一止羊大著、産經新聞出版刊
先日友人が、学校で「君が代」を習わなかった、と言っていた。
それで、ふと思い出した。
私の場合、小学校で初めて音楽の専科が始まったときに、最初の授業で君が代を習った。
学校の先生は、確かこのように教えてくれた。
「君」というのは、天皇のことではなく、あなたたち1人ひとりを指していて、
みんながそれぞれ幸せに生きることができるように、という祈りが込められている。
戦前は天皇を指していた時期もあるけれど、
これが国歌なのだから、そういった歴史もふまえて、
国歌に対しては敬意をはらいなさい、と。
中学校もほとんど同じ。当時、まだ戦前の教育を受けたベテラン先生がいたので、
君が代や日の丸は、ちゃんと尊重すべし!と教わった。
ところが高校に入って、入学式に確か日の丸がなくて、君が代もなかった。
なんだか、とても不思議な感じがした。重厚感がなくて。
そのあと極左の歴史の先生に昭和の歴史を習って、
イヤと言うほど、日本が戦中に朝鮮半島や中国で行ったことを習い、
レポートを書かされ、まったくもって日本と言う国が嫌いになったし、
なんだか自分も悪い血が流れている人間のように思えて来た。
確か、高校の卒業式では、国旗掲揚をめぐって、
校長が屋上に掲揚しようとしたのを、誰かが阻止に行ったとかなんとか、
高校3年生にとっては、あまりにくだらない笑い話がたくさんあった。
もちろん同窓会でも、先生に向かって「やっぱり、君が代には反対なの?」と、
からかうくらいのネタにすぎない。
その後、大学生のときに中国に留学した。
あれ、これが共産主義の国なのか。私は日本人でよかった、と心から思った。
あの頃、高校時代の呪縛から解き放たれて、
私の心の中には、日の丸や君が代を大切にする気持ちが戻って来た。
これは、肉親の情に近い。
そして、最近、仕事を通じて、
公立校の先生ほど、気が合わない人たちはいない、とも思う。
生徒の平等と言うわりには、私たちに対して要求してくることは平等ではない。
「教育」という伝家の宝刀をかざして、どこまでもたかってくるし、
彼らは自分が正しいことをしていると信じて疑わない。
社会では、Win-Winでないと、関係が成り立たないのに。
そんなことがあったので、この本のレビューを見たとき、とても読んでみたいと思った。
現場のことが、赤裸々に綴られている。
ほぼ想像していた通りではあったけれど、
よく、これだけ記録をとっておいたなあ、と著者に感服した。
校長と教員の間で繰り広げられる話は、
議論と呼べるようなものでもなく、あまりに堂々めぐりで、
正直言って、読んでいるだけでもうんざりするけれど、
現場の校長先生に、この負荷をすべて負わせて知らんぷり、は、
よくないような気がする。やっぱり1人ひとりが考えるべきことだよな。
私が思うのは、たとえどのような歴史があろうとも、
ヒステリーに排除するだけでは、何の解決にもならない。
それは、新たにイデオロギーという「神」をつくり、
ひいては、極端で悲しい結果を招いた例は、すでにたくさんあるのだから。
確か日教組も民主党の支持基盤だったような・・・。
先日友人が、学校で「君が代」を習わなかった、と言っていた。
それで、ふと思い出した。
私の場合、小学校で初めて音楽の専科が始まったときに、最初の授業で君が代を習った。
学校の先生は、確かこのように教えてくれた。
「君」というのは、天皇のことではなく、あなたたち1人ひとりを指していて、
みんながそれぞれ幸せに生きることができるように、という祈りが込められている。
戦前は天皇を指していた時期もあるけれど、
これが国歌なのだから、そういった歴史もふまえて、
国歌に対しては敬意をはらいなさい、と。
中学校もほとんど同じ。当時、まだ戦前の教育を受けたベテラン先生がいたので、
君が代や日の丸は、ちゃんと尊重すべし!と教わった。
ところが高校に入って、入学式に確か日の丸がなくて、君が代もなかった。
なんだか、とても不思議な感じがした。重厚感がなくて。
そのあと極左の歴史の先生に昭和の歴史を習って、
イヤと言うほど、日本が戦中に朝鮮半島や中国で行ったことを習い、
レポートを書かされ、まったくもって日本と言う国が嫌いになったし、
なんだか自分も悪い血が流れている人間のように思えて来た。
確か、高校の卒業式では、国旗掲揚をめぐって、
校長が屋上に掲揚しようとしたのを、誰かが阻止に行ったとかなんとか、
高校3年生にとっては、あまりにくだらない笑い話がたくさんあった。
もちろん同窓会でも、先生に向かって「やっぱり、君が代には反対なの?」と、
からかうくらいのネタにすぎない。
その後、大学生のときに中国に留学した。
あれ、これが共産主義の国なのか。私は日本人でよかった、と心から思った。
あの頃、高校時代の呪縛から解き放たれて、
私の心の中には、日の丸や君が代を大切にする気持ちが戻って来た。
これは、肉親の情に近い。
そして、最近、仕事を通じて、
公立校の先生ほど、気が合わない人たちはいない、とも思う。
生徒の平等と言うわりには、私たちに対して要求してくることは平等ではない。
「教育」という伝家の宝刀をかざして、どこまでもたかってくるし、
彼らは自分が正しいことをしていると信じて疑わない。
社会では、Win-Winでないと、関係が成り立たないのに。
そんなことがあったので、この本のレビューを見たとき、とても読んでみたいと思った。
現場のことが、赤裸々に綴られている。
ほぼ想像していた通りではあったけれど、
よく、これだけ記録をとっておいたなあ、と著者に感服した。
校長と教員の間で繰り広げられる話は、
議論と呼べるようなものでもなく、あまりに堂々めぐりで、
正直言って、読んでいるだけでもうんざりするけれど、
現場の校長先生に、この負荷をすべて負わせて知らんぷり、は、
よくないような気がする。やっぱり1人ひとりが考えるべきことだよな。
私が思うのは、たとえどのような歴史があろうとも、
ヒステリーに排除するだけでは、何の解決にもならない。
それは、新たにイデオロギーという「神」をつくり、
ひいては、極端で悲しい結果を招いた例は、すでにたくさんあるのだから。
確か日教組も民主党の支持基盤だったような・・・。