磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

九州大学公開講座11 核を考える

2008年06月01日 | 読書日記など
『九州大学公開講座11 核を考える』
   九州大学公開講座委員会・編/九州大学出版会1985年

核兵器のことが書かれてあります。九大だけでなく、長崎大学医学部の教授も語られているようです。



カバー・長崎 一九四五年八月九日午前十一時すぎ。(撮影・アメリカ軍 写真提供・長崎国際文化会館)

マンハッタン計画にかかわった学者たちの反対。下「」引用。

「シラードらはその後も粘り強く主張を続けます。六月には、亡命科学者のフランクを代表として委員会が「フランク報告書」を公表します。この報告書は、当時の科学者達の主張を練り上げたもので、原爆の無警告使用がもたらす無差別的破壊を見れば、世界の世論はアメリカを支持しなくなるだろうと述べています。ソ連に対する示威効果も大きいであろうが、その結果はアメリカに対する不信感を増し、国際管理を難しくするだろうと指摘しています。さらにシラードは、七月に入ると対日無警告使用を控えるよう大統領に求める請願書を起草し、数十名の科学者の署名を集めて提出しました。」

しかし、亡命科学者たちは雇われていただけのこと……。決めるのは彼らではなかった。下「」引用。

「もちろん、この決定に批判的な科学者たちがいたことも今日ではよく知られています。
 しかし、すでに軍部とモルガン・デュポン系独占資本にリードされた産軍学複合体による原爆開発=使用計画の流れは変わらず、七月四日にはイギリス政府首脳もその対日使用を承諾します。」

原爆投下の理由に、企業の論理も当然あったことだろう……。

「科学者の社会的責任」では、ハーンのことが書かれてありました。下「」引用。

「ここではまず、英国に軟禁されていて原爆投下の報を聞いた夜、ハイゼンベルクがフォン・ワイツェッカーと交わした対話(以下「対話」と略記)の要点を紹介しましょう。「対話」は、同じ収容所にいる核分裂の発見者ハーンが自殺が気遣われるほどの衝撃を受けていることについて、彼および核物理学者に罪があるのか、という問いかけから始ります。」

ゲッチンゲン宣言』で、ハーンもハイゼンベルクも核兵器使用に協力しないと宣言!

アメリカ人のなかには、ドイツは開発できなかったという人たちもいる。
--そう主張する彼らは自殺が気遣われたハーンのことなど理解できないのではないか? 

日米同盟が安全とは言いきれない。無責任な政権との同盟は困ったことになる可能性は高い。下「」引用。

「日本が米国の対ソ核戦略の前進基地であることは、米国防報告や、米国軍事情報報告で明らかにされていることです。この戦略構想は、すでに一九五七年に言われはじめましたが、この数年来、日米共同作戦として具体的な軍事対応が進展してきました。ソ連潜水艦が四海峡を通過して、太平洋へ進出するのを阻止する、四海峡封鎖や米国機動艦隊へのソ連バックファイア機の攻撃に対する防衛や艦隊への支援などが要請されています。」

もともと、日本の政府自体が無責任体制なのだから、日本国民はたまったものではない。
--いつものことですが……。

熱狂はさせられても、なかみのないことを一日も早く、認識していただきたいものです。

--熱狂以外に政権の獲得はない! 実務もわからぬ政治家!

シェルターのことについて書かれてありました。下「」引用。

「火事あらしや大火には核シェルターは耐えられるでしょうか。たとえば一メガトン核弾頭による火事あらしは、約五○○平方キロメートルに及ぶといわれています。その場合には、火事あらしがシェルターから酸素を奪うために人間は窒息するか、超高温によって焼死するでしょう。結局、シェルターは、核爆発の短期的、直接的な効果が及ぼされない距離--ミサイルの発射から爆発までの時間内にそこまで到着したとして--にあっても放射能が高いレベルにある期間の一時的な防護手段にしかならないでしょう。全面核戦争においては、シェルターから外界に出ても、そこは表3に示すように長期にわたる悪夢のような世界でしょう。」









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原爆と第二次世界大戦の終結

2008年06月01日 | 読書日記など
『原爆と第二次世界大戦の終結』
   ハーバート・ファイス(著)/
     佐藤栄一、山本武彦、他(共訳)/南窓社1974年

トルーマン大統領は原爆についてあまり理解していなかったように書かれてある本です。
この本は一九六一年刊の『日本屈服せり--危機にさらされた不滅性』の増補・改訂版だという。




ブッシュとコナント。下「」引用。

「早くも一九四三年一○月に、開発計画についての大統領の顧問であり情報提供者でもあった二人の科学者のうちの一人ヴァネバー・ブッシュ(もう一人はジェームス・コナントであった)は、一九四五年初頭には原爆がわれわれの兵器庫に格納される「絶好のチャンス」が来ると予告していた。」

そして公表することを示唆していたという。下「」引用。

「ブッシュとコナントは大胆にも、これらの可能性によって支持されていると思われる、次のような進路を勧告している。秘密を母子することで米国の優位を維持しようとするのは無思慮であろう。したがってアメリカ政府は、原爆が誇示されたらすぐこの新兵器に関する事実を公表すべきである。またアメリカ政府は、戦後の平和を維持するために形成さるべき国際的連合体の賛助による、自由な情報交換を率先して提唱すべきである。-略-狂気じみた原爆開発競争を回避するために、すべての国民にどうして原爆を製造するかをより容易に知らせることが逆説であると思われなかったのだ。」

マーシャルはソ連が漁夫の利を得ようとしてると思っていたようだ。下「」引用。

「マーシャルは、ソ連は「われわれが汚い仕事を全部し終わるまで」太平洋戦争への参戦を遅らせることができるのだから、そうするかもしれないと気づいていた。」

しかし、それはアメリカのヨーロッパ戦での作戦だったのではないか?

報告書を理解するのが苦手なトルーマン。下「」引用。

「そこでこの三人(*スティムソンら)は、原爆開発計画の経過、その現状、予想される製造日程--最初の見本は七月に実験準備完了、八月一日までには、もはや実験を要しない別のタイプの第二発目完成--および期待されるそれらの爆発力の推定などを改めて説明する二四ページのグローヴズ報告の写しを一緒に読みつづけた。大統領は、「知ってのとおり私は報告書を読むのが苦手なんだよ」といいながら、幾度もこの報告を読むのを中断した。スティムソンとグローヴスが、「でも、これ以上簡潔な文章では説明できません」と答えると、彼は最後まで読みとおした。二人の訪問者には、トルーマンは感銘を受けはしたが、驚いたふうにはみえなかった。トルーマンが、この新型兵器とこれまで一般民衆にむけて発射された大砲の強力なものとの巨大な相違を本当に理解したかどうかは、疑わしいというべきである。何年か後に彼は、第一次世界大戦時にドイツ巨砲がパリに撃ち込んだ砲弾との比較が心に浮んだと会見記者は語っている。」

広島に原爆投下された時のトルーマン。下「」引用。

「オーガスタ艦上では、大統領が乗組員と食事をしていたが、続々とメッセージが彼のもとにとどけられた。「ワシントン時間の八月五日七時一五分、大型爆弾が広島に投下された。最初の報告は、初期の実験よりもめざましい完全な成功におさめたことを占めている。」数分後に、もっと細部にわたる内容の報告があった。これらの電文をバーンズに読んで聞かせた後、大統領は、今受け取ったニュースを聞かせたいとまわりの人々に合図した。拍手喝采する人々を残して、大統領は、士官たちにこの大爆発を知らせようと士官室におもむいた。「私は、太平洋戦争が今や急速に終了するかもしれないという期待を、かくすことができなかった」と、彼はのちに回顧している。」











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「よい戦争」“THE GOOD WAR”

2008年06月01日 | 読書日記など
『「よい戦争」“THE GOOD WAR”』
   スタッズ・ターケル(著)/
     中山容他(訳)/晶文社1985年3刷

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「アメリカ人は第二次世界大戦を「よい戦争」と考えることに慣れてきた。しかし、本当に「よい戦争」などというものがあるのだろうか。国を動かして戦争をしくんだ人、国に動かされて戦争にまきこまれた人--さまざまな立場で戦争を経験した130人の人々が、ターケルの質問にこたえて、忘れはならない人類史的事件の実像をうかびあがらせる。
1985年ピュリツァー賞(ノンフィクション部門)受賞作。」



戦争は「チャンス」だったようです。下「」引用。

「きょう学校でなにを習ったのかわいい坊や?
戦争はそんなに悪くない
ぼくらの国のえらい人たちのこと
ぼくらはドイツとフランスで戦って
ぼくにもいつかチャンスがくると
きょう学校で習ったよ。
  --トム・パクストン」

熱狂をつくりだし、狂気が街を乱舞した……。
ラッセルがいったように、戦争は疫病だと思います。

目次

そして、アメリカ人は「神の選民」となったそうです。下「」引用。

「ファシズムにたいし画期的な勝利をおさめ、兵士たちはノーマルな生活にもどった。だが、祖国は、出ていったときの国とはちがう国になっていた。

 一九四五年、合衆国は地球をひきついだ--第二次世界大戦がおわると、西欧文明の残金はすべてアメリカの口座にふりこまれた。戦争は、願いごとをすべてかなえられそうな摩訶不思議なマジック経済マシーンをつくりだした。合衆国のある大陸は戦火をまぬがれ、それゆえ、合衆国住民は自分が神の選民だとおもいこんでしまった。これも当然のことだった。」

その一つに原爆神話があるのでしょうね。

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わが国もむかしは似たようなもので、神風が吹くと……。

--母子を射殺した人は今も心を苦しめるという……。

マッカーサーについても書かれてありました。下「」引用。

「開戦当初は、十字軍以来の画期的なできごとというわけで、愛国熱が急激に高まって、ラジオから米国国歌が聞こえてくると、いっせいに立ち上がって直立不動をしたものです。ところが戦争が長びくにつれて、権力をもつ連中の身勝手な行為が目立つようになったんです。たとえばマッカーサーがフィリピン駐在中に、部下の食料を平気で横どりして、自分の家族に食べさせたとか、いろいろ取り沙汰されました。」

将校にされた看護婦(*現在看護師)下「」引用。

「従軍看護婦を将校扱いにしているのは、将校のお相手をさせるためだって、私は思いこんでました。ずいぶんばかにした話だとおもっていました。私たちは単なる技術者であ、しびんのあてがいかたを知っているだけの二十二歳の小娘。その私が将校だなんて。げすな連中から遠ざけて将校用にとっておくための手だったんです。階級意識が強かったですね。」

良心的兵役拒否者は何度も殴られたという。

海兵隊でゲイの人の文章もありました。
硫黄島にも参戦。
マッカーシー時代の後遺症の時代。下「」引用。

「この頃になると、ホモ狩りがはやりになっていた。特に軍の情報部がね。第二次世界大戦の頃とちがって、軍隊はホモに対して偏見をもっていた。」

やはり、原爆に終戦にさせる力はなかったという。

カトリック信者はユダヤ人がイエスを殺したという。
アメリカ国内にもユダヤ人差別はあったという。

1944年、ナチスは子どもや老人も徴兵した。
14、5歳の少年の頭蓋骨に穴があいていたのを治療したという。

長崎に原爆投下についていった2番機にのったビル・バーニー。
--沖縄に緊急着陸したという。

「テニアン基地従軍司祭」ジョージ・ザベルカ神父のインタビュー記事。

ハーバードに学校があったという。下「」引用。

「ハーバードの従軍牧師学校で、受けもちの兵隊の世話をどうするか、礼拝やらをどうやるのか教えられた。どうやって、よりよい兵隊にするのかをね。それで、兵隊とはなにか?給料が払われている職業的殺し屋だよ。」

その学校の存在自体がキリストの教えを破っているとボクは思う。

ローマ帝国につかえる弟子などキリストは持たない!

捕虜の日本人司祭とミサをおこなったという。下「」引用。

「私は、テニアンの捕虜収容所にいた日本人司祭と知りあいになった。-略-収容所のなかに彼にのための礼拝堂を建てたんだ。私たちには、ちいさな聖歌隊があってね。その日本人司祭がミサをするんだ。私も彼もいっしょにミサをあげる。当時はまだラテン語だったからね。GIも日本人捕虜も、私たち全員が正さん式をするんだ。礼拝堂はカマボコ兵舎。だったと思うよ。
 八月十五日は終戦になる。大きなミサょをやった。聖母被昇天の大祝日だよ。-略-我われはミサをやって、だれもが幸せだったが、だれもが静かなんだ。さけぶとか、わめくとか、大歓声はなかった。だれもが、ただ歩きまわっているだけだ。戦争は終った。」

--神父は九州へ病院隊として行く。
そこで、修道院が経営する孤児院と施療病院に薬品類などを寄付。
--それは軍法違反だったという。下「」引用。

「軍法違反だよ、そのとおりさ。海軍から紙巻き煙草を何ケースか手にいれて、そこの司教にあげたことだってある。司教がそれを売って、みんなが食べていけるようにね。ああ、私は罪を感じているよ、。(笑う)」

--アトミックソルジャー。
「ビキニ実験」ジョン・スミザマン(*スミザーマン)。

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日本でのスミザーマンの感想。下「」引用。

「ヒバクシャは私にとても親切でした。立てる人たちは立って、上半身を起こせる人は起こして、手をあげられるものは手を振ってくれるんです。そうできない人たちは、ただベッドに横になったまま私をみるんです。ほんとうに胸のつまる情景でした。その人たちに加われるんだと誇らしく思えたんです。
 合衆国大統領でも、日本の人たちが私にしてくれたように扱われただろうとは、とても思えないんですよ。」

第五福竜丸の名誉船員にしてくれたという。

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そして、広島市長は47分間も時間をさいて会見してくれたという。

帰国すれば、悲しいスミザーマン。下「」引用。

「あの人たちと同じ治療をうけました。日本から帰るとき、むこうの医者たちは、アメリカに帰ってからもその治療をつづけられないのが残念だというんです。六カ月間もあいてしまうと、日本でうけた治療が無意味になってしまうからなんです。帰国してから、この治療をうけさせようと、いくつかの病院に私を入れようとしてくれました。UCLAとかメイヨー・クリニックとか。しかし政府が許さないんですね。もし私がこの国で入院して放射線被曝の治療をうけることになれば、私の勝ちでしょう。賠償責任を認めたことになるから。」

やはり「よい戦争」なんてないですね……。










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181 不公平で不平等なことばかり!

2008年06月01日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


八、浮気は女の甲斐性よ!




181 不公平で不平等なことばかり!


「あのー、おトイレに行くわ」

「おトイレ? 女なら、便所といえ!」

先輩はふらふら揺れながらいっている。

まったく、小さな独裁者だわと茜は思っている。

「先輩、茜は世界格闘技王の神鳥を倒したやつですぜ」

「それがどおした、女じゃないか~と、くらあー」
と、支離滅裂な状態になっている。

鏡をながめた。

いつもより、お化粧はうすめ……。

これでも、私は私……。

それに、「貴様!」って、あの人たち帝国軍人かしら……。

そのわりに、姿勢も悪かったわ!

それも都合のいいとこだけなのよ!

自らを王のように思っている腐った人たち!

立場を入れ替えたら、成立しない不公平で不平等なことばかり!

本当、うんざりよ!

こっちの世界がいいなんて思わない!

女が男みたいにバカだなんて、すっ~ごく、やりきないよ。

顔を洗いたくなった。冷水で顔をあらう。ハンカチでふく。

--決めたッ!

でも、あんなバカにはつきあってられないわ。

つかつかと、みんなの所へもどる。

「あのね、私、かえる!」







閑話休題

先日かきました記事、

原子力空母住民投票否決に、

追加しました。

【追加】2008年5月31日

市長がいう民意はやはり正しくはない。

選挙で、このことを問うたのか?

もし、問うたとしても、

総合的に決めたものだろう。

だったら、民意は住民の署名にこそあるし、

民意を直接きける住民投票こそが正しいと思う。












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