大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

「大変大変」報告書深まる謎 虎太郎展で初公開 龍馬記念館

2011-01-23 00:01:00 | 展示会・イベント
◇土佐勤王党150年

◆天誅組に参加 「三人之者」東洋暗殺犯か

 天誅組(てんちゅうぐみ)を率いて1863年(文久3年)に大和で挙兵した吉村虎太郎の書状や遺品など26点を集めた企画展「龍馬の先を駆けた男 吉村虎太郎展」が、高知市浦戸の県立坂本龍馬記念館で開かれている。明治維新の先駆けとなった初の軍事蜂起に「大変大変」と驚く新発見の土佐藩士の捜査報告書を初公開。幕府との戦闘で銃弾を受けた虎太郎の血染めの襦袢(じゅばん)や、死を悼む龍馬の手紙など貴重な資料も並ぶ。「大変大変」となったのは、藩重臣・吉田東洋の暗殺犯が天誅組に加わっていたことも要因と考えられ、新たな謎も浮かぶ。(大舘司)

 「大変大変」の報告書は、土佐藩京都藩邸で脱藩浪士らを内偵する藩士5人が記した。県が2009年に購入した京都藩邸の公文書に含まれていた。「吉虎より之(の)書状大変大変」(虎太郎の書状の内容はとても大変だ)とあり、内容は伏せているが、土佐出身者が天誅組の変を主導したことに驚いたとみられる。

 そして、続きには「三人之者容易ニ手ヲ下シ候様ハ成間敷(なるまじく)……」(3人は容易に討ち取られないでしょう)と記されていた。

 「三人」とは? 同館は、天誅組の変の前年に土佐で起こった大事件が、関係していると推測する。佐幕派の吉田東洋を暗殺した土佐勤王党の実行犯は、3人だった。同館の三浦夏樹主任学芸員は「藩は実行犯3人が天誅組に加わり、暗殺の『証拠』が戦死することを恐れたのかもしれない」と考える。実際、3人のうち那須信吾、安岡嘉助の2人が参加しており、歴史愛好家の議論を呼びそうだ。

 もちろん、ほかの展示品も見もの。虎太郎らが幕府側の高取城(奈良県高取町)を夜襲し、味方の誤射で負傷した際に着ていた襦袢は、脇腹部分に弾痕とみられる穴があり、生々しい。背中側には貫通しておらず、体内に弾丸が残ったという記録とも合致する。高取城に近い同県御所(ごせ)市の旧家に残された遺品だ。

 また、1863年秋頃、龍馬が姉乙女に送った書状には「私が戦に加わっていたら打ち破れたのに残念」という内容をつづり、虎太郎らの戦死を悼んでいる。虎太郎が大和の庄屋に米やたいまつを用意するよう求めた直筆の覚書も並ぶ。

 東京都板橋区、会社員広藤正敏さん(28)は「今後も龍馬だけでなく、幕末に活躍した多くの偉人に光を当ててほしい」と話した。

 企画展は3月31日まで。入館料500円。

1/14 読売新聞


よければクリックしてください。 人気ブログランキングへ 一日一回クリックしてもらえたらうれしいです。

大阪龍馬会作成の2011年版龍馬カレンダー「龍馬暦」を発売中。携帯版はこちら PC版はこちら

大阪龍馬会携帯版HPはこちらです。 大阪龍馬会HPはこちらです。 NHKドラマスタッフブログはこちらです  龍馬伝のHPはこちら



最新の画像もっと見る

コメントを投稿