林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

愛と青春の旅立ち~紀伊半島の旅5.

2015-03-31 | 鉄道・旅行
 5.青春18きっぷの二日目-紀勢本線の旅、JR東海エリア編

昨日は南口から外に出たが、今日はまず北口に行って駅取材し、
近鉄で150円の切符を購入して隣の宇治山田まで行く。
宇治山田駅は1931年開業当時の鉄筋コンクリート3階建ての駅舎が残っており、
南海電鉄難波駅や東武鉄道浅草駅を設計した久野節氏が手掛けている。



近鉄伊勢市駅と近接したので敢えて取材に来たが、正解だった。
帰りは徒歩で伊勢市駅南口まで行き、ここで「青春18きっぷ」に3回(人)に、
「(海)伊勢市駅 12.22.入挟済」と検印スタンプを押してもらう。



伊勢市駅で少し車両取材してから08:21の参宮線上りで多気まで行き、紀勢本線下りを待つ。
1時間の待ち時間で駅取材と車両取材をするが、とにかく寒さが辛かった。
車両取材している中で面白いものを見かけた。
キハ85系特急「南紀」の正面スカートにマットが貼り付けられている。



後で調べて分かったのだが、これは熊や鹿との衝突対策として設置された、
スポンジゴム製の衝撃緩和装置なのだそうである。
09:43多気始発の列車はキハ11-100番台+キハ11-300番台の2両編成が充当されていた。
終点は紀勢本線JR東海の終点である新宮である。
途中、紀伊長島で28分間の停車時間があり、駅取材する。
駅の入口には「笑門」と書かれた札のある注連縄が飾られていた。



木札の「笑門」には次のような逸話がある。

 素戔嗚尊が宿に困っていると貧しいが心の優しい蘇民将来が自分の家に泊めて手厚くもてなした。
 この善行に感激した素戔嗚尊は「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、
 芽の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ」と言い残した。
 それ以来、疫病が流行った時も蘇民の子孫は芽の輪のおかげで災いから免れて繁栄したという。

この芽の輪が現在の注連縄となり、厄除けの意味で一年中飾っているのである。
因みに「笑門」とは「蘇民将来子孫家門」の略であるが、
平将門への連想を嫌って「将門」を「笑門」にしたと伝えられている。
3時間37分の長旅で新宮に行き、13:20に漸く新宮に到着した。
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