風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

南海電車で高野山 2-(1)

2013-07-07 | 近畿(奈良・和歌山)
◆ 朝のお勤め
◆ 精進料理と芭蕉堂
◆ 大師教会での受戒
◆ 奥の院参道
◆ 御生身供(弘法大師のお食事)
◆ 燈籠堂
◆ 空海先生に読経
◆ 休憩所の福助茶釜
◆ さんぼうで昼食
◆ 山内フリータイム
◆ カフェで念珠つくり
◆ お坊さんドライブ
-------------------------------------------------

1日目からの続きです。

◆ 朝のお勤め

朝6時に起床。みんなすぐには起きられず、布団の中でモゾモゾしていますが、部屋の外が騒がしくなってきたので、頑張って起き上がりました。
板張りの廊下の曲がり角に修行僧と南海の方々が立って「お早うございます」と爽やかに挨拶をしてくれます。
私たちは、半分しか開いていない目で挨拶をしながら、塗香を手にすりこみ、勤行に参加しました。



大勢の僧侶が朗々とお経を読み上げ、参加者は順々にお焼香します。

その後で、光明心殿に案内され、仏舎利を見せて頂きました。
仏舎利とはお釈迦様のお骨のこと。ネパールのシャカ族の元より招来した本当の仏舎利だそうです。
白く輝く御骨を、畏まって拝観しました。
周りをぐるりと取り囲むようにマニ車があり、ブッダゆかりの聖地の土が埋められている上を歩きながら、みんなでカラカラ鳴らして回ります。
自分が持っている簡易式のマニ車以外、中を開けてみたことがありりませんでしたが、ここでは中身が見えるようになったものが飾られていました。
本当に分厚い経典が入っていました。

部屋に戻る道すがら、古めかしい狛犬を発見。
その隣には南極の石もありました。



以前は、小堀遠州作の庭園のある「天徳院」に宿泊しました。
大勢の修行僧を抱えた大きな宿坊で、まだ寒かったため、部屋にはこたつが入っていました。
どちらも甲乙つけがたい感じ。高野山のどの宿坊もそれぞれに特徴があるものですね。

◆ 精進料理と芭蕉堂

勤行の後は朝食です。精進料理は目に鮮やか。
ヘルシーなロハス食をいただきます。
体にいいものばかりで作られているため、するりとおなかに入りました。
なんといっても美味しいのは豆腐。お味噌汁もだしがよくて、みんな口々に「目が覚めるわ~」と言いました。



食後に、庭を散策しました。昨日の到着時にはもう締まっていた祠の扉が開いています。
芭蕉堂がありました。ここには、虚子を始め、多くの俳人が訪れているそうです。
堂内には、歌をしたためるように、筆と句帳が置かれていました。



ああ、来る前からわかっていれば、ひねってきたのに。
この場で一句思いつけるようなセンスが無いのが悲しいわ。
大勢の人が歌を残していくようで、堂内には分厚い過去帳が綴じられて、塔のようになって置いてありました。

◆ 大師教会での受戒

宿から歩いて大師教会へと向かいます。
どうも「教会」というと、キリスト教のチャーチを連想してしますが、宗教の「教」ですから、仏教だっていいわけなんですね。
「赤地蔵ですって」「弁天橋がきれい」と、アッコさんとあちこちで足を止めながら(子供の帰り道のように真っすぐ歩けない)、教会の中に入りました。





これから、ここで受戒を受けます。
ところで「受戒」ってなんでしょう?
チャールトン・ヘストンの『十戒』しか思い出せません。(またもやキリスト教)



「私達、ここで真言宗信徒になるのかしら」とアッコさん。
えー、家族に相談していないのにー。
空海先生の弟子になれるのなら、それでもいいのですが!

受戒という名前の重さに緊張しましたが、どうも「仏様から戒を授与され、自分や他の人のために生きることを誓う儀式」なんだそうです。
授戒堂に通され、大勢の信者の方々に混じって座ると、後ろの扉を何重も閉められ、中は真っ暗になりました。
その中を、澄んだ鐘の音を響かせながら、ゆっくりと阿闍梨が登場し、私達にお言葉をくださいました。
阿闍梨様が目の前に!阿闍梨餅はよく食べますが(え)、本物の阿闍梨にお目にかかる機会は滅多にありません。

ほかの参加者は、グループで高野山に訪れた真言宗グループや結願のお遍路さんグループなどでした。
真言宗自体が密教ですが、この体験は暗闇の中で行われるため、かなり神秘的で秘密の儀式めいています。
本当に目の前の仏様との縁を結び、仏様と約束をした気になりました。

最後に「菩薩十善戒」のお授け印をいただきました。
「人は誰しも、秘められた仏性を持っており、このたびそのことを自覚されたため、これでみなさんも仏になったということです」と説明して頂きました。
えっ、私が仏様にですか?つまりアイアム即身仏?うそ~。
うろたえてしまいました。
まあ、そうした気持ちで日々過ごしていれば、道に背くことはないということなのでしょう。
「戒」と聞くと、なんだか構えてしまいますが、「良い心を育てていく」ということにつながるようです。

◆ 奥の院参道

受戒を済ませて気持ちも新たに、奥の院へと向かいました。
一の橋から歩き始めます。ここから奥の院までは2キロの道。
森林セラピールートとしても最近では注目されていますが、とても蚊が多いということで、めいめいに虫よけベールをたっぷりかけました。
(受戒を受けた直後なのに、煩悩はやっぱり尽きない...)



橋を渡るともうそこは別世界。
凛とした気に満ちていて、聖地に足を踏み入れたと実感します。
ここから奥の院まで、数えきれないほどのお墓が並んでいますが、杉の巨木の木立に囲まれ、時代を経て苔むしたお墓は、それ自体が芸術的。



お地蔵様がたくさんいるので、ほっこりします。
参加者に地蔵好きの人がおり、激写しまくっていました。



橋をわたってすぐのところに、伊達政宗のお墓がありました。
前に見た時には、もっと中にあったような気もしますが。行き方が違ったのかしら。
五輪塔の前に石鳥居が立っているというスタイルは、ほかのお墓でもよく見かけます。
神仏習合時代の名残だそうです。



一番高い場所にあるという、2代将軍徳川秀忠夫人崇源院(お江の方)のお墓をお参りしました。
息子が建立したそうです。五輪塔は10mもある巨大な石で、一番石といわれます。
墓石は高野山では取れず、瀬戸内海周辺で切り出され、海から海抜千mの山上まで運んでくるのは、途方もなく大変なこと。
昔の武将などのお墓を立てるまでには、数年間かかったそうです。



明智光秀のお墓は、何度変えても墓石が割れてしまうのだそう。
たしかに、真ん中にヒビが入っていました。
なぜでしょう。光秀は仏教に熱心だったはずなのに。
信長の墓石が割れるっていうのならわかるけどー。
光秀びいきの私としては、どうにも腑に落ちず、せめて自分にできることとして、お祈りを捧げてきました。



化粧地蔵の艶やかさに目を引かれます。
私もメイクしてあげたいなと思いましたが、私よりもはるかにフルメイクだったので、それ以上加えることはしませんでした。
(それより自分の顔をきちんとこさえなさい)とお地蔵さんに言われそうでしたし・・・。



仲良し地蔵もいました。双体道祖神のようですが、お地蔵様でした。

浄土宗開祖、法然聖人のお墓もありました。



こちらは市川團十郎のお墓。代々のものでしょうか。



南海創業者、松本重太郎氏のお墓もありました。
「西の松本、東の渋沢」と呼ばれながら、数寄者としても名を残し、事業を広げすぎて失敗するなど、なかなかドラマチックな一生を送った人のようです。

休日だったので、参拝客が大勢います。
お地蔵様を眺めていたら、ご年配のグループがダーッとやってきて、ひとつの袋から小銭を出してお賽銭を入れ、別の袋からお菓子を取り出してお供えしていました。
それを大勢で行うので、みるみるうちにお地蔵さんの周りは供物でいっぱいになりました。
旋風のようで、唖然として見守ります。
「道端のお坊さんのお賽銭は、お寺が管理しているんですか?」とお坊さんに聞いたら、「そうです。雨が降ると流れてしまったりするので」という答えでした。
ついでに、手が届かない大きな鳥居の上にいくつも乗っている石を指さして、「あれはどんなふうに皆さんのせているんでしょうか?」と聞きましたが、それはご存知無いようで、「脚立を持ってきているんでしょうかねえ」と言われました。
そこまでするのねー。

◆ 御生身供(弘法大師のお食事)

御廟の橋のたもとに着きました。ここから先は、撮影禁止、帽子も禁止です。
日傘もたたみました。



お辞儀をして、橋を渡りかけた所で、黄色い袈裟を着た僧侶が3名、こちらに向かってやってくるのが見えました。
御生身供(おしょうじんぐ)です。
毎朝6時と10時の2回行われるこの儀式。たまたま見られることができてラッキー。
「写真を撮りたいな」とアッコさん。「なら橋を戻りましょう」と永崎僧侶。

渡った橋を、また戻り、カメラを構えました。
白布で口を覆った3名の維那(いな)という仕侍僧が、目の前を通り過ぎて行きました。
白木の櫃を運んでいます。あの中に、空海先生の食事が入っているんですね。
早足で、あっという間でした。





「普段の食事は4品です。自分も作っていました」と永崎僧侶。
「でも、お正月などの特別な時には料理の数が増えるんです」と教えてくれました。
「ああ、刑務所と一緒ですね」と言ってから(例えが悪かったなあ)と反省しました。

御供所で作られたお食事は、嘗試(あじみ)地蔵にお味見してもらい、それから弘法大師御廟へと運ばれます。
「あじみ地蔵がNG出したことってありますか?」と聞いたら、「ええ、時々顔色が悪かったり、渋い顔したりしますよ」と。
ノリのいいお坊さんです。

◆ 燈籠堂

再び一礼をして、御廟の橋を渡ります。
高野山は寒いくらいかと思っていましたが、この日は日差しが強く、暑い日。
日傘も帽子もないとつらい~。でも空海先生に敬意を表して、我慢します。

燈籠堂では、加持祈祷が行われていました。
おりしもちょうど七夕の日。アッコさんと参詣帳にしたためてきました。

◆ 空海先生に読経

燈籠堂の裏側には、弘法大師御廟があります。
ここでお祈りすれば、お大師様は必ず応えて下さるとのこと。
特に今は、食事直後なので、ご機嫌麗しそう。お願いするなら今でしょう。
なーんて想像が消え去るほど、多くの人々が、お線香やろうそくをつけて熱心に祈りを捧げており、場の雰囲気に圧倒されていたところ、隣に立っていた人が、お経を唱え始めました。
ハッとして、般若心経を取り出し、アッコさんと「一緒に読もう」と声を上げて読みました。
はんにゃはらみた~
空海先生の御前で、読経ができるなんて、感無量です。いい体験ができました。

その隣にある一切経堂は、石田三成が1599年、関ヶ原の戦いの前に建てたお堂(重要文化財)だそうです。
たしかに、彼の名前が堂に掲げられていました。

 当輪蔵造営同
 一切経奉納之
 近江国坂田郡
 石田冶部少輔
 藤原朝臣三成
 慈悲母菩提也

光秀同様、三成びいきの私は、嬉しくなりました。大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)ー!
彼を徹底的に悪人扱いした徳川の力を持ってしても、奥之院のこの建物は潰せなかったんですね。
すばらしいわ、高野山。

アッコさんは、昨日入手した檜の御朱印帳に、さっそく御朱印をいただいていました。

◆ 休憩所の福助茶釜

参拝後、休憩所でお茶をいただきました。



水場にいた藪僧侶に「この茶釜は福助さんのですよ」と教えて頂きました。
よく見ると、たしかに福助がついています!まあかわいい。



その後、企業の墓所を通り、こちらの福助さんにもご挨拶をして来ました。



◆ さんぼうで昼食

昨日、胡麻豆腐を作ったさんぼうさんにあがり、昼食をいただきます。
一晩寝かせた胡麻豆腐が、器に盛られて登場しました。





うわあ、プルンプルン。
おいしいです!!ブランマンジェのようで、大満足の味でした。



◆ 山内フリータイム

昼食後はフリータイム。みんなで洋風のおしゃれなKasakuni cafeに入りました。



先に向かっていた永崎僧侶が、カフェの前で手招きをしてくれ、カフェとお坊さんとのギャップに楽しくなりました。
和の世界といったイメージの高野山にも、レトロモダンなお店があるんですね。



ケーキセットを頼みます。なんだか洋のものを食べるのは久しぶり。
(といってもたった1日ですが)



吹き抜けの、開放感のある内装で、他の場所とは違ってお茶をする若者率が高かったです。

◆ カフェで念珠つくり

お茶をしてから、希望者5名で、念珠つくりに挑戦しました。
今回は光木阿字館の先生に来ていただき、カフェの別室を借りて始めます。



はじめに、先生の読経を聞き、精神を落ち着けてから、作業開始。
まずは、母珠になる高野山奥の院の杉の玉をヤスリで磨きます。



ヤスリは青・黄・橙の三種類。
「過去・現在・未来に置き換えて、念入りに磨いてください」と言われると、磨く手に力も入ります。
「ヤスリがなんだか効きませーん」「過去が磨けない~」「そりゃムリだー」とか言いながら、ひたすら磨きました。
磨けば磨くほど、球形が歪んできたり、つまみそこねて、何処かへ転がっていってしまったり。

三種類のヤスリが、デビアス・ダイヤモンドの「私の過去、現在、未来が輝くトリロジー」みたいだと思いましたが、そう話しても誰もわかってくれた人はいなさそうでした。(しょんぼり)
そんなふうにダイヤモンド、いえ木の珠を磨き上げて、次には祈りを込めながら数珠の珠を紐に通していきます。
紐はさまざまな色がある中から、直感で選びました。



形の同じ珠を入れ終わると、今度は真ん中にある磨いた珠に、飾りをつけます。
自分の干支の守り本尊の梵字が書かれた守り札が、めいめいに配られました。

手を動かしながら、一人の男性参加者に「チュートリアルの徳井に似てますね」と女性が話しかけました。
干支が酉と聞いて、みんな「徳井さん、あ、違った、鳥居さん」と話し出します。
ひとしきり話題が盛り上がってから「あれ、お名前は鳥居さんでしたっけ?」と聞くと、「いえ、タカハシです」と言われました。
違ったあ。
もうその頃には、私たちは「徳井さん」か「鳥居さん」としか思えなくなっていました。

またトリロジーのやすりで角を削って丸みを出し、紐に通します。
最後に、組紐をして、丈夫に編みこんでいきますが、これがなかなか大変で、何度も失敗しては、先生や永崎僧侶に助けてもらいました。
最後に、梵字の裏側にバーナーで自分の名前を手彫りしました。
ようやく完成~!
世界にたった一つの、私だけのお数珠です。



単に紐を通すだけかと思っていましたが、なかなかの作業でした。
苦労をしただけに、感激もひとしお。
みんな、達成感と充実感でニコニコになりました。

要所要所で、先生と一緒に精神を統一させながら、きれいな心で願いを込めて作ったお数珠。
聖地・高野山で作った数珠は、とっても効力がありそう。
大切に使っていきたいと思います。

◆ お坊さんドライブ

数珠作りにかなり時間がかかってしまったので、集合時間ぎりぎりになってしまいました。
永崎僧侶の車で宿坊まで送っていただきます。
大きな車の運転席に袈裟姿で座る僧侶。なんだか不思議な光景だわ。
黒い車に黒い袈裟がお似合いでした。(そういう話?)
よく見ると、反対車線を走ってくる車のドライバーはお坊さん率が高かったです。

学生時代に巫女をしていた時には、正装をした神主さんの運転で、近くの祠に祝詞を上げに行っていました。
そのことを懐かしく思い出します。
神主さんとお坊さんの運転に乗せてもらえたなんて、果報者です。

2日目その2に続きます。


最新の画像もっと見る

post a comment