
「十所谷(とどころたに)」地区

😀 かつては宿場があったようです。
東海道新幹線の高架下を通り・・・

左側は新幹線、右側は名神高速道路に挟まれた街道を進みます。

「中山道道標(小野町)」

😫 旧小野村は(古代~中世の)東山道時代の宿駅でしたが、関ケ原の戦いで石田三成が破れると、佐和山城がとともに集落ごと焼き払われてしまいました。
明治時代中頃まで、ここに「小野前茶屋」があり、多賀大社詣での人々で賑わっていたそうです。

「小町塚」

😀 出羽郡小野美実(好美)は、奥州へ下る途中小野宿に泊まりました。ここで生後間もない女児を養女にし、出羽国へ連れ帰りました。後に、この女児が平安時代の女流歌人「小野小町」と云われています。

室町時代の石仏を阿弥陀如来とした「小町地蔵」

両側面にも仏さまが彫られています。

「六地蔵」


「八幡神社」

聖徳太子が合戦の時に一時隠れた陣地「聖谷」地区

「宮谷」地区

「鐘突堂跡」

😀 足利時代は仁王門がある大きなお寺だったそうです。

久しぶりの家並み。

「小野こまち会館」

再び民家が減り・・・

「川原」地区

「古宿(ふるじゅく)」地区を通過すると・・・

鳥居本宿の西側入口です。

鳥居本宿に入りました。

😀 かつて宿場内に多賀大社の鳥居があったことから「鳥居本」と名づけられました。彦根城下へ通じる宿場として賑わい、本陣1軒、脇本陣2件、旅籠35軒ありました。
1827年(文政10年)建立「彦根道追分道標」

😀 「右彦根道 左中山道京いせ道」・・・江戸方面から来た旅人のための道標ですね。
こちらが「彦根道」

😀 こちらの彦根道は中山道と彦根城下を結ぶ脇道として整備されました。この道を1里(約4km)進むと彦根城下に到着します。さらに進むと、先ほどの高宮宿近くで中山道に戻ります。
久しぶりのお食事処、そば処「百百百百(どどもも)」の前には長蛇の列・・・大人気店です。

😀 江戸時代末期頃に建てられた 「旧百々家住宅」を改装したお店です。鳥居本宿の南側は、かつて「百々(どど)村」と呼ばれていたそうです。
聖徳太子堂がある「専宗寺」

文化庁「登録有形文化財」

「長池地蔵尊」


鳥居本交流館「さんあか」は…

😀鳥居本宿場の名物は「赤玉神教丸(薬)」「赤味がかった合羽」「すいか」の「三つの赤」・・・だったので「さんあか」です。
鳥居本宿の資料館です。

「合羽」の一部

😀 合羽の防水剤として、柿渋に紅殻を混ぜたので赤味がかった合羽となりました。そういえば、松尾芭蕉も赤い合羽を愛用していたイメージがあります。
(つづく)
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