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原子力の時代は終わった 東海ウラン臨界事故とY2Kの教訓

2008年06月07日 | 読書日記など
『原子力の時代は終わった 東海ウラン臨界事故とY2Kの教訓』
   「人間家族」編集室・編/大築準・編/雲母(きらら)書房1999年

東海村の事故は、大手マスコミでは読めない記事が書かれてありました。
--これも、核兵器開発の疑いがあるといわれてもボクも否定できません……。



「《徹底討論》崩壊した「原子力安全神話」--東海ウラン臨界事故は最後の警告だ!」というタイトルで、広瀬隆、藤田祐幸、(司会)きくちゆみの座談会がありました。

広島原爆で反応したのは一キロだけだったという。下「」引用。

「広島の原爆にはだいたい二○キロのウランが入っていて、しかし、それはまだ初期の実験もしていない核兵器だったものですから、その内たった一キロしか反応しなかったんです。したがって、そこでできた死の灰の量は一キログラムでした(表1)。」

あれでも、あの爆弾の規模でも小さなものだったということでしょうか?

広瀬さんが東海村の村長さんを軽く誉めていました。下「」引用。

「広瀬 基本的に、東海村の村長さんはよくやったと私は思います。あの人が退避を勧告しなければ、もっと大変なことになっていたでしょう。
 住民を守るための判断を下すべき人間は、実はあの人ではなく、本当は事故に責任のある国がやるべき筋と思いますが、東大教授の鈴木篤之たち推進学者は、まったくの無知だったわけです。茨城県知事は原発を推進してきた人だけれど、あの時はけっこうよくやったと思います。」

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藤田さんはそのとき、フジテレビに二日間籠城して、ニュースセンターの中心でこの事故と向き合っていたという。下「」引用。

「一○時ごろにニュースセンターの人間が総立ちになって騒然としました。みんな「国家的非常事態だ。非常事態宣言だ」と言う。
 それはなぜかと言うと、組閣が延期され、首相を長として、一○キロ圏内屋内待避で、米軍に出動要請が出て、自衛隊に出動が命じられた。これが一挙に起った。これが全部、野中元官房長官が一人でやった。「これは戒厳令だ」とぼくは考えた。そして、その時に何が怖かったかというと、それまで東海村にいた報道陣が一斉に水戸まで引き上げてしまい、現場から情報がなくなった、ということなんです。」

報道管制がひかれたといっていいのではないでしょうか?

そして、NHKは政府にコントロールされて、政府情報だけを流したという。

データも、二通りあって、五時以降のデータしかないという。

--チェルノブイリでのバス、合計2000台の避難を藤田は素晴らしかったという。
今回の場所でなら、バス5000台と広瀬は話す。
……チェルノブイリ時のような避難は今のままでは日本ではできないという……。

そして、東大教授のことがまた書いてありました。下「」引用。

「広瀬 私が驚いたのは、東大教授で原発を推進してきた近藤駿介が、東海村の安全顧問だったことですね。彼の責任が全く問われていない。しかもこういう「専門家」が、住民を被曝させておきながら、新聞記者たちに「技術の勝利だった」と語ったことです。」

そして、あの作業を命じたのは住田健二(大阪大学名誉教授)という。

常陽で、なぜあのような事故が起きたか? 下「」引用。

「藤田 調べているんですが、よく分からないことが多いのです。「もんじゅ」の事故後、「常陽」は大改造をしています。炉の出力を四割増強し、強い中性子線を使って色々なことを始めようとしています。超ウラン元素の消滅実験もそのひとつです。
 ある新聞社から「常陽の熱交換器の取り換え作業に多くの労働者が動員されている」という情報を得ていました。もしこの炉に、濃縮工場から排出される劣化ウランを入れれば、核兵器級のプルトニウムを取出すことができます。
 今回の事故は、その「常陽」の新しい燃料として、高濃縮ウランを扱っていて起きた。」

日本に原発をつくるとき、イギリスの保険引受集団のロイズから「日本は地震国だから、保険はかけられない」と言われたという。


なかなか読みごたえのある本でした。








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