オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

看取るについて。

2007-11-25 | 想い


優ちゃんの作った置くだけフェンスにダイアナさんのタイルを付けてみました♪
木工用ボンドで簡単にくっつきます(*^_^*)かわいい(*^^)v

寒くなってきましたネ~~。
ルウのお散歩は夜間なのですでにわたしは完全防備です(ーー;)厚手のパンツにセーター、
コート、ファーの帽子、手袋、履き古したブーツ・・・
履き古したブーツほど歩きやすいもんはない! でも、これで外出するのはちょっとねぇぇ・・・
というわけで、ルウの散歩用になるわけデス(^_^;)

カルピン写真館にはたくさんのメッセージ本当にありがとうございました!
「癒されました♪」「もっと見せて欲しい♪」「うちの子もアメショーです!」
「イマンなネコちゃんにびっくりしました!」などなど・・・Kさまもきっとお喜びになると思います♪



さて。今夜は「看取る」ということについてわたしの経験と反省をちょっと書いてみたいと思います。

ご来店のお客様が、わたしの手を握りいっしょに泣いてくださったり、
通販のお客様からの暖かい想いあふれるメールを拝見するたび、やっぱり二年間黙っていてよかった・・・と改めて思います。

もし、事後報告でなければ・・・あの二年間に一言でもお客様や仕事関係の方に弱音を吐いていたら・・・
わたしはきっとやさしい気持ちに甘え、依存していたかもしれないし、
そんなことでちゃんと仕事ができたかどうか・・・この仕事で食べさせていただいている以上、いいかげんなことは絶対にできないです。

それに、ダーはわたしが、通常通り仕事を行い、通常通りの生活をすることを切に望んでいましたから、
やっぱりこれでよかった、と思います。

わたしがこうして事後報告なるものを続けているのは、自分が経験したことを話すことで少しでも誰かの役に立ちたい、というちょっとおこがましい気持ちもあるのですが
もう一つ、日本のがん治療について・・・主に後進国並みに遅れている抗がん剤治療と患者主体の医療について、患者と家族の立場から書きたい、と思うからなんです。

現在、日本では、二人に一人ががんに罹り、その内の三人に一人ががん死します。
ご存知の通り、日本人の死因のトップは二番手を遥かに上回る数で「悪性新生物=がん」です。
いま健康な人でも周囲に患っている人がいなくても決して他人事ではないんですよね・・・
遠い未来だと思いますが、自分がそうなったとき、自分の大切な人がそうなったときのことを
今から考えておくことは大切かもしれない・・・なんて思うんです。

決して、そんなことばかり考えて生きたほうがいい、なんて思っているわけではありません。
生きることはたくさんの経験を積み、心から楽しむことだと思っています。
わたしもこれからの人生、決してあきらめていませんし、大いに笑い大いに楽しもうと思っています。

ただ・・・今この時間にも、困っている進行がん患者がたくさんいることは忘れてはいけない・・・って・・・思うんですよね・・・
海外では普通に認可されている抗がん剤を日本では使えない現実。
あれを使えばあと数ヶ月、一年元気に過ごせるかもしれない・・・と知っているのに使えない現実・・・
患者とその家族の葛藤・・・わたしは何度も経験しました。
著名ながん専門医平岩正樹先生が仰るとおり「進行がん患者の寿命は用意された抗がん剤の数で決まる」のです。これは疑いようのない真実です。

いてもたってもいられなくなって、何か自分にできることはないか・・・と考えた結果、
アービタックスという原発大腸がんに効果のある遺伝子治療薬の早期保険認可を嘆願するための個人活動を起こし、
数千名の署名をもって今年の6月、厚生省に提出してきました。
この薬は、欧米諸国ではすでに数年前から認可され使用され効果が認められているのに日本では未だ認可されていません。

担当してくれた方は、わたしが手に持っていた分厚いファイルを見て「こんなにたくさん個人で集められたのですか・・・」と言ったきり、絶句されました。
担当の方は、自分からいろいろと訊いてくださり、最後には「あなたの想いを決してむげに扱うようなことはしません」と約束してくだざいました。
ダーが厚生省に勤めていたことがあっていろいろ聞いていたので、本当のところ、わたしはちゃんと話を聞いてもらえるとは思っていませんでした。
ただ絶対に郵送ではなくきちんと手渡ししなければいけない、と思ったので持参したのです。
それなのに、あんなに丁寧に対応いただき、今でもあの担当の方には感謝しています。

発足したのはわたしですが、署名は、わたしの力ではありません。
ダーの飼い主さん方、友人の方々、わたしの親友や友人らが積極的に署名活動をしてくれたんです。
優ちゃんは一人で600人もの署名を集めてくれました。彼女は本当にすごいです。
Rose Partyがもし大きくなれたら、わたしは一番に彼女を雇い、店長にしたいです(*^^)v大工もできる店長なんて素晴らしいです。
しかもただ署名をとったのではなく一人一人に主旨を説明してくれました。だから、主旨に賛同できない、と言って断る人もいたそうです。
それにしても並大抵のことではありません。
彼女は、ダーが旅立った今でも、アービタックスの存在を忘れていません。この活動の主旨を忘れていません。

アービタックスは来年の3月頃に保険認可予定だそうですが、もちろんダーは使えませんでした。ダーだけじゃありません。何万、何十万という、進行がんの患者さんが使えていません。
認可が遅れるのは、厚生省のせいだけじゃないんですよね・・・厚生省はわたしたち国民に反応した対応をとるんです・・・

それらのことを中心に伝えたいことがあるのですが、あまりにもたくさん経験しすぎたせいか、かえって頭の中で整理がつかなくて。
どっか別にHPでも立ち上げて書こうかな・・・なんてずっと思ってもいるのですが。
ただですね・・・この話題は、患者やその家族だけじゃなく、今現在健康な人たちに知っていただかないとあまり意味がないと思うんです。
決して他人事として捉えてはいけない・・・と思っていただけたら、きっと何かが変わると思うんですね。

話を戻しますがよく、身内や友人知人なんかにも、言われるんですよ。
「どうして黙っていたの。もし知っていたら少しはあなたの役にたてたかもしれないのに」って。
とってもありがたい言葉なんですけど、やっぱり黙っていてよかった・・・
事後報告だから、こうして落ち着いて語ることができるから・・・
もしその最中だったら、こんなに落ち着いて話すことなどできなかっただろうし、
自分の嫌なところたくさん見せてしまったかもしれないし・・・

それにわたしは決してひとりぼっちではなかったんですよ。

わたしは親友の和子にだけは何でも相談できました。彼女は最期の最期まで・・・
ダーが亡くなる直前まで、わたしに「アバスチンをあきらめるな」と言い続けてくれました(アバスチンというのは今年の6月に認可された原発大腸がんに効果のある新薬です。認可は6月でしたがうちの病院に入荷したのは8月下旬です。このあたりのことも問題です)。
彼女はわたしの気持ちを理解していたので、決して知ったかぶりして「使わないのも一つの手だよ。100%緩和に切り替えて楽になるのも本人のためかもよ」なんて言いませんでした。

また、ダーの親友も同じでした。
わたしがどんなに切羽詰っていて支離滅裂になっているときでも、我慢強く話を聞いてくれ、前向きな話だけをしてくれました。

和子は「アタシがいる限りアンタはひとりじゃない。何かあったらいつでも行くから」といつも言ってくれていましたし
ダーの親友は「辛くなったら夜中でもいつでも電話してきなさい」と言ってくれました。
もちろん実際はそんなに頻繁に電話なんてできないけれど、でも、その言葉にどれだけ救われたか・・・言葉では言い表せません。

何より、ダーが元気だったから・・・体調が悪い日も心だけは元気だったから・・・
もし、ダー本人の気力がなければ、わたしはとっても辛かったことと思います。

治療について、二人でどんなにたくさんの時間話し合いをしたかわかりません。
二人とも熱くなりすぎて、何度ケンカをしたか知れや知れません。
あまりに意見が食い違って、昔のことまでネタにしてケンカするシマツ・・・。
ケンカはするけれどすぐに仲直りするのがわたしたちのいいところでしたけど^_^;

従来の「がん患者とその家族」は、患者はひとり鬱状態に入り、家族はそんな患者を腫れ物にでも触るように扱う・・・
「死について」語り合うことを避ける・・・

わたしたちは、そうではなかったんです。
「死について」を避けることなく、大いに語り合いました。
わたしはダーを病人として扱ったことはほとんどなかったように思います。
もちろん最初の発覚時の頃と最期の頃はそうなっていたかもしれないけれど
それまでの長い期間、二人の間に遠慮はありませんでした。
もちろんそれがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、わたしたち自身はそれをいいことだとみなしていました。
「がん患者は決して不幸じゃない」彼を見ていて納得できました。不幸なのは自分自身と向き合えない人なんだ、って。
治療について、迎える死について、嘘偽りなく、真剣に話し合うことができて本当によかった。

きっとこのことも、わたしの心の深いところが満たされている一つの理由になっていると思います。

ただ、化学療法が効いて、普通に生活できるときはいいけれど、
薬剤耐性に陥り(抗がん剤はどんなに効いていても必ず耐性ができていずれ効かなくなります)もう使う薬がなくなったとき・・・
患者は、決して「避けられない死」と一対一で向かい合うことになります。
それはどんなに辛く恐ろしいことでしょう。
どんなに精神力のある人でも、信仰心の厚い人でも、例えば死後の生命を信じている人でも・・・
程度の差こそあれ、一時的にノイローゼに近い状態になります。
そしてそれは自然な状態で、決して忌むべきものでも避けるべきものでもないんです・・・

そんなとき、もし家族が、患者を腫れ物に触るように扱えば、彼らはどんなにさみしいでしょう。心細いでしょう。
逆に、いっしょに泣いたり、世の不条理に対して怒ってくれる人がいればどんなに心強いでしょう。
自分のことをこんなに心配してくれているんだ・・・と思うと、どんなに心満たされるでしょう。安心することでしょう。
いっしょに死について語れる人がいたらどんなに救われるでしょう。

8/31に体調が悪化して入院したとき、肝機能がかなり低下していて、トイレに行ったとき、よくない状態の便が出たんですね。
それで、ダーは驚いて、「なんで? どうして?」ってしきりに言うんです。
自分の状態がかなり悪くなっていることに、初めて気づいたんだと思うんです。
それで部屋に戻っても横にならずにベッドに腰掛けたまま、「どうして・・・」って何度も何度も言うんです。
自分の状況が信じられないわけです。
そして初めて泣いたんです。

精神力のある人で、がんが発覚してからも弱音一つ吐かず、いつも笑っていた人が。
抗がん剤治療には二ヶ月に一度「評価」という大切な通過点がありまして、
使っている薬が効いているか否かをCT造影で検査するんですね。
つまりがんが進行していないかどうかをチェックするんです(縮小・増大・不変を)。
それを待っているときわたしはいつも緊張で吐き気を催していたほどなのですが
ダーは隣で、わたしの心配を他所に、はまっていたナンクロ(めちゃくちゃムツカシイクロスワードパズル)を必死でやったりしていて・・・それくらいいい意味で楽観的な人が。

「どうして・・・?」って。自分の体が自分の自由にならない。体の内部で破壊が始まって、それはもう、自分の手には負えない。自分の体なのに自由が利かず、自分の体なのに勝手にどんどんおかしくなってしまう。
どんなに悔しく悲しかったことでしょう。
どんなに呆然としてしまったことでしょう。

わたしは、静かに、声を立てずに号泣するダーを抱きしめて「大丈夫だよ。がんばったんだから。もういいんだよ。もうあんまりがんばらないで」と言いました。
決してあきらめの言葉ではなかった。でもそんな言葉が口をついてしまったのです。
間もなくダーは平静を取り戻し、いつもの笑顔に戻りました。

このときは薬剤性肝障害だったので、その後、アバスチン投与を計画するほどにまで回復したのですが・・・

抱きしめてくれる存在がいること。これは病気と向かい合っている人には本当に必要な存在だと改めて感じました。
抱きしめる側は辛いと思うんです。わたしも辛かったです。今思い出しても胸が引き裂かれそうです。
あの時はこんなに辛い場面に出会わなければ生きていけないというならわたしはもう死んでしまいたい、と本気で思いました。
薄明かりの病室で、わたしは、どうしてこんなにやさしくて、こんなに人のために尽くしてきた人が、こんなに苦しい思いをしなければならないのか、と・・・
わけがわかりませんでした。

でも、一番辛いのは本人なんですよね・・・そのことを忘れてしまうんです。わたしも忘れたことが何度もあります。自分の悲しみに圧倒され、本当に辛いのは誰なのか・・・まったく忘れてしまったことがある・・・
でも、そばにいる側は、それを忘れちゃいけないんですよね・・・どんなに辛くても自分の悲しみはちょっと横においておかなければ・・・。

もしそれができたとします。
だけど。だけどそれでもまだ、患者のさみしさや苦しみには追いつけない。
「死へむかう」という極限状態を、元気に生きている人が本当にわかることなどできない。
それでもやっぱり家族や周囲の人たちは、患者の心が救われるような態度をとらなければならない・・・。
抱きしめてあげる。手を握ってあげる。愛の言葉をささやいてあげる。
痩せた体を抱きしめるのは辛いんです。紙のように薄っぺらになった手を握るのは怖いんです。愛の言葉さえ口にするのは何だか不安なんです。
それでも・・・やらなければならない・・・と思いました。

果たしてわたしにそれがすべてできたかどうか・・・全く自信がないんです。
死について語ることを避けることは一切しなかったし、本当の病態についても隠しごとはなかった(最初はあったんですけどそれも途中で告げました)。
でも・・・。
ダーはわたしだけを求めていたのでわたしの存在がそばにあればそれでいいと言ってくれたけれど、
わたしはそんなに頼りにされていたにも関わらず、ダーの心のケアをうまくできたかどうか自信がありません。
それどころかたくさん失敗してしまった・・・たくさん傷つけてしまった・・・。
それらの後悔が全部吹っ飛ぶほど素晴らしい最期だったから、いつまでもわたしがこんなことを言っているとダーに叱られるかも知れないけれど。

とにかくたくさんたくさん反省しました。反省は後悔という名の後ろ向きなものにすりかえるのではなく、次に活かさなければ意味がない。
もしまたこのようなことが起きたときは(自分がまだ若い以上、そして両親が生きている以上こういうことはまたやってきます)、まずは心のケアを中心に考えなければならない、と肝に銘じています。

ただ、看護する側はそれでなくとも心身ともに疲れ果てているのですから、きちんと休養をとるべきだと思います。

わたしは、最初の頃と最期の頃は食べられない、眠れない・・・だったので、優ちゃんのママ、まりこさんからいつも「真希ちゃん体を大切にして。ちゃんと食べてしっかり眠ってね・・・」と言われていました。
でも食べられないし眠れなかった。最初と最期の頃の事でしたしそれはそれでいいと思うのですが、
途中の期間、わたしは至って普通に生活していました。ダーはいつも、わたしがおいしそうにたくさん食べるのを見るのが好きだったので、たくさん食べていたし眠っていたし
モリモリ仕事をしていました。
読書、DVD鑑賞、買い物、外食・・・たくさんのことでストレス発散していました。
何一つとして、自分を規制するものは作りませんでした。もちろん、ダーがそれを望んでいたからできたことですが・・・。

うちの場合は、最期は一ヵ月半入院しましたが、それ以外は薬剤変更のための入院だけ(二年間で約一週間ずつくらい三回)でしたので、看病というほどのこともしていませんが、
病人が家にいること自体がとても辛い時がありました。そんなときは、ひとりで外に出ました。
もちろん元気なときはいっしょに何度も出かけましたが、元気なときでもひとりになりたいときがあったので、そんなときはひとりで外出していました。

痛みや苦しみがある状態では一人にしておけませんが、うちはそんなことはほとんどなかったので、わたしは好きに外出していました。
ダーはいつも「行ってらっしゃーい(*^^)v」と笑って送り出し、「お帰り。なんかいいものあった?」と迎えてくれました。
仕事以外の時間では、とにかく治療のことで頭がいっぱいで、常に破裂しそうだったのは、ダーではなくわたしでしたから、ダーはわたしを自由にさせることでわたしの心身を護ってくれたのだと思います。

患者も自分のことを心配してほしいけれど、周囲の家族も自分たちのことを心配してくれる人がいるととってもうれしいんですよ・・・。
愛する人の状態が悪くなってくると、そばにいる人間は、孤立無援のような状態を味わってしまうんです。

何にもできない自分の無力さに打ちひしがれ、やり場のない怒りやら悲しみがどっとあふれてきて・・・。
本当はひとりじゃなくても、ひとりだと感じてしまう・・・。
だから、まりこさんがわたしを気遣って頻繁に連絡をしてくださったことは本当にありがたかったです。

看護する側は、本人に面と向かって接しているときは(本人が体だけじゃなく心に痛みを感じているときももちろん)、自分の悲しみや苦しみは忘れ患者への想いに徹し、それ以外は、自分の自由に過ごすこと・・・
それができたら一番いいだろうなあ・・・

もちろん、いろいろな事情でできない場合もあると思います。
病人はわがままになるものですし怒りっぽくなる人も多いと聞きます。
わたしなんて本当に恵まれていたと思います。相手がダーだったからここまでできた、と思います。
もし、病人が怒りっぽくて家族をそばから離したがらなくて家族が息もつけないような状態であるとしたら・・・どうすればいいのかな・・・
もしそれがわたしの友人・・・例えば和子に起こったことだとしたら・・・
わたしはできる限り時間を作り、和子の代わりに、病人と仲良くなり、少しでも和子が外へ出られるよう手助けしたいと思います。
こんなことは三年前のわたしなら言えなかったことだけれど。

今日のブログは「いま、わたしは母の看病をしています」というあるお客様からのメールに対しての応えにもなればいいかな・・・と思っています。
「答え」ではなく「応え」です。アドバイスなんておこがましいことも言えないのであくまでわたしの体験です。

誰かが言っていました。「もし看病しなければならない人が現れたときは、自分がしてほしいと思うような看護ができれば最高ネ」と。
とってもムツカシイですけどね・・・でも努力は必要ですよね(*^_^*)

何事もそうだと思うんですけど「ムツカシイからできない」ではなく「ムツカシイけど努力してみる」という考え方から
すべてが始まるように思います・・・いい方向に繋がっていくと思います(*^^)v

最後までお読みくださったみなさまありがとうございました(*^_^*)



かわいいクリスマスイルミネーションを付けてみました(*^^)v
レッドグリーンが点滅します☆彡

明日の夜は優ちゃんのお姉ちゃん愛ちゃんとのデートです♪
楽しみっ(*^^)v