磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ヒロシマ・ナガサキの思い、未来へ

2008年06月08日 | 読書日記など
『ヒロシマ・ナガサキの思い、未来へ』
   いのちのことば社(編)/いのちのことば社2005年

これはプロテスタントのクリスチャンたちが
書かれた本のようです。



当時のヒロシマやナガサキは、
阪神淡路大震災のようには、
援助の手が差し伸べられなかったという。

それは、当時は全国が戦争中で、
みんな被害をこうむっていたからだという。

サイド・オマールサン(マライ現マレーシア)などの
留学生のことも書かれてありました。


戦争をしようとする人たちは、戦争による結果を見ようとはしませんね。下「」引用。

「そうして、戦争の文化はグラウンド・ゼロを見ようとしない。見たら、戦争ができなくなる。殺す相手が見えない戦争や殺したことがわからない戦争をするために、戦略爆撃という名の無差別爆撃が進化してきた、と言われるのです。」

『あの日あの時--長崎県立高等女学校42回生・被爆体験集』の訳本、『FOOTPRINTS OF NAGASAKI-Except Anohi Anotoki』は長崎の聖母の騎士会のご厚意という。

マンガで、
『長崎ろうあ被爆クリスチャン-故・菊池司氏の80年-』
というのがありました。

『ノーモア・ろうあ被爆者』のマンガ本完成、三千冊発行したそうです。


メソジストのブッシュ大統領。

2001年9月、同時多発テロ、そしてイラクへの理不尽な軍事行動。

メソジストはこの殺戮を反対したという。

しかし、多くの米国主流派の教団教派、福音主義の教会が、ブッシュ政権を支持。

もはや、看板だけはキリスト教徒、やっていることは……。

この方たちは、そういうアメリカの人たちに抗議の手紙を書かれたそうです。



カトリックにしても、戦争を好んだとしたら「殺戮の地獄のカギ」をもっている法王登場というところでしょぅか?

しかし、ヒロシマでも法王は反対されていたようです。

だけど、信者には何も働きかけられていないようです……。

長崎に原爆投下をした機長はカトリック教徒でした。


そう考えたら、日本の宗教も似たようなものですね。

国家神道などは、さらにひどい……。

でも、神道にもいろいろあります……。











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新日本新書=9 原爆ゆるすまじ

2008年06月08日 | 読書日記など
『新日本新書=9 原爆ゆるすまじ』
   広島県被爆者の手記編集委員会・編/
     新日本出版社1965年、1965年2刷

広島県と書かれてありますが、
福田須磨子さんなども執筆されています。



軍医のことが書かれています。下「」引用。

「こんな気分も、すうっと消え「どうにでもなれ」と自らを慰める。だれも私のことなど気にしてはいない。
 頭のところで、
「死んでいるんか、生きとるんか」
と軍医の声がした。
「生きていますよ」
 と私は答えた。軍医はそのままたちさったが、うしろからついて回っていた衛生兵がだまったまま、鼻と口の上にガーゼをポンと置いていった。鼻や口から、ツーンとする何かわからないにおいが--急に胸が苦しくグーッとはきけがしてきた。私らはガーゼをはらいのけた。それこそ、あるだけの力をだして……
 いまだに、そのガーゼが何であったか、……私は死ななかった。」

軍医といえば、石井部隊の石井を思いだす人もいるでしょう。

ボクの尊敬する医師も軍医でした。

永井隆博士も軍医でしたね。
永井隆は中国大陸、南京へ行かれていたが、
敵を治療されたことが書かれてありました。

軍医の方もいろいろですね。

患者であった人の文章が掲載されています。下「」引用。

「昭和二十一年三月から、広島の逓信病院で整形手術をはじめた。約半年ばかりの病院生活を送った。当時は、外傷の被爆者が多く、ほとんどの人が整形手術をしていた。
 足を切断する人や、顔や手足にたちこんだガラスを切り取ってもらう人、そのなかでも、ケロイドを取り除き、整形手術をする人が一番多かった。」

切断はおそらく、外科に分類されるものだと思います。

現場では、緊急の場合などは整形外科医でも手術の技術をもっておられる方は施術されると思います。

四国五郎さんも文章を寄せておらました。
弟の思い出を切々と語られています。

さまざまな問題を取上げておられます。

また、福田須磨子が文章を寄せられています。下「」引用。

「彼らが分裂後今まで終始一貫しているのは、「日本原水協はアカだ」ということです。自民党や政府が政府が世界の人の前でほんとうのことを言われるのがいやさにアカだと言ったのとちっとも変わりはしません。」

平和運動をするとアカだという人たちがいたようですね。

今でも、そういう方はおられるようですよ。


「われらの詩の会」のことが書かれてありました。下「」引用。

「一九四九年の秋、わたしたちは「われらの詩(うた)の会」をつくった。峠三吉を代表として、里信敏行、旦原純夫、増岡敏和を編集委員に、ひろく人間を愛するために、詩をうたう人々をもって強く結集し、より自由な社会が生れるためのあらゆる活動を行なうということが、その趣旨であって広島の進歩的な詩人の結集として出発した。」





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ヒロシマというとき

2008年06月08日 | 読書日記など
『ヒロシマというとき』
   栗原貞子・著/三一書房1976年

原民喜の詩とはずいぶん違うものだなあーと思いました。



■目次・大タイトルのみ■
序詩
1 原爆創世記  13
2 日本を流れる炎の河  25
3 死の灰  43
4 失われた夏  53
5 愛と死  67
6 ヒロシマというとき  85
7 同心円  117
8 旗  131
9 原潜以後  149
10 未来への入り口  175
あとがき  191


正田篠枝さんについて書かれてありました。
「「今度はあなたの番よ」は正田篠枝さん(「ざんげ」耳鳴りの歌人)が原爆症による乳癌で亡くなられた当時の作品で、被爆者のひとりが死ぬと次の指定席にたたされる思いで目に見えない粒子におびえて生きているのだった。」

「ざんげ」ではなく「さんげ」だと思います。

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「川」という作品について書かれてありました。下「」引用。

「「川」はこの集の中での異質な作品であるが六六年のRCCの芸術祭参加作品(音楽部門)として作詞したもので、作曲はエリザベート音楽大学の永井主憲先生がされた。前半を亡くなった母に後半を亡き正田篠枝さんの鎮魂のために捧げた。」

「エンタープライズ炎上す」という詩。下「」引用。

「-略-
いく千のヒロシマ、ナガサキを内蔵し
自ら ヒロシマ、ナガサキとなって
焼け滅びる国 アメリカ
エンタープライズ炎上す
      (一九六九、一、二七)」


ヒロシマというとき……。
加害責任を背負った人がこのような詩をかけるのでしょうか?

加害責任を強く思うから、こういう詩になるのでしょうか?

ボクにはわかりません。

アメリカを目覚めさせるのには、どうしたらいいのでしょうか?

アメリカだけでなく、ロシア、中国、イギリス、フランスなどの常任理事国を目覚めさせるのには……。








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広島・閃光の日・30年 戦争を知らない世代へ11広島編

2008年06月08日 | 読書日記など
『広島・閃光の日・30年 戦争を知らない世代へ11広島編』
   創価学会青年部反戦出版委員会・編/第三文明社1975年

一つの都市が破壊されたこと……。
--やはり、いろいろなドラマがあったとボクには思えます……。



この表現はどうかと思います。下「」引用。

「発刊に寄せて
 閃光の日から三十年--今では原爆ドーム以外に、広島のどこを捜してもあの日の爪痕とじかに接することはできなくなった。」

本当に捜されたのでしょうか?

ハービー・ハンコックの名がありました。下「」引用。

「ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコック氏。彼が「平和の街のために」と題した曲を作って広島市へ寄贈し、話題を呼んだのはつい先日のことである。」

関連記事

ひどいケガ……。下「」引用。

「母は、目の中へ柱が入り両目がつぶれていた。顔・胸に大きな傷、ものも見えないし耳も聞こえなかった。そのままの状態で治療も何もなく数日間過ごした。」

畑どろぼうをしていたという。下「」引用。

「毎日新庄まで、もちろん裸足で焼跡を通って、トマト、きゅうり、ぶどうなど野菜どろぼうに行った。それが日課のようになっていた。」

祖母が、たまたま……。下「」引用。

「私は妊娠十ヵ月。大きなおなかをかかえ、おふろの掃除をしていた時のほんの一瞬の出来事だった。気がついてみるとあちこちで火の手があがり、ケガをした人がたくさんやってくる。どこで何が起きたのか全くわからない。それでもこのままそこにいることもできないので皆と一緒に田舎へ向って逃げた。あとから来た人が自分を追い越して先に行く。気ばかりがあせって体が思うように動いてくれず途中で何度も休みながら。祖母もちょうど原爆の投下された日、たままた折り悪く田舎から米野菜等を持って来ていた。来なかったらあわずにすんだのに、運命とは皮肉なものである。」

蚊に刺されただけでも……。下「」引用。

「蚊に喰われただけでも、そこが膿んできて、足にはいくつもの包帯をまき、紫茶色の顔ははれあがり、僅かの労働も三日は寝込むようにになりました。」

疎開していた子供の面会に……。下「」引用。

「私は、八月五日、広島市仁保街より佐伯郡玖島村に、集団疎開中の宏郎(ひろお)(次男・小学校三年)の所に面会に行きました。その日は高原寺という、お寺に一泊して、そこより子供を学校に送り、家に帰る仕度をしている時でした。B29が飛んで来て警戒警報が発令され、まもなくして警報解除のサイレンがなりました。それからまもなく、“ピカッ”と光り“ドカーン”と大きな音がしました。これは大変だ! 近くに大きな爆弾が落ちたのだと思い、子供はどうだろうと心配してると、宏郎が必死で走って帰って来ました。爆弾はどこに落ちたのだろうか? 皆、口々に言っています。
「広島駅だあー」
「いや、己斐(こい)だあー」
「宇品だぞう!」
 皆な、どうしようかと迷っています。そうすると、空から灰と焼け残りの紙が飛んで来るのです。」

「素足でとけたアスファルトの中へ」というタイトルの文章もありました。下「」引用。

「素足です。足が痛くてたまりません。空を見上げて飛行機の姿を探しては走り続けました。やがてアスファルトの本道路に出ました。こんどはアスファルトが足にやきつきます。草の上で足の熱さを癒しまた走り続けます。」











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「ヒロシマの母の記」史樹の死を生きて

2008年06月08日 | 読書日記など
『「ヒロシマの母の記」史樹の死を生きて』
   名越操・著/平和文化1985年

この本をよんで、政治家や官僚などの人権・人道とはいったい何なのだろうか? とボクはまた思いました……。彼らのシステムを守るためのものが、人道とは私には思えません! システムの奴隷に人道など無きが如しではないでしょうか? いつものことを思いました……。システムもまた道具にしかすぎませんね……。




マッチ工場に学徒動員で働いていた母。下「」引用。

「昭和二○年八月六日。私は一五歳だったる毎日学徒動員で、マッチ工場ではマッチ棒揃え、糧秣廠では缶詰磨き、被服廠では血膿のついたボロ布のよりわけ、まともに学校に通ったのは女学校の二年までで、青春などというものはなかった。」

母は弾丸づくりもしていたという。下「」引用。

「二五年には朝鮮戦争がはじまり、私たちが戦争中に動員で弾丸づくりをした日本製鋼では、そのときすでに兵器の再生産をしていたことなどなど、一連の事実について知るべくもなく、また、大して関心もなかった。」

史樹(ふみき)はボクと同じ年、1960年に生まれた。
好きなものも、ボクと似ている……。下「」引用。

「史樹の好きだったもの
マンガ……石田国松『ハリスの旋風』
テレビ……『赤穂浪士』『いじわるばあさん』『船場』『青春とは何だ』『パーマン』『ウルトラQ』」

テレビに出演した母。下「」引用。

「母の日記 一一月二二日
 二五日七時三○分、NHKテレビ『ある人生の記録・がん博士と二十日ねずみ』がという。出演してほしいと言うのを何度も断ってきたが、とうとう断りきれず、今日テレビカメラで写された私であったが。どういう編集をするのか。舌足らずの点があったとしても、私は精一杯訴えたつもりである。
 私は被爆者であり、不安な毎日を送っていること。子供の白血病は原爆のせいではないかということ。少しでも長生きして、その間にいい治療法がみつかって欲しいということ。-略-」

テレビを見た父。下「」引用。

「父の日記 一一月二六日
 二五日の午後七時三○分、NHK三チャンネルにダイヤルをまわした。『ある人生』の番組が始まる。「ガン博士と二十日ネズミ」に取組む井田先生を中心に、ガンと二十日ネズミのたたかいが展開されてゆく。
 広島大学付属病院のカルテが画面に出る。一年一か月目、死亡。葬式でなげく母親がクローズアップされる。そして突然、妻がスクリーンに出る。-略-」

非難されたという。下「」引用。

「その後、史樹のことが『ぼく生きたかった』(絶版)という本になり、ペギー葉山さんの歌になり、劇団でも上演されました。私が好むと好まざるとにかかわらず、被爆二世の問題は新たな問題として歩きはじめたのです。全国の方々から暖かいはげましの手紙もいただきました。
 しかし、同じ被爆者の口から、「なぜ本にしたのか」とか、行政当局も、「胎内被爆者・被爆二世を守る会」の被爆二世援護の申し入れに対し、「差別を助長することになる」として、積極的な対応を拒みました。」

裏表紙には、引揚で原爆投下後の広島を見た、脚本家の早坂暁さんが「推薦文」を書いています。


ぼく生きたかった 被爆二世 史樹ちゃんの死

ぼく生きたかった

合唱構成・あの星はぼく





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