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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)77 『人生とんぼ玉』

2012-10-06 04:08:34 | 連載小説

      (人生とんぼ玉)


 大蔵さと子が工房を辞めたのは、秋が本格化した九月下旬のことだった。
 ヨシキにとっては、先輩でもあり憧れの女性でもあった。
 ガラスの扱い方を丁寧に教えてくれただけでなく、仕事を超えて近しい存在になっていた。
 ヨシキが所属する工房では、主にアクセサリーに関する素材や技法を研究している。
 顧客のニーズを掘り起こして、さまざまな装飾品にトライする試作室みたいなものだった。
 経営者である寺田瑛彦は、奇抜なデザインと新旧の素材を融合したユニークな作品を発表して急速に頭角を現してきた装飾デザイナーだった。
 輝石をポイントにしたバッグやハイヒールなどを、一点物として女優やモデルに提供していた。
 さと子はもともとネイルサロンで働いていたのだが、客との会話の中で寺田瑛彦の存在を知り、創造的な仕事がしたいからと弟子になった。
「給料なんて出ないよ」
 瑛彦は初め、大蔵さと子に冷淡ともいえる態度を示した。「・・・・要はセンスの問題だから、教えることなんか何もないしね」
 その代わり、工房にある道具と材料を使って好きなものを作ってもいいとの許可が下りた。
 技術は、瑛彦の仕事を見て勝手に学べという。「一応できた製品は審査してあげるけど・・・・」
 そう言いながら、瑛彦自身は肝心の制作過程を明かさず、さと子が退出してから仕上げをおこなっているらしかった。
 デザイナー特有の利己的な振る舞いにもめげず、さと子は瑛彦のためにさまざまなアイデアを提供した。
 反発する感情が逆に作用したのか、瑛彦といつの間にか深い関係になっていた。
 瑛彦の技術を盗み取ってやろうとする下心がなかったわけではない。
 だから、瑛彦に抱かれたときミイラとりがミイラになったと自嘲する声が頭の中でひびいた。
 それでも、ふたりが接近した効果はあった。
 瑛彦が西洋的な発想に囚われているとき、さと子がさりげなく和風のアクセントを進言したこともある。
 さと子は備え付けのガスバーナーを使って、江戸時代から伝わるとんぼ玉のバリエーションをつぎつぎに考案した。
 そんなもの誰でも作れるよとバカにしていた瑛彦だったが、透明ガラスのコーティングで輝きを増すさと子のとんぼ玉に内心魅かれていた。
 ガラスと玉石を組み合わせた装身具、ビーズに小さな貝殻を配するチェーンなども、古い文明を連想させる効果があった。
 一風変わった印象を発信するネックレスやブレスレットは、狙い通り有名マダムやタレントたちに注目された。
 さと子のアイディアに瑛彦が手を加えると、ドレスでもブーツでも輝きを増した。
 瑛彦のもとへ、問合せの電話が増えた。
 客の注文を受けると、実際に奮闘するのはさと子であった。
 工房に入り浸り、客の期待を超えるものを制作して瑛彦を喜ばせた。
 ヨシキが入社したのは、その頃のことだ。
 さと子は、後輩のヨシキを指導できるほど腕をあげていた。
 評判を呼ぶだけあって、寺田瑛彦と大蔵さと子のコンビによる着想は大方の意表をつくものだった。
 頭の先から足元までのオールラウンダーである瑛彦は、目立ちたがり屋の女性たちの注文を受けてさまざまのアクセサリーを提供してきた。
 最近のヒット作は秋物のベレー帽で、空色の生地に鬼やんまの図柄をあしらい、二つの目玉にさと子の作ったとんぼ玉を縫いつけた。
 一瞬で秋の風景を想わせるセンスが、話題を呼んで女性誌の表紙を飾った。
 素人でも作れるとんぼ玉だが、目玉に使った黒と黄色の配色がいかにも印象深かった。
 同時に発表したベージュの色変わりベレーには、秋あかねを配して見る者を刺激した。
 しかし雑誌には、デザイナーとしての寺田瑛彦の名前しか表示されなかった。


 それが業界の常識と思いつつ、さと子には寂しさが残った。
 もっとも瑛彦からみれば、弟子の習作を試しに使ってやったぐらいの感覚だったろう。
 未だに低い賃金で働かせる瑛彦にしてみれば、さと子の評価を抑えておくことこそ重要な策だったのかもしれない。
 一方、客の中には瑛彦を独占したがる女も現れ、それが他の女を刺激してさや当てを繰り返していた。
 (いい歳をしてみっともない・・・・)
 さと子は、瑛彦をめぐって争う女たちの行動を苦々しく思っていた。
 瑛彦と関係があるといっても、さと子の場合は召使いなみの扱いだ。
 瑛彦の行動をたしなめることなど考えられず、ひたすら彼に従って装飾品を作りつづけた。
「先生なんて呼ばれるものだから、あの男ちょっと調子に乗りすぎているんじゃないですか」
 やっと工房での作業に慣れてきたヨシキが、瑛彦に対する批判を漏らした。
 それはヨシキ自身の思いというより、姉貴と慕うさと子の心中を代弁したものだった。
「そんなこと言わないの。先生のデザイン小物は発表するたびに奪い合いになるんですよ。お客さんはみんな自分だけの人にしておきたいのよ」
 さと子は、ヨシキがうっかり口を滑らせたりしないように釘を刺した。
「どうでもいいけど、狂ったように渦を巻く蚊柱みたいだ・・・・」
 ヨシキは、故郷の干拓地で見た蚊柱の光景をさと子に話して聞かせた。
 天まで達するかと思うほど巨大な渦が、次々に発生して夕刻の岸辺を白く煙らせた。
「へえ、怖いみたい。巻き込まれたら全身刺されて火ぶくれになっちゃうじゃない?」
「いや、それは、本物の蚊じゃないって聞いたけど、とにかく渦の中に入ったら息もできないはずですよ」
 ヨシキに詳しい知識はなかったが、彼の見た蚊柱はユスリカの集団で、メスの周りに交尾目的のオスが大量に寄り集まった現象なのだ。
「アハハ、先生も年増女に囲まれて窒息しちゃうかもね」
 毒のある言い方に気づいて、ヨシキは溜飲の下がる思いをした。
 ユスリカの場合とはメスオス逆の関係だが、そんな事実はヨシキにはまったく関係なかった。
 さと子にしても、瑛彦をめぐる女たちの印象を蚊柱に例えたヨシキに共感しただけだ。
 さと子の抑えられていた感情を、なにかが根底で揺さぶった。
 さと子をクリエーター、瑛彦をアレンジャーと言ってはばからないヨシキに、弟に対するような愛しさを覚えた。
「ヨシキくん、うちへ寄って行く?」
 誕生祝いにかこつけて、独り暮らしのアパートに招待した。
 ビールで乾杯し、手づくりの料理でもてなした。
「さと子さんの才能、このままでは利用されるだけですよ」
 ヨシキは心底さと子の産み出す装飾素材に惚れこんでいて、彼女を正当に評価しない瑛彦を憎悪した。
「オリジナリティはないのに偉そうにしている奴って、結構いるんだよね」
 使い古しの畳表を裏返しただけの作品をつくり、あたかも第一人者のようにふるまう演出家を念頭に置いていたようだ。
「もっとも、名作のタイトルを我がもののように使って恥じない業界だからね・・・・」
 矛先はよそに向けられていたが、瑛彦に対する嫉妬すら感じられる譬えだった。
 さと子は困惑しながらも、盲目的に慕われているのを感じ悪い気はしなかった。
 そうして内密の会話を共有する関係ができ、訪問が何度か重なるうちに、さと子はヨシキの一途な気持ちを捌ききれなくなっていた。
 クリスマスイヴの夜、瑛彦からの誘いがないことの腹いせもあって、さと子はアパートの部屋でヨシキの情熱を受け容れた。
 歓びと悲しみの入り混じった後悔が、明け方になってさと子の頬を濡らした。
 (あたしって、弱いんだなあ)
 目的も覚悟も失って、ただただ女々しい女になったことを思い知らされた。
「さと子さん、ぼくと一緒に工房を立ち上げましょう。いいものさえ作れば、誰かが注目してくれますよ」
 世間に疎いヨシキの提案に、さと子の気持ちはいっそう沈んでいった。


 少し元気をなくしていたさと子は、ある日突然工房から姿を消した。
 社長の瑛彦と何らかの話し合いがあったのか、ヨシキにはそれすらわからなかった。
 工房に現れた社長は、最初さと子が風邪でも引いたのだろうと大して気にとめていなかった。
 だが二日目には、あわてた様子でヨシキに何か聞いていないかと探りを入れてきた。
 瑛彦にとっても寝耳に水の出来事だったのか。
 ヨシキはさと子の携帯に電話してみたが、何度試みても着信不能の音声が戻って来た。
 もちろんメールもダメ、さと子が意図して連絡を絶っているのは明らかだった。
 ヨシキは不安と猜疑心に駆られ、落ち着かない時間を過ごした。
 仕事など手に付かず、うろうろと室内を歩きまわって連絡をつける手段を考えた。
 社長の顔にも焦りの色が現れていた。
 さと子に対する自分の仕打ちを思い出して、気を重くしていたのかもしれない。
 ヨシキは、さと子の行動を推し量り、このまま姿をくらますつもりかもしれないと自分に言い聞かせた。
 置き去りにされ、心身を嵐に翻弄された気分だった。
 これも元をただせば社長の落ち度じゃないか。いざとなったら、ぶん殴って辞めてやる。
「・・・・社長、さと子さんの実家がどこかわかりませんか」
「え? そんなこと調べてどうするつもりだ・・・・」
 瑛彦が眉をひそめた。
「だって、アパートは引き払ってるし、電話もつながらないんだから、彼女の田舎に行ってみるしかないでしょう」
「だけど、きみがそこまでする必要はないだろう」
 不快さが唇の端に現れていた。
「必要ありますよ。お世話になった先輩が自殺でもしたらどうするんです?」
「まさか・・・・」
 履歴書を見れば本籍が明らかになるはずだから調べてください。
 ヨシキに追及されて、寺田瑛彦はしぶしぶとさと子の田舎の住所を書き写してきた。
 本籍地と故郷が同じとは限らないと、社長はさと子の実家を訪ねることに消極的な見解を述べた。
「いいですよ。ぼくが行ってみます」
 ヨシキが挑むように瑛彦の顔を見た。
「じゃあ、旅費は出すから、会社の依頼で来たように伝えてくれないか」
「・・・・」
 一瞬、瑛彦の顔をみつめ直したが、怒るよりも宿泊料金と交通費をせしめた方が得だと判断した。
 さと子の本籍が飯田市の在と判明したので、長野までの新幹線と飯田線のJR乗車料金、それに通常の宿泊代を請求した。
「親に会ったら、よろしく言っといてくれ」
 (やっぱりこの男、生涯アレンジャーのままだ・・・・)
 瑛彦のご都合主義的な人生を見せられて、ヨシキは深く物想いに沈んだ。
 (さと子さんは、間違っても田舎なんかに帰らない)
 それは確信に近いものだった。
 だが、そんなことはおくびにも出さず、社長の差し出す数枚の一万円札を受け取った。
 ポケットに収めると、万札が声を合わせて笑った。
 (俺たち、無駄足は踏みたくないからね)
 ヨシキは、指先で「わかったよ」とサインを送り、さと子の実家を訪ねたふりをして経費をフトコロにすることにした。
 冴えはじめた勘によれば、さと子はネイルサロンの業界に戻っている気がする。
 同じ店ではなくても、飯田市よりは東京寄りの場所でネイルの仕事に就いているはずだ。
 瑛彦もヨシキもあわてているが、女はもっと強かなのだ。
 二人の男と寝てしまった以上、いつかは修羅場を味わうことになる。
 とりあえず磁場を離れて、ほとぼりが冷めるまで身を潜めていようと考えたと思うのだ。
 そしてある日突然、さと子は装身具デザイナーとして登場する。
 脚光を浴びるまで雌伏七年、いや十年か。
 ヨシキの推理が当たっているかどうかはわからない。
 いつかは判明するのか、それとも永遠にわからないままなのか。
 よくよく考えてみれば、人生なんて風吹かれ鴉のようなものじゃないか。
 空腹によろめくこともあれば、鐚銭(ビタ銭)にめぐり合うこともある。
 紋次郎ばかりが、渡世をしているわけではない。
 さと子と寝た日、取ってつけたような提案をしてみたが、すぐに見破られた。
 賢明さにほっとする一方、うっすらと空を覆った憎しみの感情が白い膜をつくった。
「社長、さと子さんは田舎には帰っていませんでした。それどころか、世間体が悪いから二度と来ないでくれと追い返されました」
 その場で退職を願い出て、僅かばかりの賃金を清算してもらった。
 さと子を仲介してしか、瑛彦との関係は成り立たないのだ。
 白けた雰囲気から、早く離れたかった。
 (こんな経験が、これからの人生で役に立つだろうか)
 さと子への執着が、徐々に冷めていくのを感じた。
 鬼やんまの目玉の方向が、右左で微妙に違っていたことを思い出していた。
 自然の中の蜻蛉は、たとえ片方ずつ目玉を動かしても、あのような違和感を生じさせないだろう。
 三者三様、人の営みにはそれぞれの暗闇が隠されている。
 ヨシキには、これから堕ちていく自分の姿が視える気がした。
 そう思うと、さと子や瑛彦の行く末もなんとなく許せる気持ちになっていった。


     (おわり)





  


 
 





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