連休明けはしばらく体がだるかったですね。
9日、羽曳野市民大学の「大河ドラマ龍馬伝を楽しむ」講座の2回目。
4月25日からスタートした講座で、毎回60名近い人が聞いてくださっています。
12回の連続講座で毎週日曜日にlecはびきので行っています。(募集は終了しました)
最初の5回は龍馬の生涯、3回で龍馬の手紙をお話します。
さて1.2回目で龍馬の生涯をお話ししました。
1回目は龍馬脱藩まで。様々な資料を使って龍馬伝説のルーツをたどりました。もちろん大河ドラマと連動して。
2回目は勝海舟との出会いまでをじっくり。初恋の平井加尾と許嫁の千葉佐那を詳しくお話ししました。とくに龍馬没後の二人の話を中心に。
皆さんとても熱心に聞いてくださり、1時間半があっという間に終わりました。
この羽曳野市民大学は、毎講座終了後、参加者の感想文を講師に渡されるんです。
これが怖い怖い(笑)。ダイレクトに感想が伝わるので毎回ドキドキしながらジャッジを受けています。優しい皆さんに励まされて日々精進しています。
11日、コープこうべ生活文化センターの野外講座。残念ながら雨天でしたが、高瀬川近辺と龍馬の墓に行きました。
四条河原町に10時集合。
コースは
古高俊太郎寓居跡→中岡慎太郎寓居跡→坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地(近江屋跡・今コンビニになっています。実際の近江屋は現在の石碑の南隣りにありました)→福岡孝弟寓居跡→土佐藩邸跡(攘夷決行の回で、龍馬と武市の語り合うシーンがありました。その場所です)→岬神社(龍馬像)→本間清一郎遭難地(ここには刀傷のある路地があるんですが今回は見学できませんでした)→彦根藩邸跡→此の付近お龍独身時代寓居跡→後藤象二郎寓居跡→坂本龍馬寓居跡(京都海援隊本部・酢屋)→池田屋騒動の地→対馬藩邸跡→吉村虎太郎寓居跡→武市半平太寓居跡(石碑に月形半平太と刻んであります。月形半平太のモデルになった人物です)→佐久間象山寓居跡→加賀藩邸跡→幾松→大村益次郎寓居跡→佐久間象山遭難地→大村益次郎遭難地→長州屋敷跡→桂小五郎銅像
ここで12時前。京都ホテルオークラで小休止して、円山公園まで徒歩で移動。
小川亭跡→高杉晋作寓居跡→巽橋(祇園の風情の残るええところです)→円山公園(ここで昼食。小雨が降っていましたがあずま屋でみなさん弁当を食べました)
坂本龍馬・中岡慎太郎銅像→御陵衛士屯所跡(月真院)→翆紅館会議跡(京大和)を経由して龍馬墓前へ。
ここで入場料300円払って墓前へ。この時、KBS京都のアナウンサーが龍馬の格好をして中継されてました。(ラジオなのにね)
龍馬と慎太郎、藤吉の墓参りをして、木戸孝允・松子夫妻の墓参り
そして霊山歴史館を見学して、霊明神社(龍馬らの葬儀を行ったところ)を案内して、幕末当時からある現在の「龍馬坂」を滑らないように注意して下山しました。
当初は15時四条河原町駅解散でしたが、15分ほどオーバーして無事終了しました。15000歩、約7キロほどの史跡探訪でしたが、皆さん元気に最後まで歩かれました。
お楽しみの話もたくさんしました。喜んでもらえたでしょうかね。
12日、9時半に朝日新聞の取材がありました。30日の大阪史跡探訪の取材でした。
龍馬伝の話や大阪と龍馬の関係をたくさん話ししました。
15時から達増岩手県知事を長谷幹事と、適塾、南部藩蔵屋敷跡、大阪勝塾、薩万(大阪海援隊本部)の史跡を案内しました。大変喜んでいただきました。長谷幹事は緊張しながら丁寧にわかりやすく話をされました。
16日は羽曳野市民大学、18日はコープこうべ生活文化センターでの講座があります。さあ、準備しなければ。
9日、羽曳野市民大学の「大河ドラマ龍馬伝を楽しむ」講座の2回目。
4月25日からスタートした講座で、毎回60名近い人が聞いてくださっています。
12回の連続講座で毎週日曜日にlecはびきので行っています。(募集は終了しました)
最初の5回は龍馬の生涯、3回で龍馬の手紙をお話します。
さて1.2回目で龍馬の生涯をお話ししました。
1回目は龍馬脱藩まで。様々な資料を使って龍馬伝説のルーツをたどりました。もちろん大河ドラマと連動して。
2回目は勝海舟との出会いまでをじっくり。初恋の平井加尾と許嫁の千葉佐那を詳しくお話ししました。とくに龍馬没後の二人の話を中心に。
皆さんとても熱心に聞いてくださり、1時間半があっという間に終わりました。
この羽曳野市民大学は、毎講座終了後、参加者の感想文を講師に渡されるんです。
これが怖い怖い(笑)。ダイレクトに感想が伝わるので毎回ドキドキしながらジャッジを受けています。優しい皆さんに励まされて日々精進しています。
11日、コープこうべ生活文化センターの野外講座。残念ながら雨天でしたが、高瀬川近辺と龍馬の墓に行きました。
四条河原町に10時集合。
コースは
古高俊太郎寓居跡→中岡慎太郎寓居跡→坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地(近江屋跡・今コンビニになっています。実際の近江屋は現在の石碑の南隣りにありました)→福岡孝弟寓居跡→土佐藩邸跡(攘夷決行の回で、龍馬と武市の語り合うシーンがありました。その場所です)→岬神社(龍馬像)→本間清一郎遭難地(ここには刀傷のある路地があるんですが今回は見学できませんでした)→彦根藩邸跡→此の付近お龍独身時代寓居跡→後藤象二郎寓居跡→坂本龍馬寓居跡(京都海援隊本部・酢屋)→池田屋騒動の地→対馬藩邸跡→吉村虎太郎寓居跡→武市半平太寓居跡(石碑に月形半平太と刻んであります。月形半平太のモデルになった人物です)→佐久間象山寓居跡→加賀藩邸跡→幾松→大村益次郎寓居跡→佐久間象山遭難地→大村益次郎遭難地→長州屋敷跡→桂小五郎銅像
ここで12時前。京都ホテルオークラで小休止して、円山公園まで徒歩で移動。
小川亭跡→高杉晋作寓居跡→巽橋(祇園の風情の残るええところです)→円山公園(ここで昼食。小雨が降っていましたがあずま屋でみなさん弁当を食べました)
坂本龍馬・中岡慎太郎銅像→御陵衛士屯所跡(月真院)→翆紅館会議跡(京大和)を経由して龍馬墓前へ。
ここで入場料300円払って墓前へ。この時、KBS京都のアナウンサーが龍馬の格好をして中継されてました。(ラジオなのにね)
龍馬と慎太郎、藤吉の墓参りをして、木戸孝允・松子夫妻の墓参り
そして霊山歴史館を見学して、霊明神社(龍馬らの葬儀を行ったところ)を案内して、幕末当時からある現在の「龍馬坂」を滑らないように注意して下山しました。
当初は15時四条河原町駅解散でしたが、15分ほどオーバーして無事終了しました。15000歩、約7キロほどの史跡探訪でしたが、皆さん元気に最後まで歩かれました。
お楽しみの話もたくさんしました。喜んでもらえたでしょうかね。
12日、9時半に朝日新聞の取材がありました。30日の大阪史跡探訪の取材でした。
龍馬伝の話や大阪と龍馬の関係をたくさん話ししました。
15時から達増岩手県知事を長谷幹事と、適塾、南部藩蔵屋敷跡、大阪勝塾、薩万(大阪海援隊本部)の史跡を案内しました。大変喜んでいただきました。長谷幹事は緊張しながら丁寧にわかりやすく話をされました。
16日は羽曳野市民大学、18日はコープこうべ生活文化センターでの講座があります。さあ、準備しなければ。