午後七時からの綱火を前に、高岡地区の人びとはもとより、近隣の村人、遠来の者たちも含め人が集まっていた。くすんだ普段着姿の者が多かったが、数人が固まって灯火に照らされた境内を動き回っていた。
ほどなく<繰り込み>という清めの神事が執り行われる。
数十人の氏子が持つタテハナ(手筒花火)に火が点けられ、その筒先からシューシューと火の粉が噴き出す。
氏子たちが手筒を持って走り回り、清めの火花をあたりに撒き散らすと、神域の古びた本殿は明々と立ち上がり、一方広場を囲む森はいっそう深みを増した闇を背負って蠢く人間を見下ろすのだった。
火が移るかと見紛うほどの煙火の荒々しさに、見物人たちは興奮する。
奇声と共に身を仰け反らせる者、蛾さながらに炎の渦に飛び込んでいく者、氏子と観衆の隔てを超えて、火炎の奥にあるものに高揚し切った魂魄を投じていく。
戦争で中断していた綱火が、昭和二十一年に再開してから数年後のことである。
徴兵や物資の供出で疲弊していたのは、農村部といえども例外ではなかったから、祭礼の復活が目に見えて村人たちを力付け、それを確認することで更に元気づいていったのである。
打ち上げ花火を合図に繰り込みが終了すると、それまで歓声を挙げていた群集が急に静まり返る。
まもなく櫓の上で一対のタテハナが火を噴き、主役を務める氏子たちの手締めが行われる。
期せずして、広場の群集から拍手が沸く。
茫と浮かんだ法被姿の長老が、綱火奉納の口上を述べ立てる。
いよいよ祭りのクライマックスに差し掛かったのである。
「トザイ、東西・・・・。一座高うなれど、不弁なる口上をもって申し上げ奉る。このところの喜び、他へはやらず・・・・」
よく通る声が、耳の孔を突き抜け、同時に鼻腔に煙火の臭いを運ぶ。
芳夫は子供心に、自分たちの住む村とは異質の掟を感じ取っていた。口上の前半のへりくだった調子に比べ、「このところの喜び、他へはやらずゥー」と引きずる抑揚が、誇りと驕りと呪縛を含んでいることに気づくのだ。
それは、綱火そのものが門外不出の形で継承されてきたための残滓といってもいい。
排他的な声の色合いを多くの観衆も感じ取りながら、それでも圧倒的な魅力に引き込まれてしまうのだった。
地上八メートルほどの高さに張り渡した親綱を揺らして、最初の演し物『二六三番叟』が櫓から放たれる。
提灯を付けた人形が、仕掛け花火の火と煙に包まれて、前後左右の引き綱に操られて派手な所作を繰り返す。首をぐるりと回転させ、一瞬のうちに四囲の見物人に表情を曝すのだ。
その人形が呪い師(まじないし)を意味することなど知る由もなかったが、その夜の芳夫はお伽噺の登場人物のように空想し、わくわくした気持ちで目を見開いていた。
ただ、森に向けた背中がひやひやする。気味の悪さから逃れるように、芳夫は人垣の隙間を前へ前へと潜り込んでいった。
人形が綱の果てまで行き着くと、大きな音と共に森の上で花火が開いた。
人びとの顔が一斉に上を向き、ため息にも似た歓声にのって菊の花弁が虚空に消える。
渇望してきた享楽と儚さの実現を目の当たりにして、人びとは命ある悦びを噛み締める。
死者に対するおのれの優位を感じるのは、こうした時だ。他者よりわずかに多く手にした時間に千金の価値を見出す。
無意識裡に打ち上げてきた花火を、現実の花火とシンクロさせる場所が此処だともいえる。
村人の歓喜の渦が示すものは、古今東西、間違いのはずはなかった。
次の演し物『高岡丸の舟遊び』が終わると、いっそう激しく燃え盛る火煙の中を、亀に乗った浦島太郎がゆらりゆらりと親綱を渡り始めた。
賑やかなジャカニク囃子にのって、綱を操る引き手の動きもリズミカルになる。体ごと大きなうねりに翻弄されるように、引き手冥利の歓びを抑え切れないのだ。
竜宮城を模った飾り小屋から、歓迎の乙姫様が侍女と共に走り出て、浦島太郎を迎える。その着想が観衆の心を捉え、興奮の頂点に導く。
芳夫もまた父の存在さえ忘れ、身を乗り出すように見入っていた。
絵本で見たことのある浦島太郎の腰蓑も、絶え間なく噴き出す火花の簾越しに確認できた。
目に映った光景は、いっそう鮮やかな記憶となって脳裏に像を結びなおす。
心の襞にしっかりと焼き付けられた幻惑の進行は、煙火の幕の奥から目を、耳を、鼻を刺激して、いつまでも五感をを疼かせるのだった。
十数メートルも張り渡した綱が、縦横に伸びている。
その綱の上から、一段と火勢を増した仕掛け花火が滝のように火の粉を降らせる。
巫女の舞い踊りといった古風な操り人形に心を奪われているうちに、村人たちの祭りはいつしか終盤に差しかかっていた。
止む事のない笛と太鼓に鉦の音も混じって、賑やかだったお囃子がどことなく調子を変えている。
明らかに終息に向かう息遣いで、それまで時間の経過を忘れていた人々が、ふと我に帰る瞬間だ。
丸太で組んだ櫓の上で、いましも人形を引き寄せにかかった数名の引き手が、神と一体になった祭りを愉しむように手足を躍らせる。
人形に伝え、人形から返された体の動きが、引き手の手元であからさまに収束される。
それぞれの受け持つ部分ごとに、微妙な動作の違いとなって波打つように治められたのだ。
頭部(かしら)を演じ切った頭領は、無事に役目を果たし終わって、満足げに仲間と言葉を交わす。
森の背後で、奉納終了の雷電光が空に弾ける。
綱火の合間を縫って打ち上げられていた奉納花火も、これで打ち止めである。
主役が降りて、舞台は無人になる。
広場に残るのは、例祭の建て行灯と提灯の明かりだけとなる。
あとは蠢く人びとの影ばかり。
芳夫は急に心細くなって、父親の手を探った。
一家は押されるように神域を外れ、一瞬方向を失ったように立ちすくんだあと、西南方向に足を踏み出した。
帰りの道は、終始宙を飛ぶような感覚につきまとわれた。
星明りの下、足を降ろす地面が不確かで、恐るおそる着地するといった状況が続いた。
芳夫は、自分が転ばないのが不思議だった。父親の腕力に引き上げられていたことにも、気づかなかった。
母親も、無言で父の後に付き随っていた。
何時に帰り着いたのか、井戸端で足を洗い、柄杓で一杯水を飲んだまま、母の敷いてくれた布団に転がった。
あっという間に眠りに落ちたようだ。
二、三日の間、芳夫の頭の中で火花が飛び散った。
空中で撓み、踊りあがる麻綱の黒い影が、煙火を割って目の前に伸びてきた。
『いばらき観光スポット』などと、積極的にPRする媒体が増えた。
テレビ、新聞、雑誌、ラジオ等、<綱火>についての案内や紹介記事も、ひところとは比べ物にならないほど増えている。
祭り好きの若者たちも、古くから継承されてきた伝統の儀式を、それぞれの感覚で受け止めているように見受けられた。
「たまには、見に行くんだろう?」
「なに、綱火かぁ」
「うん、盛大にやってんだろう・・・・」
「子供らが行ってみてぇっんで、去年行ったよお」
「それはよかった・・・・」
親が子に伝えられるものは、そう多くはない。
父に連れられていったときの記憶が、姉の中でどう膨らんでいるのか。そんなことまで斟酌する気はないが、こうして引き継がれたことを知るのはほっとする出来事であった。
芳夫は、自分が故郷にとっての厄介者であることを再度認識した。
頑なに帰郷を避けてきた変わり者に、ふるさとも同級生もいい顔を見せるはずがないのだ。
(俺にとって、父と見た綱火があればいい)
負け惜しみかもしれないが、二度と見る機会がないであろう綱火を想い出の頂点に据えた。
人一倍愛おしく思う父や母の温もりを秘めた記憶。素直になれれば、この地を厭うこともないはずだったが・・・・。
「学園都市まで新線が通るんだってな?」
「ああ、そんな計画らしいが、そう簡単に出来っこあるめえよ」
姉がこうした話題に深入りしたがらない理由は分かる。
「だって、路線計画沿いの土地は、えらく値が上がっているというじゃないか」
「噂ほどでもないって話だど」
過少に伝えたい口ぶりに、芳夫は苦笑する。
わずか数キロの隔たりとはいえ、この地区と新線が通過する地域とでは狂騒の度合いがまるで違うのだ。
だから、かの地の高騰をありのままに認めたとしても、いま居る家の軒先に僥倖が訪れているなどと誰も思いはしないのだ。
年を経て、学園都市や新線の恩恵をこうむる日が来るかもしれないが、所詮渦中にある場所とは違うのだ。
いま思惑を隠すほどことはあるまいに、というのが芳夫の苦笑の理由であった。
「ところで、松右衛門は息子を不動産屋に仕立てて、沿線を買いあさっているらしいね」
「んだ。親父も顔負けの勢いだど」
「蛙の子は蛙か・・・・」
疎開するに当たり、父が貸家を世話してもらった遠縁の旦那の話だ。
世話にもなったが、終戦直後から周旋の手腕を発揮していたことになる。
「親父はたまにミスもすっけど、息子の方はほんとのプロだっぺな」
大手の開発業者に伍して地権者を口説き落とす息子の活躍が、田舎の生活に慣れきった村人たちを瞠目させているのだ。
芳夫にとっても多少気にならないことはないが、むしろそうした話題の過程で聞いた事実の方が驚きだった。
松右衛門が庄さんの面倒を見ながら、二束三文で土地を買い取ったとの話は、芳夫にとって初耳だったのだ。
競うように援助を続けていた役場と悶着を起こしたらしいのだが、どのみち魂胆を隠していた両者の思惑を知って、いっそう遣り切れない思いが増すのだった。
残り少ない夏休みを、沼での水遊びや魚釣りに費やしても、芳夫の心は綱火の夜に舞い戻っていった。
神の森と空の天蓋が造る空間に、煩悩浄化の火花が乱舞した夢幻の一刻が、芳夫の魂を奪い取ってしまったかのようだ。
腑抜けになった芳夫は、水遊びの最中に田舟の縁から手を滑らせて、したたか水を飲んだ。
泳ぎの距離を見くびって、戻ってきたとき体を引き上げる余力を残していなかったのだ。
溺れる恐怖を初めて味わい、青ざめた挙句、親への報告を腹中に納めた。
嘘を隠し続ける苦しさと同様の痛みを、へその周囲に感じた。
家に戻ってからも腹を押さえ、何度も便所に通った。
「おまえ、アイスキャンデーでも食い過ぎたんと違うか」
自転車の荷台に空色のアイスボックスを括りつけて回ってくる小父さんから、二日続けてアイスを買ったことが筒抜けになっていたのか。
たまたま遊び仲間の学童と、地中に埋まっていた鉄くずを掘り出して小銭を得たことがバレていたのか。
ともあれ父の見立てでは、冷たいものの食べ過ぎと、沼での水遊びで腹を冷やしたのが原因だろうとのことだった。
芳夫は人に言えないニガリのようなものを抱えて、夏休みの後半を過ごした。
買い食いはもとより、末成りの西瓜さえ禁じられて日々を送った。
それでも音を上げずに抗していると、体の中に黒く強靭なものが育ってきた。
夏休み前のひ弱な自分が少し変わってきた気配があり、腹のあたりに一筋では引き下がらないしぶとさが屯しているのを感じるのだった。
(水辺に打ち捨ててきた盆綱は、どうなったのだろう・・・・)
それまで考えもしなかった疑問が、突然脳裏をよぎった。
朽ち果てるまで抛っておくのか、大人たちが処理しているのか。
子供だからと最後まで見届けずに免除されていた事柄が、がやがやと寄り集まって芳夫の胸にしゃべりかけてきた。
にわかに気になりだした夏休みの宿題と、もう一つ厄介な宿題を抱え込んだ。
芳夫の表情は憂鬱そうにも見えたが、そうした表情の下に覚悟のようなものも見られ、案外心配するほどでもないことを父親は見通していた。
「勉強を怠けなければ、山羊を飼ってもいいぞ」
責任を持って飼育する能力を認められたことで、芳夫は勇躍二学期になだれ込んでいった。
子山羊の面倒を見ながら、ときどき綱火の人形たちを思い出した。
秋から冬を箱の中で眠って過ごす操り人形を想像した。
眠っていながら、門外不出の掟を吹き込まれる古びた人形たちを想い描いた。
煙火の奥に隠された不滅の命を感じ取りながら、芳夫の夏はようやく終わろうとしていた。
(続く)
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「綱火」っつうのがいよいよ始まり、その精緻な描写にはおったまげたです。周囲の自然、関係者の息遣いに加え、主人公の少年の心理状態など。
そして、村落の動静に変化が生じていくとともに、少年の夏休みも終わっていく。
となると、この先、この物語はどのような展開をみせてくれるんでしょうかね。
興味津々、次回を待ちますよ。
桜パパの≡Slowlifeです(。・ω・)ノ大阪から発信遊泳中です
遊びに来ました、宜しくお願い致します。☆彡
今日も笑顔で(*⌒ー⌒笑)o『笑う門には福来る』感謝♪