ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ヨーグルトの瓶

2010-06-09 12:22:43 | Weblog
昨日、写真の加工をしていたとき、ふと視線を動かしたら、
93年に北京から持って帰ってきたヨーグルトの瓶が目に入った。
いい口実だ。下に敷くものを編んだ。


当時、瓶を返却するといくらかお金が戻ってきたのだけど、
あまりに瓶がかわいらしかったので欲しくなり、持って帰ってペン立てにした。
もちろんヨーグルトもおいしかった。
当時、北京のヨーグルトは本当においしかったんだ。いまはどうだかわからないけど。
そして、あれ以来、ずっと私の机の上で活躍してくれている。

その後ろに飾ってあるのは、中学から大学にかけて飼っていた犬のリョウの写真。
93年の北京留学の際にも、この写真を持っていった。
うちに来たばかりの、生後約1ヶ月のときの写真で、
母に「すぐ大きくなっちゃうわよ」と言われ、あわてて撮ったものだ。
先日、写真立てがドリフのコントの家のように分解し壊れてしまったので、
いま、なんとなく表面上は組み合わせて使っている。新しい物を買わなければ。

でも、93年以来、このコンビはずっと私の机の上にいてくれるので、なんだかしのびない。
どんなに気持ちがざわついているときでも、
この2つのアイテムを見ると、スッと落ち着く。

『般若心経講話』(鎌田茂雄著、講談社学術文庫)を読み終わった。
般若心経は、たった262個の漢字で、ものすごくたくさんのことを伝えてくれる。
この境地からはまだまだほど遠いところにいるけれど、
この文字の羅列を見るとき、とても美しいと思うし、
漢字圏に生まれてよかったとも思う。
サンスクリットを読む人は、その文字の流れから、どんな印象を受けるのだろうとも思う。

怒るのも、むさぼるのも、私たちのこころ。
頭で考えるだけではなくて、自分のこころと向き合うこと。
自分のこころにあって、日々自分をむしばむ毒と付き合う勇気をもってこそ、
頭で考え導いた解も生きてくる。
そして、わからないことに出会ったときは、
無理に理由をつけたり、勝手にストーリーを作り上げるのでもなく、
ただ素直にわからないこととして接し続けることも、ときに必要だ。