オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

春の日のさよなら・・・

2007-03-08 | 想い


親友和子が誕生日に贈ってくれた「デンドロビューム・ヒメザクラ」
穏やかでやさしい雰囲気の花からは、ほんのり甘い香りが漂います。
1週間遅れで届いたバースディプレゼント・・・
悲しみに打ちひしがれている和子がどんな想いでこの花を選んでくれたのか・・・
それを想うと、せつなさに胸がつまります。

和子の愛猫「はな」が先日亡くなりました。
一切苦しむことのない安らかな死でした。
推定12歳・・・なぜ推定かというと、和子がはなを引き取った時点で、はなはすでに成猫だったからです。
事情があり、当時から正確な年齢は不明でした。
育てるなら、普通は子猫が欲しいはず。だけど和子は、はなを一目見て、この子にしよう、と思ったのです。
黒猫のはな。迷信に騙されて、黒猫って何となくイメージが悪かった。
だけど、わたしは、はなを知ってから黒猫が大好きになりました。
黒猫を見ると、ついつい寄って行って「よしよし」したくなるくらい。

はなは、人なつこい、やさしい穏やかな性格で、わたしははな目当てに和子の部屋へよく遊びに行きました。

和子は、26歳で大阪から高知に帰るまで、はなと二人暮らしでした。
高知に戻り、結婚し、子供が生まれてからも、和子にとってはなは大切な宝でした。

はなは数年前から、難治性の高い病気を抱えていましたが、和子の献身的な看護と、ゼッタイにあきらめない、という想いが通じ、
何度も命の危機を逃れてきました。

わたしは亡くなる少し前のはなに会うことが叶いました。
体を起こすのが億劫そうではあったけれど、かわいいおめめは元気だったころと変わらずキラキラ輝いていました。
「小さくなったね、はな。だけど病気とうまく付き合いながらまだまだ長生きしようね・・・」
わたしを見上げるつぶらな瞳に向かって、そんなことを言った記憶が残っています。
歳をとって病気になるのは人間も猫も同じ。だけど、うまく病気と付き合っていければ、
病気に敗けることなく寿命を全うできる・・・


はなが危篤のような状態になってから、わたしは連続して、アンの夢を見ました。
アンは、わたしがルウルウの前に飼っていた子で、7年前、病気で亡くなりました。
残念な事に悲しい夢ばかりでした。
自分の激しい泣き声で目が覚めるのです。
「アン! アン!」と叫びながら泣いているのです。

わたしは今でももちろんアンのことを片時も忘れてはいませんが、
こんなふうに、悲しみの中でアンを想いだしているのではなく、
元気だったころのアンとの楽しい想い出ばかり想い出します。それなのに・・・

でもそのことが、はなの予後を暗示していたとは思えません。
わたしはあまりそのような・・・後ろ向きなことは信じていません。
わたしが当時、アンの生死に対して抱いていた言いようのない恐怖と不安を
いま、大切な親友が感じている・・・わたしは和子が心配でたまりませんでした。
きっとそんな気持ちが悲しい夢を見させてしまったのでしょうね。

和子もわたしも、できるだけのことはしたばずです。
それでも・・・後悔は募ります。
後悔をしない生き方。憧れですが、そんな生き方はまずできないと思います。
なぜなら、そのときにはベストだと思ってやったことなのに、結果次第では、後々、
「もしこうしていたら助かったかもしれない」「もしああしていたらうまくいったかもしれない」・・・と思ってしまうのは誰もみな同じです。
そのときにベストだと思ってしたこと以上にできることはなかったはずなのに、
もっと何かできたんじゃないか・・・と悔やんでしまう。
悪い結果に対して、「もし・・・」という仮定を立てて、自分や他人を責めるのは人間の常です。


和子は、若くして逝った実父のお墓の隣にはなを埋葬したのですが、
真夜中に、暗闇の中で、さみしがっているんじゃないだろうか、と、いてもたってもいられなくなり、お墓に行こうとしてしまう、と涙ながらにわたしに話しました。そして子供の泣き声で、はっ、と我に返ると・・・。

わたしではない誰かがその話を聞いたなら、「悲しみのあまりおかしくなったんじゃない・・・?」と疑うかな・・・。そして、
「いつまでもそんな悲しんでいたら、はながうかばれないよ」と諭すかな・・・。
だけどわたしはそんなこと・・・正論すぎて嘘っぽくて言いたくありません。
だって、自分の愛する存在がこの世からいなくなってまだ月日も経たないうちから
そんなふうに思える人って本当にいるのかな・・・
もしそう思える人がいるなら、きっとその人は周囲に心配をかけたくなくて無理しているんじゃないかな・・・
悲しみの中にいる人に、そのような正論でもって対処するのは、あまりにも残酷だと思うのです・・・
「真夜中にお墓に行きたくなる」と言うのなら、「行ってもいいよ、行きなよ」と応えてあげたいし、
「涙が止まらない」と言うのなら、「好きなだけ泣けばいいよ」と応えてあげたい・・・。

わたしは和子に無理をして欲しくないのです。
それでなくても、まだ手のかかる子供を抱え、その他にもいろいろと心配事を抱え、
はなのことでは、夫にも母にも迷惑をかけた、と周囲に遠慮して過ごしてきた和子にもうこれ以上無理をして欲しくない。
和子にとってはなはかけがえのない存在だったのだから、思う存分はなとの想い出に浸り、その間は何もかも忘れていい、と言いたいくらいなのです・・・

悲しみが癒えるその日まで、好きなだけ泣けばいいと思っています。
悲しみと真正面から向き合うことは、とってもとっても辛くて苦しいことです。
自分との闘いだから、誰も助けてくれない。
自分との闘いから救ってくれる人がいるなら、それは自分自身しかいない・・・
とことん向き合う事で、必ずいつの日か苦しみから解放される日がきます。
和子を心から愛していたはなが、和子に永遠の悲しみを与えるわけがない・・・
わたしは和子に笑顔が戻る日を、決して彼女を焦らせることなく、じっと待ちたいと思います。

春の日に逝ったはなはきっと・・・
天国でも花に埋もれて、和子と和子の大切な人たちを見守り続けてくれるでしょう・・・。

はな、ありがとう。はな、お疲れさまでした。天国ではうちのアンとも仲良くしてね








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