磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

チェルノブイリシンドローム 原子力の社会学 PARTII

2008年06月09日 | 読書日記など
『チェルノブイリシンドローム 原子力の社会学 PARTII』
   田中靖政・著/電力新報社1989年2刷

この本も、原子力推進派の本といっていいかと思います。無理矢理の感じで論理にすらなっていないとボクには思えます。



「チェルノブイリシンドローム」というから、原爆症のように被害者のことを熱心に追い求められたのかと思ったら、大きな間違いでした。

まったく、被害者のことは書かれてありません。

ほとんどの推進する人たちは、被害者のことなど考えられていません。

日本でも、もしこのようなことが起きても、考えてもらえないような気さえしてきます……。

カナダも原子炉輸出国であったようです。下「」引用。

「カナダは、いわゆる「CANDU炉」として知られる原子炉の輸出国である。アジアでもお隣りの韓国において、このCANDU炉一基がすでに運転中であり、かつて日本においてもCANDU炉を採用しようとする計画があった。」

中曽根首相が援助したとしても……。下「」引用。

「この間、日本において中曽根首相が、これまた「人道的見地」から、ソ連政府の要請があれば、いかなる援助も惜しまないという談話を発表し、チェルノブイリの悲劇に対して、日本政府が進んで協力する態度を明らかににした。」

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TMIでの事故処理のように金で口を封じるということも考えられるのではないでしょうか?

敵に塩を贈る? 下「」引用。

「はたまちたソ連への援助を側面から支援したアメリカ政府をはじめ西側の各国政府の行動は、まさに「敵に塩をおくる」模範であったように思われる。」

原子力を推進するということでは、同じでは?

田中角栄は演説したという。下「」引用。

「田中角栄(六十八歳・無所属・一七万九○六二票)「チェルノブイリの事故は、柏崎に関係ない。」(江崎総務長官の応援演説)」

--広瀬隆にたいする非難が続きます。
--でも、論理的にはボクには思えません。
女性だましのような表現をとられますが、女性は環境などの分野では男性よりも功績がありますね。平和運動でもそうですし、社会福祉の分野でもそうだとボクは思います。

小泉純一郎に多くの女性がだまされたというのなら、ボクはとれますが、環境問題を考えるような女性はボクよりも理性がある人が多い気がします……。

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著者は『子宮の論理』などという、差別的な論理まで展開されています。

--脱原発法というのが書かれてありました。下「」引用。

「原発アウトロー化」の政治運動
「社会実験」としての『脱原発法』制定運動
 -略-
「脱原発法全国ネットワーク」(高木仁三郎事務局)」

もちろん、著者は否定されていました。

もくじ


いつものことが頭から離れない本でした……。

「原発と公害のあるところに民主主義はない」
--まさに、こんな学者がいるところに、民主主義はないとボクには思えました……。








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BLUE BACKS 原子爆弾 その理論と歴史

2008年06月09日 | 読書日記など
『BLUE BACKS 原子爆弾 その理論と歴史』
   山田克哉・著/講談社1996年

物理学の素人のボクですが……。この本はわりとよくまとめて書いてくれています。



平均26歳のマンハッタン計画。下「」引用。

「マンハッタン計画に携わった人達の平均年齢はなんと二六歳であった。この平均年齢には秘書や掃除夫、軍人など直接原子爆弾開発研究に携わっていない人達の年齢は含まれていない。平均年齢二六歳ということは二六歳以下の人達もかなりいたことになる。まだ学業なかばの大学院生もいた。豊富な知識よりも創造力を要求されたからであろう。」

マイトナーと当時の学界のことがわりと書かれてありました。
--一時滞在でやってきたベルリン。
そこでオットー・ハーンにマイトナーは出会う。
そのまま、ベルリンに30年以上滞在することとなった。

マイトナーはレントゲン技師として戦争で働く。下「」引用。

「マイトナーがこの研究所で働いていた時期に第一次世界大戦が勃発している。第一次大戦中マイトナーはレントゲン技師として野戦病院に勤務し、ここで彼女はナイチンゲールさながらの仕事をし、負傷兵達を献身的に看護したのである。」

光は電磁波であるという。下「」引用。

「光は電磁波であるが、空中に飛び交う電波もレントゲン撮影に使われるX線も、あるいはガンマ線も電磁波である。電磁波とは何かということを説明するのは簡単ではないが、電磁波とは電気振動によって得られる波であるとここでは言っておこう。電磁波は物質ではないれる電磁波は原子や分子からできているものではない。ある真空空間に電磁波が存在していても、その空間はやはり真空である。真暗な真空(光が存在しない)でも明るい真空(光が存在している)でも真空は真空である。したがって光(電磁波)は物質ではない。光には重さがない。太陽と地球のあいだにある空間は地球の大気圏を除けばほとんど真空に近い状態である。」

オッペンハイマーは朝永の理論を高く評価したという。下「」引用。

「ロナルト・プレゼントという教授が筆者に朝永振一郎の繰り込み理論をアメリカで真っ先に高く評価したのはオッペンハイマーであったと話してくれた。」

朝永振一郎もオッペンハイマーも気付いていたという。下「」引用。

「オッペンハイマーは星の重力理論の研究から中性子星を理論的に予言した人であり、また原子(原子内の電子の持つ)エネルギーの値が理論的計算に基づくと無限大になってしまうことに初めて気がついた人であも。(注 : 日本の朝永振一郎もドイツに留学中にこの無限大エネルギーに気がついてる。この無限大問題は結局「繰り込み理論」によって片付けられた。朝永の繰り込み理論はオッペンハイマーによって高く評価され、結局これが朝永にノーベル賞をもたらした」

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原子爆弾で放射線がでることは、わかっていたようだ。下「」引用。

「フリッシとピエールが指摘したもう一つの点は、原子爆弾が炸裂すると大量の分裂片がガス状になって飛び散るため、想像を絶するような強力な放射線が大気中にまき散らされるであろうということである。爆発直後に出る分裂片は二次中性子を出した後もエネルギーはまだ高く不安定になっているため、ベータ線やガンマ線を出して放射性崩壊を起し、一○○トン以上のラジウムから放射される放射能に匹敵する! 連鎖反応最終世代(最終段階)の中性子はそれ以上核分裂を起こすことはないから、爆発と同時にそのまま空気中に発散していく。したがって分裂片から放射される放射線だけでも相当な被害を与えることができる。強い放射線源になっている膨大な数の分裂片には空中に漂い、いわゆる死の灰を形成する。」

第二次大戦中、朝永振一郎はレーダーの開発をしていたようです。

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第一線の科学者が集まったマンハッタン計画。下「」引用。

「この世紀の実験地にはグローブズ将軍やオッペンハイマーを始め一戦級の科学者達が集まった。科学研究開発局長ヴァネヴァー・ブッシュ、同じく科学研究開発曲実行委員長兼ハーヴァード大学総長ジェームズ・コナント、続いてルイス・アルヴェレッツ(ノーベル賞)、エンリコ・フェルミ(ノーベル賞)、イザドー・ラービ(ノーベル賞)、アーネスト・ローレンス(ノーベル賞)、エミリオ・セグレ(ノーベル賞)、エドウィン・マクミラン(ノーベル賞)、ジェームズ・チャドウィック(ノーベル賞)、ハンス・ベーテ(ノーベル賞)、リチャード・ファインマン(ノーベル賞)、オーエン・チェンバレン(ノーベル賞)、ノーマン・ラムゼー(ノーベル賞)、エドワード・テラー、オットー。フリッツ、ルドルフ・ピエール、リチャード・トールマン、ジョー・キスチアコブスキー、ケネス・ベインブリッジ、ヴィクター・ワイズコフス等々……(注 : カッコ内のノーベル賞は戦後受賞されたものも含む)」











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ヒロシマにて--九○○人の訪問

2008年06月09日 | 読書日記など
『ヒロシマにて--九○○人の訪問』
   原水爆禁止日本協議会・編/平和書房1970年

PTSDというのが、最近ではいわれる……。原爆でもやはりこのことはあっただろう……。というよりも、ないはずがないですね……。



佐藤-ニクソン会談があったという。下「」引用。

「佐藤・ニクソン会談による日米共同声明が発表された一九六九年十一月二二日の三日前、一九歳の青年が白血病のため奈良医大附属病院で死亡した。この青年の父親は、沖縄県出身の広島での原爆被害者であった。
 原爆のつめあとはいまなお深く、「戦後」は終っていない。」

新聞は出ていってくれと佐藤はいったが、それほど正しい政治をおこなった人物には思えない。

ある時には新聞を利用し、ある時は悪くかかれた。……それで怒っただけの政治屋。

今の政治家もマスコミを非難しているが……。

民主主義の政治家なら、圧力で解決しようという傲慢な姿勢はとらないだろう! もちろん、間違っていることを正すことは悪くないとも思う……。

詳しく書いてほしかった部分です。これを否定する人もいるからです。下「」引用。

「そのような占領下の、米軍の厳しい監視の中でも、広島・長崎の医師たちは、黙々として被爆者の治療を続け、医療の方法を研究し続けてきた。」

ほんの一部の医師だけだという人もいます……。

チェルノブイリから広島へ

このような学者を許しておいた社会のいうことはボクは信用できません……。

自衛隊のことは最近でもありましたね。下「」引用。

「ABCCへの怒り、自衛隊のミサイルデモストレーション(*ママ)を、被爆したわたしたちはもう二度とそんなものはみとうないといって、それを中止させたことなど、お話はつきません。」

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ベトナム戦争のことを心配している被爆者たち……。下「」引用。

「原水爆禁止運動も、広島や長崎の被爆者だけでなく、全国、全世界の人たちが、たえず運動をくりひろげていることによって、ベトナムに原爆を落すことをさせないのだ。第三の被爆地、第四の犠牲を出させないためにも原水協の活動を続けなければならない。現在の「ベトナム」と「広島・長崎」は同じですよね、ナパーム弾でベトナムの子供たちがやけどをしている姿をみるたびに焼きつくような気がする、と話しておられた。」

参加できないという被爆者。この本だけではありません……。下「」引用。

「また自治体が八月六日が近づくと何か言うが、その他のときは何もいわないという態度にはらをたてていました。そしてケロイドをもつ者としての苦しみを訴えていました。「とうろう流しにも出て行きたくない」「慰霊祭にも出て行きたくない」のことばが広島に住みながら市内のもよおしに参加できない被爆者の苦しみの姿を表わしていると思います。
 もう原爆のことは忘れたい-そう言いながら、次から次へと出てくる当時の思い出話は、一見矛盾するようですが、それは、わたしたちの平和を求める気持と、被爆者の方の平和を求める気持の一体となった証拠でしよう。」

吉島病院被爆者友の会というところにも訪問。下「」引用。

「最初、わたしたちの訪問に快く応じてくれるか、何人ぐらい集まってくれるかという危惧を持っていたが二十名以上の方が集まってくれた。好意的に真剣に話してくれた。現在病院にいる被爆者の方がたの現在の気持ちが胸に伝わってきた。それと同時に、病院内に「被爆者友の会」を結成していることから、この人たちの持つ意外な明るさを感じた。まっとうな要求を出し合うことからくる連帯、励ましあいという強さ、明るさを生みだす「組織」の重要さを感じた。」

第五福竜丸保存のよびかけも書かれてありました。









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きり絵画文集原爆ヒロシマ

2008年06月09日 | 読書日記など
『きり絵画文集原爆ヒロシマ』
   寺尾知文・著/光人社1982年

プロ的な作風だと思い、検索してみると、やはりそのようです。



当時、軍人であったという。下「」引用。

「 当時ヒロシマで、兵隊の一人として原爆の試練をうけた私は、それから二十年間、八月六日が近づいてくるたびに、暗い気分に落ち入っていた。-略-私たち兵隊は、あの日、ヒロシマにいて被爆しながらも、敗戦後、復員して全国にちらばってしまったので、その実数も実態も、いまだに把握されていない。広島平和記念資料館の広島原爆被害の概要にも、「軍関係は除く」と明記されている。」

和歌山部隊であったが……。下「」引用。

「その後、六月二十一日、和歌山部隊は、六月二十日、和歌山暁部隊は、広島暁一九八○九部隊整備教育隊に配属された。この教育隊は金輪島にあったが、私たちは、その対岸の鯛尾に駐屯していた。つまり、この日から、私の広島市での軍隊生活がはじまったのである。」

軍刀をもったとき……。下「」引用。

「六月三十日、下士官は私刀の帯刀をゆるされていなかったが、この日、どういう理由でか、私たちに、「昭和新刀」一振りが支給された。-略-日本刀を帯革に吊すと、いかにもエラくなったような気がして来て、正直なところ、少し得意げであったことは否めない。」

爆心地から9キロ離れていたという。下「」引用。

「「--二十年八月六日 月曜日
 朝、八時から営庭で、中隊長殿の精神訓話があった。訓話中、突然、カッと、眼の中を稲妻みたようなものが、走り過ぎた。一瞬のことである。内心、ドキンとして空を見上げた。おどろおどろしくも、幾条もの火の浪が、青空の中を、うねるように伝播していき、同時に、大音響が空中を揺るがせた……」
 その日の私の「覚え書き」には、当日のことが以上しか書かれていない。爆心地から六キロ余り離れていた鯛尾での原爆投下の有様である。」

フィアンセを捜し出した将校。下「」引用。

「上半身を、ピカドンの閃光に焼きつくされた無残ななきがらであったが、なぜか、下半身につけていたもんぺんは焼け残っていた。その模様に見覚えがあって、彼女と識別できたのだ。
 そうです。きっと、彼女のたましいが、わたしを呼び寄せてくれたのです、将校の怒ったような目から、ハラリと大粒のなみだがこぼれた。」

ノーモアヒロシマ! 下「」引用。

「どこかで、一個の核爆弾が投じられれば、こんどは世界中に連鎖反応を起こし、たちまち、人類の滅亡につながる。その日の永遠になきことを祈り、ノー・モア・ヒロシマ! と叫ばずにはいられない。合掌!
  一九八二年七月 原爆の日を前にして
         寺尾知文」










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原子力の社会学 アトミュケーションのすすめ

2008年06月09日 | 読書日記など
『原子力の社会学 アトミュケーションのすすめ』
   飯高季雄・著/日刊工業新聞社1989年

いつものことのことを強く感じた本です。この本も被害者を見つめることはしません。原爆も原発もこの点は推進派の人たちの共通点と思ってしまうほど、見つめません……。



エネルギーは不可欠という。下「」引用。

「エネルギー問題はとりもなおさず、国の生存にかかわる問題でもある。生きているかぎり、わたしたちはエネルギーを必要とする。省エネルギーをはじめとするエネルギーの効率かをすすめるにせよ、わたしたちはエネルギーなしでは、社会も経済も、個人の生活もなりたっていかない。」

だからといって、原発の危険性を無視することはできないとボクは思う。下「」引用。


エネルギー不可欠という考えから、造語したという。下「」引用。
「そんな考えが、原子力の英語名「アトム」と「コミュニケーション」の合成語である「アトミュケーション」という言葉を生んだ。本書でも触れているように「アトミュケーション」とは、原子力が社会に受け入れられるにあたっての、原子力問題を通しての、さまざまな発想に基づく新しいコミュニケーションの提案である。」

チェルノブイリ以後のことを書く。下「」引用。

「全国的とも言える一挙に表面化した反原子力運動。その運動を大々的に報道するマスコミ。一見、資本の論理を全面に、なりふりかまず突きすすむ電力会社の暴挙であるかのような錯覚に陥る。」

推進はテレビコマーシャルでながせるが、反対派はそれもできないのにですか?

そして、一番の民放のスポンサーは電力会社というのにですか?

ラッキー教授は、多くの学者と異質なことを述べる。下「」引用。

「ラッキー教授によると、低レベル放射線被ばくの効果は、1.がんや白血病の発病を抑制し、2.細菌感染症に対する抵抗力を増し、3.老化を抑制し寿命を延ばす--というもの。「ある程度の放射線被ばくは、むしろ、生命体にとって有益」とす、いわゆる「放射線ホルミシス(活性化現象)」はここにきて各国の研究者から発表されてきているが、ここではこれ以上言及しない。まだ、議論の途中だし、その結論には時間がかかろう。」

放射線は少しでも受けない方がいいという学者の方が増えているような気がします……。
ですが、やはり健康診断は受けた方がいいようですが……。

検索してみまと、原発推進派だけでなく、温泉などの人たちも歓迎していますね。

でも、温泉と原発は同じにはできないとボクは思います……。

誤解はつきものといっても、専門家の著者がこれでは困ったものですね。下「」引用。

「だが、コミュニケーションの専門家からいわせると「誤解するのが当たり前」「聞き間違えるのは当然」となる。別の言葉でいうと「人間であるがゆえの宿命」。むしろ「まともな人間であることの証明」となる。」

「ケタ違いに少ない原子力の廃棄物量」という比較すべきではない論理を展開している。

少なくとも危険なものは危険である……。

高木仁三郎さんは、きちんと説明されていたと思います。

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