磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

index 湯川秀樹

2008年06月05日 | TOP【もくじ】
index 湯川秀樹




[アインシュタインと湯川博士の怪しい関係]

原発のカラクリ-原子力で儲けるウラン・マフィアの正体 パロディー保存版-

「原子力はよく知らん」と湯川秀樹博士。

↑ 巨大地震が原発を襲うより

【湯川秀樹著作集】

1 学問について

2 素粒子の探求

3 物質と時空

4 科学文明と創造性

5 平和への希求

7 回想・和歌

8 学術篇I

9 学術篇II

【講談社文庫 湯川秀樹対談集】

1 半日閑談集

2 科学と人間のゆくえ

3 人間の発見


平和時代を創造するために-科学者は訴える-

核時代を超える-平和の創造をめざして-

湯川秀樹とアインシュタイン

岩波ジュニア新書95 湯川秀樹が考えたこと

湯川秀樹日記-昭和九年:中間子論への道-

「湯川秀樹物理講義」を読む

思索する湯川秀樹-日本人初のノーベル賞受賞者の天才論-

第1回受賞者に勝又氏ら4人【京都新聞】'08/5/13
湯川博士の和歌、ヒロシマに響け 6日、平和記念公園で合唱【京都新聞】'07/8/5
湯川博士の願い果たそう 京で原水爆禁止科学者集会【京都新聞】'07/8/2


湯川秀樹・朝永振一郎博士 生誕百年記念事業

【一部のみ】

ジャーナリストの証言-原子力25年の軌跡-

新・核戦略批判

広島詩集-1965 原爆投下20年号-

HIROSHIMA-NAGASAKI-DOCUMENT1961-

証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第21集(2007)

【湯川スミ】

知恩 通巻441号

【YouTube】

原爆_・_科学者の罪と罰



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折鶴に出会った子どもたち 平和を祈るエッセイ100編 音楽CD付き

2008年06月05日 | 読書日記など
『折鶴に出会った子どもたち 平和を祈るエッセイ100編 音楽CD付き』
   三省堂・編/三省堂2003年

この本について。下「」引用。

「ここに編(あ)んだ百編(ぺん)は、三省堂が主催した「ヒロシマの折鶴(おりづる) 中高生のエッセイ募集(ぼしゅう)」の入選(にゅうせん)作品です。」




この企画がはじまったのは……。下「」引用。

「この企画は名古屋市に住むモンゴル人歌手オユンナさんの歌と活動に促(うなが)され、突(つ)き動かされるように始りました。
 オユンナさんがコンサートで必ず歌う曲のひとつに『ヒロシマの折鶴』というモンゴル語の歌(モンゴル語の曲名は『ツァースン・ショウォー』で「紙の鳥」の意味)があります。この歌は歌詞(かし)も曲もモンゴル人によって作られました。広島(ひろしま)の被爆(ひばく)者佐々木禎子(ささきさだこ)さんの悲劇(ひげき)を嘆(なげ)き、平和な世界の実現(じつげん)を祈(いの)るといった内容(ないよう)の歌です。」

「折り鶴がつなぐメッセージ」オユンナ・著。下「」引用。

「こうしたわたしの音楽活動に三省堂(さんせいどう)さんが共感(きょうかん)してくださり、中学生の英語(えいご)教科書に題材(だいざい)として禎子さんのエピソードを取り上げ、なんと、その音声教材にモンゴル語と英語で『ヒロシマの折鶴』を収録(しゅうろく)してくださいました。できたばかりの英語の歌詞で録音するにあたっては、大変緊張もしましたが、これはとても名誉なことであり、ほんとうにうれしいニュースでした。」

あまんきみこの文章もありました。下「」引用。

「わたしの広島 --思い出すままに
        あまん きみこ
 わたしが被爆(ひばく)後の広島を初(はじ)めて見たのは、引揚(ひきあげ)列車の中からでした。-略-」

平和を求める子どもたち。下「」引用。

「世界中の人がLOVE (ラヴ)&(アンド) PEACE(ピース)で笑い合えることができたらいいなと思います。」

平和をもとめることは悪いことではありませんね。

なぜ、人間は生きているのでしょうか?

憎しむためでしょうか? 殺し合うためでしょうか?

--平和を壊そうとする人たちは何でもします。

ウソも平気でつきます。

歴史を学べばたくさんの事例がありますね……。

--平和をもとめることが清らかでなければならないという指摘も、平和をもとめる人たちを壊そうとすることで云っている場合もあります。

--彼らが清くもなければ、ウソも平気でつくし、人殺しも平気な人たちだったりするわけです……。

平和は誰が求めてもいいものです。
--民主主義では生存権などを認めているものですね。
戦争も原発も生存権さえも脅かすものです。
--反対することは、すべての人類に認められているものですね。
例え死刑囚であっても、それはできるものだとボクも思います……。

そして、平和といいながら、戦争をするような図式で、自らの勢力を強めようとする人たちさえもいます……。

--その人たちも、また平気でウソをつきます。

だまされないようにしたいものですね。

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永井隆の如己堂のことが書かれてありました。下「」引用。

「小さな建物」=如己堂についての感想が書かれてありました。「原爆関連(げんばくかんれん)の著書(ちょしょ)で知られる永井隆博士(ながいたかしはかせ」の終(つい)の住みかであったと知ったのは、だいぶ大人(おとな)になってからのことである。原爆で最愛(さいあい)の妻(つま)を失(うしな)い、幼(おさな)い子どもを抱(かか)え、自らも原爆症(しょう)と闘(たたか)いながら残された命の限(かぎ)りに平和を訴え続(つづ)けた永井博士。その苦労(くろう)を思うにつけ、原爆の悲惨(ひさん)さに激(はげ)しい憤(いきどお)りを感じる。戦争(せんそう)自体あってはならないことだが、核兵器(かくへいき)の使用は絶対(ぜったい)に許(ゆる)すことができない。」

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歌(CD収録曲) 歌はオユンナ
・ヒロシマの折鶴(モンゴル語)
・ヒロシマの折鶴(英語)
・風の色


ちがう曲ですがYouTubeに……。

■オユンナ(モンゴル) - 天の子守歌 1990(H2) ■











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まんが原発列島

2008年06月05日 | 読書日記など
『まんが原発列島』
   柴野徹夫・原作/向中野義雄・画/
     中島篤之助、角田道生・監修/大月書店1989年

フィクションの部分もあるでしょうけど、監修もおられて、きちんとした作品であると思います。



こう書かれてあります。下「」引用。

「●このまんがはフィクションです。ここに登場する人物・団体は架空のものであり、実在するものではありません。」

出だしはチェルノブイリの原発事故からはじまる……。

■目 次■
プロローグ  7
第1章 原発担当を命ず  25
第2章 スクープ  49
第3章 原発に生きる人びと  83
第4章 「アトム・フォア・ピース!」  119
第5章 若狭路をいく  139
第6章 「レット・イット・ビー」  173
第7章 旅だちのとき  215
エピローグ  235
あとがき







この8%は文献を読んでいると事実のようですよ。

だから、なるべく大きいほどいいという……。



原発ジプシーのことも描かれていました。







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目 次



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原爆と文学 創刊号

2008年06月05日 | 読書日記など
『原爆と文学 創刊号』
   原爆と文学の会・編/四国五郎・絵/原爆と文学の会1972年

この本は山口勇子さんが、東京に引越したので、つくられた冊子のようです。

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「月夜のラッカショウ」山口勇子・作が掲載されていました。

被爆二世関連について書かれてありました。下「」引用。

「  被爆二世 五つのこどもが 白血病という
    みれば史樹と 瓜二つなり

 これ『ぼく生きたかった』の名越史樹ちゃんの父親が日記にかいたものである。彼はこれをよんだのだろうか、史樹ちゃん父親は、『私自身、被爆教師ではありません』(『未来を語りつづけて』)といっているのだから奥さんが被爆者だとわかる。-略-
 史樹ちゃんのお母さんは「史樹への手紙」のなかでつぎのように書いてる。
「そして、もし、“ぼくのせい”じゃなくてあなたの病気が、お母さんが被爆していたせいだったとしたら、ほんとうにどうしよう。原爆をつくり、そして、それをヒロシマに落としたアメリカは、今すぐ史樹は“もとの体にしてよ”と永遠に叫びつづけるのです。
 “ぼく生きたかった”と史樹と同じように小さく死んでいった人たちと手をつないで、お母さんがんばります。
 もう、二度と原爆を落とさせまい。日本中、世界中、どこの国の子供たちも、“ぼく生きたかった”と泣かないですむように。」」

“死んだ女の子”ナジム・ヒクメット作詞。
--二つの訳がありました。一つは歌、一つは詩集。

一連目でもかなり感じが違う。
--まずは、飯塚広の訳詞。下「」引用。

「とびらをたたくのはあたし
あなたのむねにひびくでしょう
小さな声がきこえるでしょう
あたしの姿はみえないの」

--そして、中本信幸の訳。下「」引用。

「開けてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を」

YouTubeでもアップされていますね。

W・L・ローレンスの言葉が掲載されていた。下「」引用。

「原子爆弾に対しては、ただ一つの防御が存在し得るだけである。すなわち平和である。それはすべての科学者たちが一致してのべている   W・L・ローレンス」

W・L・ローレンスはウソの記事を書いた。下「」引用。

「広島の廃墟に放射能なし。
陸軍調査官、大地の溶解もなしと報告--六万八千戸の建物に被害。
東京九月十二日=W・L・ローレンス(ニューヨーク・タイムズへの電報)」
広島TODAY』より

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この冊子が生れるまでのことが書かれてあります。下「」引用。

「今年の三月、山口勇子が東京に存在することになって、いきなりわたしのとろこに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊すること話に発展した。しかし、多忙な日々のなかで、いっこうにその計画ははかどらないまま、創刊を八月にまにあわせるにはぎりぎりの日限がきてしまった。そこで、急拠、連絡とれるところだけでも連絡をとりあい、一気呵成にこの創刊号をつくりあげた。」










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朝永振一郎著作集 別巻3 朝永振一郎 人と業績

2008年06月05日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集 別巻3 朝永振一郎 人と業績』
   湯川秀樹、他・著/小沼通二・解説/みすず書房1985年

この本は朝永振一郎著作集になっていますが、湯川秀樹など関係のあった人たちがたくさん書かれてあります。

一番わらったのが、朝永博士のお孫さんの書かれた文章でした。
--おもろいおじいさんだったみたいです!

しかし、その業績は研究だけに限ったものではなかったようです。

今の学者にこんな人がいるのでしょうか?

1963年、米国原子力潜水艦についても朝永博士は反対します。下「」引用。

「アメリカが原子力潜水艦の日本寄港を要求してきたのは一九六三年の一月のことであった。朝永さんは日本学術会議の会長に就任早々、この問題に直面することとなった。運営審議会はその三月に、政府に対し原潜の安全性を検討するよう要望し、「海洋の放射能汚染に関するシンポジウム」を開いた。さらに四月の第三十九回総会では、「安全が確認されないまま、原潜の日本寄港はのぞましくない」との声明を出した。これを受けて、湯川さんたちも同様の趣旨の声明を出し、私もその署名者の一人となった。
 また檜山義夫さんや、私たち海洋学、水産学の科学者グループも、原潜による海洋汚染の危険性を説き、原潜寄港反対の意志を表明した。この声明は各国の科学アカデミーに送られ、インドのウダイプールで開かれた第十二回パグウォッシュ会議(一九六四年)でも発表された。
 これに対し、ときの池田内閣は、総理府総務長官を通じ「政府の方針に反する内容を国民に訴えることは、政府機関たる日本学術会議の性格と使命に照し遺憾である」として、日本学術会議をきびしく非難した。このことで、政府自民党の一部から、学術会議廃止論をとなえる人も出るようになった。」

そして朝永学長は警察ともやりあったようです。下「」引用。

「ハガチー事件という国際的大事件に学長として対処しなければならなくなった朝永先生にたいして、はやくも六月十五日現在、全国の原子物理学者二○二名が署名した「朝永先生に対する激励文」が寄せられた。残っているガリ版刷りの激励文を紹介しよう。
 私どもは、戦争を地上から絶滅しようとするパグウォッシュ精神にもとづく、先生のたゆみない御努力に対して、かねてから深い尊敬と心からなる共感とを抱いてまいりました。
 今回の警察隊の学内乱入事件は、大学につとめ、研究に従事する者の立場として、学問の自由と大学の自治とに対する重大な侵害として深い憤りを覚えるものであります。
 私どもは、先生が、学問の自由と大学の自治を守るために毅然たる態度をとられること(「を」脱カ)固く信じ、全面的に先生の立場を支持するものであります。
   六月十五日
 署名者の代表者として名をつらねているのは、野中倒、武谷三男、藤本陽一、武田暁、坂田昌一、小林稔、山内恭彦、久保亮五の諸氏である。」

白を黒と教える学者の下で、いい学者が生れるとはボクには思えません……。

--いつものことが、ここでも気がかりとなりますね……、朝永博士、湯川博士なき日本の学界……。









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