14日(土曜日)午前8時43分頃、岩手県と宮城県の山あいでマグニチュード7.2の大きな地震がありました。
喫茶店のテレビが、すぐに地震速報を伝えはじめた。
体感からも、かなり強い地震であることは確かだった。
間もなく、震源地は岩手県内陸南部で震度は6強、震源の深さは約10キロと発表された。
そして震度6強の表示が、隣接する宮城県北部の栗原市にも出ていた。
ぼくはとっさに母のことを思った。
(志波姫村にいる母は、無事だろうか)
父の死後、女手一つでぼくの妹や弟を育てながら、代々嫁ぎ先の一家が引き継いできた農業と畜産業を守り通してきた。
ぼくは長男なのに、農業を嫌って父と対立した。
弟は父母の説得に応じて村に残った。
ぼくが勘当されたのには、それなりの理由があったし、母も父方の親類の手前もあってぼくに弱みを見せることはなかった。
ぼくが栗原市に戻ったのは一度限りで、父の野辺送りをした二日間だけだった。
窮屈な思いと、肉親への済まなさが、ぼくを敗残者のような気分にさせた。
母からひと言「わかってるよ」といわれ、喉の奥に流れる一筋の熱い想いを飲み下した。
葬儀が終わると、ぼくは早々と実家をあとにした。
そのとき以来頑なに帰還を避けてきた生まれ故郷が、いま沈黙のブラックホールに飲み込まれていた。
東北から関東にかけて、震度5弱以上を表示する地域からポツポツと情報が上がってきたが、震度6強の奥州市・栗原市の情報は全くなかった。
家が倒れたとか、人が怪我をしたとか、被害情報であっても報告があればほっとできるのだが、報道のホワイトアウトは不気味さを喚び起こした。
「もう一度、一緒にやり直そうとおもって・・・・」
父の出現は、やはり不吉なことを暗示していたのだ。
ぼくは、テレビの前に呆然と座り続けた。
友野はそわそわしていたが、昨夜ぼくの話を聞いたばかりとあって、ぼくが蘇生するのを待つ態勢を取っていた。
「先輩、すみません。どうやら、ピンポイントで狙われたようです」
「ああ・・・・」
「申し訳ありませんが、とりあえず実家に行ってみようと思いますので、会社の方へ連絡つけていただけませんか」
「ああ、いいよ。営業のことは気にするな。すぐに行って様子を見てきたらいい」
「ありがとうございます」
交通手段がどうなっているのか心配だった。だが、ヘリコプターが震源地上空の空撮映像を送りはじめると、驚愕の情景が明らかになってきた。
「うわあ、うわあ」
ぼくは傍目もかえりみずに呻いていた。
故郷周辺の山があちらこちらで崩落し、赤茶けた岩肌を曝していた。
自慢の山岳道路も途中で崩れ落ち、威容を誇っていた<まつるべ大橋>は橋脚もろとも谷底に跪いていた。
「うわあ、駄目だ・・・・」
ぼくの脳裏に、父を野辺送りした日の光景が甦った。
墓地も寺も坂の駆け上がりにあって、テレビの画面につけられた幾筋もの引っかき傷のどれかに消し去られた気がしたのだ。
父は、もう一度やり直そうと、闇の中から語りかけてきた。
だが、すぐには現場に入れないほど道路が寸断された故郷を、いつこの目で確認できるかさえ分からなかった。
焦燥感が募り、母や弟の生死とともに、父の墓所のゆくえが気になった。
先ほどかけた電話は不通だった。
時間が経てば復旧するだろうし、情報がもたらされれば少しは気が休まる。
もう少し待とう。
わが故郷からの情報を。
父の出現が、墓所喪失のメッセージだったとしても、あらかじめ回避できる手段はなかった。
あるいは、年老いた母や呆然自失の弟妹を支えるようにとの申し伝えだったのか。
巨大な力は、似た者同士の父とぼくの頑固さを共に打ち砕いていた。
(クルマを乗り継いででも、すぐに行くよ)
ぼくは、氷解した滴が胸の中をポタポタと流れ落ちるのを感じ、そのまま小さな溜りをつくるのに任せていた。
(おわり)
遠い過去、他界した父親がささやく一言。
そんな出だしで、いったんは故郷を捨てた男の心情の揺れが紡ぎだされていく。
家族の身振りや個性もチラリと表され、そこにごく一般的な地方の一族の様子が覗いている。
そんな流れが巧みな会話で表され、都会人には分からない側面が見えて面白いですね。
息途切れることなく延々と続く短編シリーズ、
どれも形破りで、いつも次回を楽しみにさせてもらっています。
(丑の戯言)様、ありがとうございます。
<都会人には分からない側面・・・・>との見方、ご指摘いただいて初めて気づきました。
こうした楽しみは何ものにも代えがたいもの、ブログならではの共同作業に感謝です。
ときどき別の作品を挟み、まだまだシリーズをつづけたいと考えております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
心理学的に味も素っ気もなく割り切っていえば、「捨て去った故郷そのものでもある父親と和解したい」という深層願望がある年齢になって無意識のうちに強まっていて、その結果父親が夢の中に出てきた・・・ということになるのでしょうが。
こちらは心理学では、どんなに捻じ曲げてみても説明がつきませんね。
(知恵熱おやじ)様、懇切なコメントありがとうございます。
父と同じ血筋ゆえに決別し、時を経て和解への願望が無意識裡に甦る。
そんな男の状況と、符合するかのような故郷の大地震。
この部分の関係性(あるいは無関係性)を、心理学的に説明していただき、感謝しております。
ユングの範疇から、超心理学の迷路へ?
これからもいろいろな場面でアドバイスお願いします。