オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

ゴーゴリ『外套』 原 『私が殺した少女』 車谷長吉『赤目四十八滝心中未遂』 

2012-03-27 | 遠藤周作、エミール・ゾラ、ロシア文学・英国児童小説などマキの図書館

 

うちのハイジ(コレ↑)の様子がおかしいことに気づいたのはつい数日前です。

可愛い可愛いわたしのいとし子ハイジが、何か・・・地蔵の様相を呈してきたのです。

今日もまた「地蔵様」になっている彼女に向かって「ねぇ・・・いったいどうしたの・・・ハイジさん・・・?」と声をかけてみましたが、何の応答もございませんでした。

わたしの不安と心配を他所に、彼女はそのすわったような目つきでどこか遠く・・・あらぬ方向を見つめながら、薄っすらと微笑んでいるような気さえしてきます。わたしは微かな恐怖を感じぷるぷると身震いいたしました。

たまたまオープン当初からの大切なお客様、Uさんがご来店くださいましたので、外までお送りした際、

「ねぇ、Uさん、うちのハイジの様子がおかしいことにお気づきですか」と思い切ってお訊ねしたところ、

Uさんは怪訝そうな表情で「何が?」と、逆に質問をなさいましたので、

「いえ、あのですね、何だか地蔵みたいになってきたんです、目の錯覚でしょうか」とおそるおそる伺うと・・・

「地蔵? 前から地蔵みたいやで」とハッキリお応えになられました。その声はひどく決然となさっておりました。

・・・

・・・・・・わたしはしばらく佇んでいたあと、はっ、と我にかえり、運転席の窓を開けて手を振ってくださるUさんに向かって「ありがとうございました・・・」とつぶやきながら、同時に問いかけておりました。Uさん? それは本当のことですか・・・と。

そうか・・・そうだったのですね。

前から地蔵みたいだったのですね、ということはつまり、わたしがようやくその事実に気づいたということなのですね、前々から地蔵みたいだったのにわたしはそれに気づかず、「うちのハイジです♪」なんて声高らかにみなさんに向かって紹介していたのですね、そうでしたか、前々から多くの方は、ハイジじゃなくって地蔵でしょーが、とそのような見解をお持ちだったのですね、わたしは曲がりなりにもクリスチャンであるというのに地蔵を飾っていたということになるのですね、そうだったのですね・・・わたしはしばらく立ち直れそうにありません。

 

今日はヨナの日(厄日)でした。とんでもないことが起こり、わたしは危うく自分を見失うところでした。

メーカーからの荷物が届きました。昨日たんまり仕入れたものです。「客注(お客様方からの注文分)」が山ほど入っているはずです。なのに入っていたのは仕入れた商品の三分の一程度でした。

こんなおかしなことってあるかしら。

わたしはすぐさまメーカーに電話をし、なんでこんなことになったのかを問いただしました。対応したのは帳場の責任者のおじさんでした。おじさんは「ちょっと待ってください、今調べますから」と言いました。その横柄な態度にムッときたわたしは、「お客様がもうすぐ取りにいらっしゃるのです。早くしてください」辛らつな口調になりました。

たっぷり20分待たされ、連絡が入りました。「申し訳ございません。『入れ忘れ』です」おじさんの口調にはさきほどの横柄さは微塵もありません。そりゃそうです。

「困ります」わたしは一拍置いて言いました。一拍置いて本当によかったと思います、そうでなければわたしの口からは機関銃のような罵詈雑言が飛び出していたことでしょう。いったん爆発してしまえばもう後戻りはできません。

「困ります」と言ったのは、本当に困るからです。商品が入らなければ今日の発送計画はすべておじゃんです。届く予定の商品がなければ今日発送予定の荷物の四分の一程度しか発送ができません。その上、今日はお客様が商品を取りにきてくださる予定だったのです。

「申し訳ありません。今からお店に持って行きます。電車で行きますが最寄り駅は○○でよいですか」おじさんは言いました。本気のようです。

わたしは深呼吸をしました。そして「いいえ、けっこうです。明日着で送ってください。よろしくお願いいたします」それだけ言って受話器を置きました。

わたしはイエスさまに深く感謝しました。「それじゃあ持ってきてください!」そう言わずにすんだことを本当に感謝しました。だってイエスさまがいなければ、イエスさまがわたしに思い起こさせてくれなければわたしは言ったかもしれないのです。それくらい腹がたっていたのです。それくらいわたしの心は狭いのです。

けれどそれを言ってしまったらわたしの後悔はいかほどだったでしょう。わたしはきっと自分を赦せなかったと思う。

イエスさまが間髪入れずに思い出させてくれたのは、わたし自身だってどれほど失敗を重ねてきただろう、ということです。そしてどれほど多くの人に赦してもらってきただろう、ってことです。「赦してあげなさい。あなただって赦されてきたんだから。これからも多くの人に赦してもらうのだから」イエスさまの優しい、諭すようなお声が本当に、心の耳に聴こえました。

人は他人の失敗を責めるとき、自分がこれまでに犯したおびただしい数の失敗を忘れている。すっかり忘れてしまって、この場合自分にはちっとも非がないのだから・・・とおそろしく優位に立って相手を責めまくる。そのことをあとになって思い出したとき、死ぬほど恥ずかしい思いと後悔に苛まれる。

わたしはそうなる一歩手前で命からがら逃げ出したような気分です^^;

忘れちゃいけない。そして相手の弱みに付け込むことはしちゃいけない。改めて思い知らされました。

なぜこんなことになったのかわからない。なぜ仕入れた商品の半分以上が入っていなかったのかわからない。1つや2つの入れ忘れではなく、100点近くの入れ忘れなのです。だけど一つだけ言えるのは、誰だって失敗したくてするんじゃないってこと。

というわけで今日の発送計画はすべておじゃんでした。ごめんなさい。Rieさんお会いしたかった・・・ごめんなさい(ToT)

 

さて、気を取り直して。明日の新作速報です☆彡

先日即完売したレッキスファー・やぶれかぶれ価格^^; を7枚のみ再販いたします。社長がかき集めてきてくれました^^;

最高にお買い得なのでどうぞお見逃しなく。ラスト・チャンスです。

まあ・・・

なんてなんて可愛いのでしょう・・・

みなさま、ベビーピンクですよ、ベビーピンク♪♪♪

ふんわりふわふわローズ、まるでローズ型のマカロンが並んだみたい(*^_^*)

何とも愛らしいマカロンローズトート☆彡

超レア色ベビーピンクのコットントートが一際愛らしさと春らしさを感じさせてくれますネ。

サイズはめずらしさんのトート「L」のちょっと横長版みたいなタイプでマチも大きくたっぷり入ります。

内ポケットもございます(^^♪

ふんわり並んだマカロンローズ☆彡

クリームに見立てたホワイトフリルが可愛らしさを盛り上げます(^.^)

サイドにはベビーピンクのレースリボン☆彡

超レア色ベビーピンク♪ 数量限定品です。お見逃しなく! 

一押しです♪

こちらもマカロンみたいな可愛らしさ♪

☆クチュールライン・リボンリボンツイードニットカーディガン☆

花のように散らされたグログランリボンがとびっきりスウィートなデザイン☆彡

春らしさ満点の上質コットンリボンツイード素材、日本製の素敵なお品。

サイズは9号ですがかなり伸縮性がありゆったりしているのでフリー寸法です。

淡いミルクティ×ホワイトのリボンツイードが可愛い(^.^)

リボンはグログランでこちらもミルクティ×ホワイト。この配色なら華やか過ぎず清楚でお上品。

ふんわりとした優しい着心地♪ ミルクティ系のふんわりスカートと合わせると素敵です。

暖かくなったら一枚で、今の時期にはインナーとした大活躍のパフスリーブカットソー☆彡

2デザインございます。お色は淡いミルクティ、裾レース共通。

サイズはMとLをご用意しております。

プチ・プライスなので2デザインともいかがですか(^.^)

まずはこちらのパールデコレーションタイプ☆彡

リボン通しにレースとパールをデコレーションしたとびっきりロマンティックなデザイン!

薄手のやわらか素材でインナーにも大活躍!

こちらはブレードシフォンタイプ。

この子の特徴はこのふっくらふくらむパフスリーブ☆彡

これだけふっくらしていると、こんなふうにレイヤードしてパフスリーブを目立たせる着こなしも素敵。

ネックラインはレースとブレード、チュールを重ねて♪

後ろから見てもふっくら(^.^)

キャミワンピースのinにもおススメです。

こちらもおススメいたします☆彡

クチュールライン・ピンタックフリルチュニック☆彡

この子と同じシリーズでエンジェルスリーブのワンピースチュニック(レイヤードにも)もご紹介いたします。写真が間に合わなかったので明日のウェブ・ショップにてご確認ください(^.^)

見るからに上質です。今からの季節にぴったりのストレッチニット素材。特筆すべはこの色の美しさ。ベージュの中でも一際美しいお色です♪

巻物を巻いて素敵にコーディネート☆彡

ほんのりAラインの美しいシルエットでほっそりスリムに見えるのも魅力!

サイズはM-Lのフリー。

とってもお買い得です!

 

またまた図書館やります。ドストエフスキーからちょっと離れてみましょう^_^;

日本人作家における推理小説の最高傑作!

原 (はら りょう)『私が殺した少女』 1989年

わたしが高校生の頃に発表されたものですが実際に読んだのは25-6歳のころです。本好きな男友達の「マキちゃん、これは絶対読まなあかん、オレの中では最高傑作や!」との言葉に触発され、すぐに書店に走りました。

そこらへんのミステリとは一味も二味も違います。めちゃくちゃカッコいいハードボイルド系・推理小説です。早くラストを知りたくて寝食忘れてむさぼり読みました。かなりの長編ですから、みなさまは一月くらいかけてゆっくり読んでくださいね。

推理小説という性質ゆえ、あらすじ等は書きません。推理小説好きなみなさま、ぜひ読んでみてください!

二段です! ちょっとめずらしい^_^;

どんぴしゃな作者です。この凛とした表情と手入れの行き届いた髭をご覧くださいまっし^_^;

過去はピアニストを生業としていたという異色の経歴をおもちです。

個人的意見ではありますが、小説家、音楽家、画家などの芸術家の男性は痩せこけていないとウソだと思っています。芸術は、自らを切り刻むように生み出されるものだ、肥っていたらあかんやろ、というのが理由です。

わたしの中では主人公の探偵「沢崎」は作者そのままの容貌です。

レベルの高い推理小説を読んでみたいという方にはおススメいたします。

車谷長吉『赤目四十八滝心中未遂』 初出 平成8年

これも20代半ばごろに読んだものです。

わたしの好きな小説・ベスト10に入るほどに大好きな作品です。

赤目四十八滝というのは、三重県に実在する渓谷で、忍者の修行場として有名です。忍者ね・・・^^;

わたしはここに数回行ったことがあるのです。鬱蒼とした森の中に、しょーもない滝から高さ30mの見ごたえのある滝まで、滝コレクションを堪能できます。日中から身を隠したい人には最適な陰気くさい場所です。

タイトルからしてココが舞台のミステリ小説かと思いきや、バリバリの「純文学」です。しかも舞台は阪神尼崎です(阪神尼崎・・・ダウンタウンの生まれ故郷として有名ですね、関西では有名な下町です)。主人公以外は、全員尼弁(独特の響きがあり、ちょっとコワイ喋り方)です。

「心中未遂」です。

「殺人未遂」ではありません。

なぜにこんなタイトルになるのか・・・最後まで読めばわかります。

すべてはたとえようもなくドロドロとしているのに、その隅にそっと佇む一人の美しい女性が印象的です。

作者の車谷さんは、朝日新聞の別紙にある『悩みのるつぼ』の回答者でもいらっしゃいます。わたしは車谷さんの大ファンです。

1800年代にロシアで活躍したウクライナ人作家 ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリの作品を集めました。ドストエフスキーの小説にも、このゴーゴリの名が頻繁に出てきますね。後年のロシア文学に多大なる影響を与えたというゴーゴリ。

『死せる魂」は絶版になっていて書店では手に入らないのでオークションで手に入れました、新品みたいでよかった・・・^^;

この『外套』ほど心に迫る小説があるでしょうか。わたしは心の中で涙をいっぱいこぼしながら読み終えました。

極寒のペテルブルク、貧乏な小役人アカーキエウィッチにとって、外套を新調することは生涯の大事件。仕事熱心で誠実ゆえ、みなからバカにされているアカーキエウィッチが息詰まるような想いをして新調したその外套が、彼の手にわたってほんのわずかな時間にとんでもないことになってしまうのです。

あまりに悲しい運命、しかしそれに逆らうこともできずひたすら身をまかせるしかないこの憐れで滑稽な人間に、わたしは心から敬意を表したい。そしてわたし自身も、アカーキエウィッチと同様、情けないほど悲しく滑稽な人間であることを認めたい。

が、悲劇のうちに亡くなったアカーキエウィッチが思いもかけない姿になって現れたときには溜飲が下る想いがいたしました^^;

ドストエフスキーに「我々はみなこの『外套』の中から生まれたのだ!」と言わしめたほどの素晴らしい作品。

短編で読みやすいこともありますので、どうぞみなさま読んでみてください。

面白すぎる幻想小説『鼻』についてはまた改めて書きます。

ドストエフスキーにまた戻ってきました^^;

とにかく夢中になって読んだのがこれ、『謎解き カラマーゾフの兄弟』

こんなにもたくさんの謎解きがあったのか! と驚愕させられました。これを読んで再通読したらどんなに面白いことになるだろう。

そりゃあね、わたしのような凡人が、しかもまだ1年しかロシア人作家と付き合っていないわたしが、一度読んだくらいで理解できるような作品じゃないんです、カラマーゾフは。

カラマーゾフという性についての考察からはじまって、わたしがこの小説の中で一番惹かれた次兄イワンと悪魔の対話についてや、ゾシマ長老の悪臭(死臭)騒ぎの一件についても詳しく書かれているし(疑問も晴れた、というか自分の理解力不足だった)。

何といっても興味深いのが、召使として扱われているが実はピョートル(兄弟たちの父親・好色)の息子であるからカラマーゾフの兄弟の一人となるはずのスメルジャコフが実は「虚勢派」の人物であった、という、江川さんの結論。「虚勢派」というのは文字通りの意味で、そのようなキリスト教宗派が昔のロシアにはあったのです。

スメルジャコフが事実、「虚勢派」であったなら、なぜ、ピョートルを殺したのかも、殺害についてなぜ遺書に書かなかったのかも納得できる。

ドストエフスキーが書く予定をしていた『カラマーゾフ・・・』の続編についても触れられていて、とても興味深い(そのような事実があるので、『カラマーゾフ・・・』は未完の書と言われている)。

 

江川 卓さんは、『謎解き 罪と罰』もお出しになっているので、ぜひそちらも読んでみたい。

 

わたしは以前、『罪と罰』について何ともくだらない・・・恥ずかしくなるくらい・・・の感想を書いてしまったのですが、主人公であり、金貸しの老婆とその妹を強殺したラスコーリニコフが、情婦であるソーニャの信心深さに心打たれて自首をし、収容所に入っても、実は、老婆殺害の罪に対しては何ら反省していなかったのは事実です。

人間回帰への夢をソーニャとともに追いかけていきたいという気持ちは本物でも、殺人については反省していない。『罪と罰』はハッピー・エンドの物語とされていますが、ラスコーリニコフが実際反省していない限り、ハッピー・エンドではないぞ。

そうなると『罪と罰』は単なるヒューマニズム作品ではないことになる。

悪いことをして、神様を信じている女性から愛されることで改心し、そして自首をして罪を償う一人の青年の回帰物語・・・多くの人は『罪と罰』についてこのような単純な感想をもっている。

しつこいけれど、ラスコーリニコフは殺人について反省していないのです。反省したのは、自分の「犯罪理論」が間違っていたことに対してだけ。

ラスコーリニコフ・・・すなわち人間・・・はそんなに簡単なものではない、ということを、ドストエフスキーはしっかりと書いている。だからこそ人間にとって、「穢れなきイエス」は必要なのだ、と訴えているのではないか、少なくともそういう読み方もできる。

日本では学生の読書感想文の推薦図書にもなっていますが、大人たちがこの物語が描き出している人間の悪、人間の罪深さを教え込んでこそ、理解させてこそ、この偉大なる書の価値も高まるというものではないでしょうか。

 

もう一つ、肝心なことがあります。

ご存知のとおり、特にヨーロッパ(ロシアやその他のキリスト教国もそうですけれど)の芸術・・・絵画・彫刻・音楽・小説・・・を理解するためには、聖書の通読は欠かせません。聖書を読んでいないと半分も理解できない、というのは周知の事実です。世界的に評価の高い芸術作品で、聖書に、つまりキリストに関わりのないものを探すほうが困難なんですよね。

すべての芸術は聖書を起点としていると言っても言い過ぎではないようです。

ドストエフスキーにしても、聖書(少なくとも新約聖書の中の福音書・・・イエス・キリストの生涯を書いたもの)を知らなければ、理解が困難です。

わたしは以前から書いているように「旧約聖書」にはついていけません^^; それでなくてもとんでもなく長いのに、あんな怒り狂った神様には到底ついていけません。旧約で好きなのは「ヨブ記」と「詩篇」、「創世記」くらいで、しかし詩篇にしても暗誦できるものは一つもありません^^;

けれども新約聖書・・・特に福音書は何十回も読み返しました。これからも読み返しますが、この福音書を熟読することで、世界の芸術に対する理解力が信じられないほどに高まったのです。

閑話休題。『罪と罰』を推薦図書にするなら、当然、一緒に福音書も読ませるべきではないでしょうか。だってそうでなければ意味が理解できないんですよ、せっかく読んでも、作者の目指したものを理解できなければ何の意味があるのでしょう。

作者・ドストエフスキーはバリバリのロシア正教徒で(キリスト教はカトリック・プロテスタント・正教会の三つ。その他の宗派はキリスト教とは認められていない)、神と不信問題に生涯にわたって悩まされてきた人物です。

福音書を一緒に読ませることでキリスト教信徒にしようというクリスチャンの企みか? なんてうがった考え方をしてはいけません^^; そんな簡単に日本人はクリスチャンになどなりません^^; 

芸術性の高い日本人が、いまだキリスト教についての知識が乏しいことからも明白です。日本人はそんな簡単に、外国の宗教にはまったりしないのです。そもそも日本人は、長年の環境から、「主(神)は創造主おひとりである」などという一神教への理解は・・・残念ながらありません。

そうではなくて、世界の芸術の理解のための聖書・・・福音書・・・です。学問ゆえの聖書です。芸術に触れ、それを理解し、そこから何かを学ぶ、つかみとるための聖書です。

マァ、福音書を読み、イエスの行ったさまざまのことに気持ちを動かされたならそれはそれで万々歳ですけれどね!(^^)!

 

啓蒙書(人生指南書)・・・たとえば、どうすれば幸せになれるか・・・とか性格を変える方法とか・・・そういうのをバカにしているわけではありませんが(過去に何冊か読んでいますし、もちろん良いものもありました)、やはり人生を豊かにしてくれるのは、上質な小説ではないでしょうか。

学歴や職業など問題ではありません。前者はとうに過ぎ去ったもので、後者は多くの人にとっては食べるための手段です。人の「聡明さ」とは何ら関係がないとわたしは思っています。

人はいくつになっても、極端に言えば学校など行かなくても、学ぶ気さえあれば学べます。

想像力を鍛える(生きていくうちで一番大切なのは「想像力」ではないでしょうか。想像力が我々にもたらしてくれる様々な「秘宝」を考えてくださいまっし)、読解力を高める、語彙を増やす、の他に、思想の生誕、自分探しの旅、別の人の人生を生きることさえできるのが小説です、また、「物知り」になるには小説を読むのが一番です。どういうレベルであるにしろ、物知りな人間ほど重宝されるものはありません^^;

小説って本当に素晴らしい! そして、こんなにもたくさんの贈り物を与えてくれる、神より選ばれし小説家たちよ、万歳! 

 

わたしはコレ↑を昨夜3時間もかけて書きました^^;

こうして睡眠不足になってゆくのでした。 

 

それではみなさま明日の更新をどうぞお楽しみに(#^.^#)

バイバイ。

 


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