オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

ルウルウとの出会い(*^^)v&おつかれさま・・・

2008-08-29 | 想い
みなさまこんばんワン

月末ですね~~しっちゃかめっちゃかに忙しい日々です。
体が10コあっても足りませんが、
忙しいのは本当にありがたいことです。

さて。今日は、9月で8歳になるうちのちびっ子ルウルウさんとの出会いを書いてみたいと思います。

わたしがルウに出会ったのは、2000年の11月。
ルウの前に飼っていたアンが旅立って、半年以上経っていました。
半年間、わたしはいわゆるペットロスになり、泣き暮らしました。
街中で、シーズーの女の子を見かけると涙が止まらなくなり、逃げ出すようにその場を離れたのも一度や二度ではありませんでした。

「またシーズーを飼いたい」
半年が過ぎ、少し落ち着いてきたころわたしはダーに言いましたが、
彼は乗り気ではない様子でした。
アンを失ってからの情けないわたしを、ずっとそばで見てきたダーですから、かなり不安があったのだと思います。
「もう少し考えたほうがいいよ」
「なんで? 飼いたい」
「・・・・・・」
「飼いたい」
「うーん・・・」
「飼うよ。もう決めた」(←一応、形ばかりはダーに聞きますが、結局最後にはなんでも自分で決めておりました)
「ちょっと待って。別に新しい子を飼わなくても、他にもいるじゃない。この子たちを可愛がればいいのに」

獣医師であるダーの元には、そのとき、三匹のワンコがいました。
無責任な飼い主に、安楽死をさせてくれ、と言われた子たちを、ダーが引き取っていたのです(彼らはのちに里親が見つかりました)。

「自分の子がいい・・・」
確かにわたしはわがままですが、やはり自分のワンコが欲しかった。
あきらめることはできそうにありませんでした。

しばらくしてから、別の件でわたしはダーと大ゲンカをしました。
わたしたちのケンカは毎度のことながら凄まじく、時にとっくみあいをし、時にペットボトルを投げつけ(わたしが^_^;)、時に髪の毛を引っ張り(わたしが(ーー;))、
時にやり場のない怒りに和室の障子を蹴り倒してしまう(わたしが(~_~))ほどでした。

どんなにクソ暑い夜でも、胎内の双子のようにべったりくっつき合って眠るわたしたちでしたが、
その夜、ダーは、これみよがしに、布団の端っこでこちらに背を向けて眠っておりました。
わたしはその背中を睨みつけながら、
「フンッ。イヤなヤツめ。イヤなオッサンめ・・・」と悪態をつきながら、「ゼッタイこんなヤツの言うことは聞かへん。あたしはワンを飼うぞ」と
固く決心いたしました。

その翌日・・・早朝に往診に呼ばれたダーは、わたしを起こすことなく出かけてしまいました。
「チャンス到来・・・」
わたしは一人、ほくそ笑みました。

バスを乗り継ぎ、一人で、あるブリーダーのところへ行きました。
そこには、この世のものとは思えないほどにかわいらしいシーズー一家がおりました。
お父さん・男の子二匹・女の子一匹。
わたしは女の子を求めていました。アンのようにかわいい女の子。アンの妹としてかわいがれるような・・・。
ですから、ルウは、そのときのわたしの眼中にはありませんでした。

わたしは、手まりのように小さくって愛らしい女の子を抱かせてもらいました。
ふわふわの毛に顔を埋めると、乾いた干草のような匂いがしました。
アンの匂いと同じでした。
「この子が欲しい・・・」わたしは痛切に思いましたが、その途端、ためらいの気持ちがむくむくと頭をもたげてきました。
(やっぱりもう一度ダーに相談したほうがいいかもしれない・・・。明日一緒に来てもらって、この子を見てもらって・・・
それからにした方がいいかもしれない)

わたしは一旦家に戻り、ダーの帰りを待ちました。
が、ヤツは、まだ昨日のケンカのことを忘れておらず、知らんフリをしてわたしの前を通り過ぎていくではありませんか。
「ううっ~~この執念深い男めっっ。もうやめたっ。相談なんかせーへん!!」

怒ったわたしは、財布にお金を押し込み、翌日また一人でブリーダーの元へ行きました。
「すみません。昨日の女の子、飼わせてください」
「あーっ、お姉ちゃん(当時わたしは20代でしたから^_^;)、ごめーん。あの子、あれから売れちゃったんだよ」
「ええっ?! そんなあ・・・

内金も入れていませんでしたし、ブリーダーを責めるわけにはいきません。

チラッ、と見ると、残っているのは男の子二匹のみ。
ちっこい体を絡ませながら、楽しそうに遊んでいます。

「男の子もかわいいよ。丈夫だしね」とブリーダー。
「でも・・・男の子飼うつもりなかったし・・・」とわたし。
「うーん。それじゃあまた入ってくるまで待つ?」
どうしよう・・・男の子かあ・・・でも男の子もいいかも。かわいいよ・・・。
「・・・・・・いーえ。この子にします」
とわたしは、口の周りが汚れてはいるがかわいい顔をした一匹を指差しました。
それがルウでした。
二匹のうちの、なぜルウの方にしたのか、今となっては記憶にありません。
「あー、でももう一匹の方がいいんじゃない?」
「なんでですか?」
「この子はねぇぇ・・・ちょっとねぇぇ・・・ウンチを食べるんだよ」
「ウンチを? 口の周りが汚れているのはウンチのせい?」
「うん。たまにいるんだよね。でももう一匹の子はウンチは食べないよ」
わたしは一瞬思案しましたが、ウンチを食べる「癖」はダーに頼めば治してくれるだろう、と思い、
「いーえ。この子にします」と頑固に言い張りました。
「わかりました。じゃあ、すぐにシャンプーしてあげるから待ってて」
「いいです。初めてのシャンプーなら自分の手でしたいから」

そして、忘れもしない、「サイエンスダイエット」と印刷された取っ手つきのダンボール箱に入れられた子犬とともに家に帰りました。

わたしはすぐにお風呂場へ向かいました。
シャンプーの間中、子犬はぷるぷる震えながらも、おとなしくしていました。
洗いあがると、出来立てのぬいぐるみみたいにふわふわキレイになりました。

「なんてかわいい子だろう・・・アンタの名前はね、二つ候補があるんやよ。
一つは『うに丸』もう一つは『ルウルウ』どっちもママが好きな漫画から取ったんだよ」
『ルウルウ』というのは、小沢真理さんの漫画『ルウルウは小さな友達』の主人公・借り暮らしの妖精の女の子の名前です。

「顔からすると『うに丸』やけど・・・やっぱりルウルウにしよう!」

夜になって、ダーが帰ってきました。
リビングの片隅で丸くなって眠っているルウを見た瞬間・・・
「マキ、キミはやってしまったね・・・」と、あきらめたように言いました(彼は関東に長くいたので『キミ』などと言います)。
「やったに決まってるやん!」とわたしは笑いました。
「めっちゃかわいいやろ? 900gしかないねんで」
「・・・子犬はみんなかわいいものだ」
「ふんっ。別にいーよ。あたしが育てるんやから」

ダーはわたしの言葉には応えず、ルウのそばに行き、その小さなふわふわとした体をやさしく撫でながら微笑みました。

そう、彼は決して反対していたわけではないのです。
それに結局、彼は大の犬好き。しかも、シーズー大好きな獣医師だったのです。

「でもな、この子ウンチ食べるねん。さっきも食べたから叱ったけど。治せる?」
「マキ、それはね、『糞食症』という立派な病気なんだよ。たまにいるんだよ」
ダーは真顔で言いました。
「フンショクショウ・・・」と復唱したわたしは、「そのままやん!」と言いながら笑いこけました。
「治るん?」
「治るよ。心の病気だからね。さみしがり屋の子に多いんだよ。一種の代償行為なんだよ」

ルウのフンショクショウは、しばらく続きましたが、やがて完治しました。

あのとき、女の子が飼えなくて、一瞬がっかりしたことなど、今ではもう遠い昔のことです。
ルウに決めて本当によかった(*^_^*)出逢えて本当によかったな(^^♪


昨日、ダーが献体した、大阪大学医学部からお手紙が届きました。
そこには・・・
「お陰をもちまして研究解剖はどとこおりなく終了し、火葬までの間のご遺体を本学部でお預かりしている状況です」
と、したためられていました。

献体の際、遺骨の返還には、二、三年かかると言われていましたから、
今期の解剖実習ではなく、来期になるものだと、わたしたちは思っていました。

でもね・・・実は、今年の3月頃・・・医学生たちの解剖実習が始まるころから、わたしはなぜか、ダーの遺体は今期の解剖実習に使われるような気がしてなりませんでした。
3月以降、「ああ、今頃実習中かなあ・・・」と何度も思うことがありました。
不思議ですネ。
大学から、何か連絡があったわけではありません。
連絡はすべて終わってからになることも承知していました。
それなのに・・・なぜか・・・。

やっぱり今期だったんですね。ダーが教えてくれていたんですね。早くしてもらえてよかった・・・。

それなのにね、その手紙を読んだ瞬間、涙があふれてきまして。
ダーに向かって「おつかれさま・・・」って言った途端、涙があとからあとから・・・。
遺体にも骨にも執着しない。それはダーの遺言でしたし、わたしも承知していました。

事実、わたしは、肉体は、魂の抜け殻に過ぎない、と今でも思っています。
いや、今でも、という言い方はおかしくて、時が経つにつれ、それを実感しています。
わたし自身の体だって、借り物にすぎない。わたしがいつかダーの元へ行くときには、この肉体を脱ぎ去るのです。
どんなに楽に、軽やかになるだろう・・・なんて思っています^_^;
著名な医学博士、エリザベス・キューブラー・ロスがいつも書いていたように、
「まるで、さなぎから蝶になるように・・・」
死は、重たいコートを脱ぎ去り、純粋で軽やかな魂に帰ること・・・なのですから。

でも、涙があふれてきたんです。
たまらなくなって、和子に電話しました。
和子は一通り、わたしの話を聞いてから、
「マキ、なんで泣くのん? 先生の長年の想いが叶ったんやよ。おめでとう、って言ってあげな。
先生、おつかれさま。最後の仕事、大きな仕事、ようやくやり終えたね。
誰にでもできることじゃない。先生やからできたこと。これからの医療の発展に、先生の体がどれほど役に立つことになるか。
マキ、泣かないで。先生のために、おめでとう、って言ってあげよう。
あたしは今夜、ダンナと祝杯あげるから、マキもビール飲んで祝ってあげなね」

和子のやさしい言葉に、また涙があふれてきちゃった・・・。

そうですよね、医学部講師時代から・・・もう20年以上も前から、あの人は、自分が死んだら献体する、と心に決めていたのです。
最期のあの人の体の中はどんなふうになっていたのだろう。
もう、わたしには知る術はありませんが、
全身をがんに侵されたあの人の体は、大変貴重な研究対象になったことは、間違いありません。
がん患者の未来に、あの人の体が貢献できたというのなら、わたしとしてもそれは喜びです。

和子がおもしろいんですよ。
「マキはメソメソ泣いてるけど、先生は、自分の体を上から見下ろしながら、
へぇっっ、僕の体はこんなふうになっていたんだな、ふむふむ・・・とか言ってたんちゃう?」って^_^;
もう、まさしくその通りだったと思います。
あの人の性格を知っている人なら、みんな納得できると思いますね^_^;


研究解剖は終了しましたが、大学側の取り決めがあり、遺骨の返還は来年の6月です。
まだ10ヶ月も先・・・。
でも、あと10ヶ月したら、遺骨の返還を今か今かと待っているダーのおかあさんに
かえしてあげられる。

わたしもつらいけれど、おかあさんはもっとつらい。
この10年間、べったり一緒に過ごしてきたわたしと違い、おかあさんは、なかなか本人にも会えなかったのです。

それにしても・・・
あの人は本当に・・・わたしの誇りです。あの人に出逢えてよかった。愛せてよかった。心から想います。

本当に・・・おつかれさまでした(*^_^*)


長々とお読みくださったみなさまも・・・おつかれさまでした^_^;
ありがとうございました。