磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

202 すり替えテクニック!?

2008年06月21日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


八、浮気は女の甲斐性よ!




202 すり替えテクニック!?


オカネスキーは若い人たちが書きこむ掲示板が好きである。

「あの通り魔殺人の気持ちがよくわかるという若者がいるのには、驚いたわ。でも、今の若者たちが、ひどい状況にいることがよくわかるわ! それに女は責任があって、仕事に生き、夫子を食わせるなんて社会の規範があるから、それがプレッシャーになっているのね」

テレビでは政治経済を専門とするジャーナリストが話す。

「たしかに格差社会でしょうね。そして自殺者も年間3万人以上が続いていますね。しかし、鬱病がその原因だといいます」

「何を云っているんだね、鬱病の原因が格差社会だろう! これだけ、わんさか患者が増えるんだから……」
と、田辺聖子でも怒る。

「まあ、それはあったとしても、経済が停滞していた時期の自殺者ではなくて、経済がよくなってからの自殺者で、これで経済だけが問題ではないと思います」

「それはそうだろう……、人間の結びつきがあったら、止められるだろう……」
田辺聖子らしいコメントである。自殺する人間がどのような人たちであるかもわかっていない。

「そうでしょう。もっと、人間の結びつきを強めるようにしたらいいんですよ」
とジャーナリスト。

オカネスキーは呆れていた。

「あのね、経済はよくなかったといっても、儲けているのは外資と一部の人たち、一般の人たちはますます貧しくなっている人もいるわ……。格差社会といっておいて、よく言えたものね。とんで茶番談義だったわ」

「そうね、オカネスキーがいう方があっているわね」

「本当! ひどいのがいるのよ! ローラ大統領がイラクで戦争をおこしたのは大義なき戦争よ。罪もない子どもを大勢殺したのよ。それでも、弾劾裁判でさばけなかったら、ローラ大統領が正しいように宣伝しているのよ。これもすり替え、騙しのテクニックよ!」

法がいつも正しいとは限らない……。

「悪法も法なり……。これは、きちんとした法改正をしないといけないわね」

日本では悪法も法ならば、従えと間違って暗記している人もいるが、本当の意味はそうではない。

アメリカの兵士たちが、どんなにひどい戦いをして、彼らを心身ともに傷つけているか……。

そして戦費はあまりにも莫大で、こんなことを2~3年続けていれば、アメリカは破産するという……。

こんなローラ大統領を弾劾できない法律のほうがおかしいのである。アメリカのためにもならないのである……。

--ゆえにリベラルな人たちならば法改正は必要であるというだろう……。

しかし、感情で裁くことができたら、その国はもっとひどいことなるだろう……。

--それは、古今東西の歴史で証明されている。法の支配は大切なことである……。







閑話休題

炊飯器がこわれて、

ご飯を鍋でもたけるのですが、

めんどうで、レンジでチンにしました。

やはり、炊飯器のほうがいいですね。

でも、思っていたより、おいしかったです。











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地球をまわる放射能 核燃料サイクルと原発

2008年06月21日 | 読書日記など
『地球をまわる放射能 核燃料サイクルと原発』
   市川富士夫、舘野淳(著)/大月書店1986年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「ウラン探鉱から放射性廃棄物の処分まで、原子力発電の全工程に光をあてて、その安全性を総点検。技術的メカニズムを平易にかみくだきながら、社会的な意味を探る。国境と世紀を越えた全人類課題に挑む格好の手引書。」



チェルノブイリ事故の原発は独自開発だったという。下「」引用。

「チェルノブイリ原発は、二%の低濃縮ウランの酸化物を燃料として用い、中性子減速材に黒鉛、冷却剤に軽水(ふつうの水)を使うチャンネル型あるいは圧力管型といわれるタイプの原子炉であった。これは、ソ連が独自に開発したものである。」

型がちがうから大丈夫だとは言えないという。下「」引用。

「ところで、ソ連の事故は原子炉の型が違うから日本の原発は大丈夫という安易な議論がある。しかし、スリーマイル島原発の事故は軽水炉の安全性に疑問を投げかけ、ウィンズケールの事故は発電炉ではなかったが、同型の炉はその後も発電に用いられており、黒鉛減速ガス冷却炉の歴史に重大な汚点を残した。方式は違っても大量の危険物を内蔵する点では変わらないし、流体により原子炉から熱を取り出す点でも同じである。また、中性子吸収材をふくむ制御棒の移動で炉を運転する点でも共通している。」

実証炉という名前だが、実証炉ではなかったという。下「」引用。

「わが国の電力会社もアメリカのメーカーの「軽水炉は実証炉である」との言い分を鵜呑みして「昭和六十年六千万キロワット」という途方もない計画を立ててこれを導入していった。“実証炉”というのは安全性が実証されたという意味であるが、これが誤りであったことは、一九七○年代において、蒸気発生器細管破損、圧力容器や配管の応力腐食割れ、燃料破損などの事故・故障が続発し、平均稼働率が五○%以下に低下し、大量の労働者被曝を出したことを見ても明らかである。」

住民運動があったという。下「」引用。

「第三は、住民の運動である。これはさまざまな形態をとったが、中心は再処理工場の安全性への不安から始っていた。行政不服審査や差し止め訴訟など、法的手段に訴えたものはすべて却下された。労組や民主団体の協力で「茨城県民を放射能公害から守る会」が結成され、学習会、アンケート、県への申し入れなどに活躍し、日本科学者会議茨城支部も、『この海もこの空を放射能で汚すな』というパンフレットを数千部普及した。」

東海再処理工場と日米政府……。下「」引用。

「東海再処理工場のホット・テストを始める段階では、カーター政権の誕生でアメリカの核不拡散政策がいちだんと厳しくなり、再処理はいっさい認めないという政策がかかげられていた。このままでは、せっかくつくった東海工場も、八条C項をたてに使用できなくなるということで、予定されていた福田首相とカーター大統領の会談にこの問題を押しこみ、日米共同声明のなかで「今後両国政府にとって困らない解決策を見出す協議会を重ねていく」ことを約したのである。これにもとづいて、いわゆる日米再処理工廠が重ねられ、一九七七年九月に再処理工場運転再開の合意に達した。アメリカはプルトニウムを単独で取り出すことを嫌い、さまざまな代替方式(たとえば混合抽出法)を提案してきたが、それには相当の費用と時間を必要とした。日本側は技術的に不可能であることを主張し、結局、日本のペースで話がまとまった。しかし、アメリカの合意がなければ再処理工場も動かせないというこの事件は、原子力問題での日本の自主性がいかにないのかを示す典型的なものであった。」





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横から見た原爆投下作戦

2008年06月21日 | 読書日記など
『横から見た原爆投下作戦』
   秋吉美也子・著/元就出版社2006年

この本では、北九州で高射砲によってB29が撃墜されたと書かれてあります。
--この本は、推理小説でいえば物証をきちんとみていると思えますが、犯人の心理まではとらえていないとボクは思えます……。同じことでも違う意味をもつことがあると思います……。



経済力と指導者の意志が違ったと書かれてありました。下「」引用。

「B29の恐ろしさは一機二機を撃墜しても体当たりしても、或うに次々と数が増えることでした。行く着くところは技術だけではなく、経済力と指導者の意志でした。」

毎日新聞が伝えたという。下「」引用。

「一九五四年(昭和二十九年)八月八日の『毎日新聞』が、長崎原爆の投下責任者、フレデリック・アシュワース海軍大佐の談話を載せた。『忘れ得ぬ長崎原爆』『第一目標は小倉だった』-略-「小倉上空は霧が深く、その上、前夜の八幡空襲の火炎の煙で見えなかった」。」

前夜に八幡を空襲していたのである。

その空襲は、八幡の人たちを、小倉に逃げ込ませて、大量に殺戮する計画だったのかもしれないという……。

しかし、小倉の原爆投下はレーダーでも許可されていたが、長崎に向ったという。

八幡の空襲のさいに高射砲でB29が一機撃墜されたという。下「」引用。

「前日、八幡爆撃部隊の一機を撃墜したのもこれかもしれない。アシュワースは「高射砲弾が飛行高度に届いた」ことに脅威を感じた。」

原爆搭載機は撃ち落としたら原爆は? 下「」引用。

「長岡半太郎、嵯峨根遼吉らの物理学者は、「搭載機を撃墜したら原爆が爆発するかどうか」と軍人に質問されて困惑した。前例のないことで、どちらとも判断できない。二重三重の安全装置がかかっているはずで、銃を取り落としたら暴発する、というようなものではない。日本人は学者を信じた。飛行士は広島のことはほとんど知らなかった。まだ被害写真は公開されていない。」

著者とヒロシマとの関わり……。下「」引用。

「広島、長崎とのつながりは多くない。一つは高校生のころ永井隆博士原作の「この子を残して」の劇を観たことがある。すっかり忘れていたのを最近ふと思い出した。まだ占領下であったと思う。これは検閲を経ず密かに行なわれたのかも知れない。直方の芝居小屋で暗い舞台であった。もう一つは昭和四十年ころである。浜井広島市長一行が渋谷の三井銀行の入口で原爆ドーム保存のためのカンパをしていた。目標の四○○○万円を突破、最終的には七○○○万円に達したという。」


米国の宗教界と知識階級は、「歴史上の汚点」と原爆使用のことを考えているそうです。
--すべての人とは思えませんが、そういう人もいるのでしょうね……。









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長岡弘芳詩集-方向感覚叢書1-

2008年06月21日 | 読書日記など
『長岡弘芳詩集-方向感覚叢書1-』
   遠丸立・編/方向感覚出版1995年

原爆小文庫をつくってくれた長岡さんの詩集です。



■目次・主なタイトルのみ■
詩集〈望郷詩篇〉から  8
詩集〈愛猫詩篇〉から  22
小詩集〈花と虫 猫や人〉から  64
遺稿集〈さあ馬にのって〉から 70
 長岡弘芳略年譜  105
 解説 遠丸立  107



詩のなかに、“風の又三郎”が出てくる。
--長岡さんも、宮沢賢治が好きだったんだろうなあー。

原爆の詩も作られています。下「」引用。

「原爆死者に託してうたう

君、ちょっと寄って行かないか。
ここは広島の地下の洞窟
そこは長崎の あのときの暗がりの底。
 君の足許に 君には見えぬだろうが
 醜くころがっているのがぼく、
 ぼくのしゃれこうべ
 その向こうに砕けて散っているのが
 ぼくのきょうだい
 ぼくたちの父、母、兄、妹
 むすうの同胞たち。

-略-」

人類に対しての目が健全だとボクは思う。

本質的に詩人だったと「解説」に書かれてありました。下「」引用。

「長岡は、評論家、運動家であるより本質的に詩人であった。彼の生きかたそのものが、詩人と呼ぶ以外呼びようのないしろものなのであった。ノーマルな生活者感覚からはみだす部分が、日常行為の到るところにギラギラする瞬間があって、私など辟易もし、ポカンとし、不快も異和も覚えたが、いま思えば、それは詩人の粗地のざらざらした突起、あるいは窪みの内部の、どうしようもない露出の瞬間なのであった。彼の晩年、派手なケンカをしたこともある。
 照れ屋でもあった長岡は、「仮性近代詩人」を自称した。」










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ほるぷ150ブックス   徹底討論 原発、是か非か

2008年06月21日 | 読書日記など
『ほるぷ150ブックス
  徹底討論 原発、是か非か
    ディベートでわかる原発の過去・現在・未来』
      杉原正和・著/ほるぷ出版1991年

この本も古い本となりました。
--今となってはこの本についても、別の見方ができるのではないでしょうか?



世の中で真実を見つめようとする人が少なくなりましたね。

事実をゆがめる人たちさえも多数おられます……。

世の中はずっと、こうではなかったんですよ。

ディベートなどというのが出てきたとき、これは困ったものだとボクは思いました。

まやかしの論理に思えたからです。


原発こそふわさしいという。下「」引用。

「原発のように、それこそ賛成と反対の意見が入り乱れている問題こそ、ディベートにもっともふさわしいと思います。-略-テーマ : 『原子力は必要か不必要か』」

原発の危険さは科学の問題であると思う。話し合いで変化するものではないと思う。

「反対側第一反論の要点」で書かれてある。下「」引用。

「・石油以外に、コストがかかるが、オイルサンドやオイルシェールがある。
・自動車は、石油以外にもアルコールや天然ガスや電気でも動かせる。
・現在のような大量の自動車は必要ではない。
・石油を長く使う必要はあるが、それは原発なしで可能である。」

この問題を解決することが大切なことだったのではないか?

予算も時間もこのことに使われるべきだったとボクは思う。

これも、本当にそうだと思われているのでしょうか? 下「」引用。

「ディベート(正確に言うと、政策ディベート)によって、価値観や利害だけの議論をこえて、政策の現実性は厳しく検討する力が養えると私は考えている。論点や利害の対比を明確にし、賛否の意見を厳しく対立させることによって、より理性的な議論に発展できるからである。」

この本ではこう書かれてあります。下「」引用。

「ディベートを日本語に直すと討論という意味になりますが、ふつうディベートというと、欧米の大学でよくやられている討論方法のことをさすのです。簡単にいうと、「討論ゲーム」といえばわかりやすいですね。」

ディベートはゲームではないと、外国人が怒っていましたよ。

--はじめから、答えが決まっていたら、それは討論というよりも、傲慢のかまし合いですね。

推進派が、正当であるかのように伝える手法だったようにボクには思えます。

【追加 2008年6月22日】

推進は問題にしたままで終れるのも、また勝利としていると書く人がいます。

迷宮入りにすれば、原発が建てられるという現実があるからかと思います……。

--迷宮入りする問題ではないとボクは考えます。

原爆から生まれた原発!

核兵器が人類に必要ないように、こんな巨大で凶暴なエネルギーはいりません。

もし、人類のことを考えず、金や地位を求めるならば、その時は必要となるでしょうが……。










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