≪ 2018・5・28 掲載記事 ≫
なあんだあ?
ケイコ・フジモリ? 名前、記憶あるような、無いような・・・・・。
いやね。南米ペルーの国内政治事情を書く記事じゃないんです。
ちなみに、記事にある、2年前の選挙。ケイコ・フジモリ。負けました。しかし、父のフジモリの釈放を求め続け、子ども達の政治力,
おとろえることなく、ついに今年の1月。
現在、大統領を勤めているクチンスキーによる、政治力との水面下の駆け引きの末の産物で、なぜか、フジモリは「恩赦」を受けて、釈放されちゃった。
ソレに反発し、国内各地で、デモが頻発した。
すでに、79歳もの老齢。
ところが、すぐさま。今年の2月。今から26年前に、農民6人を殺害した容疑で、当時の政権の部下22人とともに、裁判にかけるように、命令された。
政治の悪しき取引で、今後の展開は分からないが、現在のところ、再び、収監はされていない・・・・ようだ、
で、本筋に入る。
そのフジモリを、夫の三浦朱門が存命中に、自宅離れに3か月もの間、かくまっていた曽野綾子が、本日5月28日。
「徹子の部屋」に出演。収録は、事前に行なわれたものだが、86歳にしては、元気そのもの。
すっかり、おだやかで、良いヒトを、意識して、短気な性格を押さえ、演じていながらも、ポロリ。
「私、根性も悪いですから」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう。その通り。
わたし、そのものにブチ当たったんもんで。
ま、古い記事ですが、お読み戴ければ、と。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
《 2016・6・6 掲載記事 》
もっか、開票中。
じっくり、もっさもっさとパソコンに向かい合って、打ち込んでいるせいで、ヘタをすると、選挙結果が「正式に」発表されたあとに成るかも知れない。
「正式に」というのは、ペルーという国の選挙結果が、たびたび今まで票操作による不正が発表されてきた過去があるから。
ましてや、今回の決戦投票は、微妙な大接戦になりそうなので、充分にあとを引きそうだ。
さて、この記事で打つのは、その行方や評論などではない。
今回の選挙結果に大きな影響を及ぼしている、ケイコ・フジモリ(写真左下)の実父である、元大統領の「アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ」。日本名は、片岡謙也と、ケイコの母と離婚したのちに再婚した片岡という女性の姓を名乗っている。
そんな男が日本へと国外逃亡及び亡命をした。そのとき、かくまった曽野綾子の、私が体験した素顔を書く。
フジモリが現職大統領の当時、母国にもあたる日本にたびたび来ていた。
そこで、抜本的組織改革を求められ、「日本船舶振興会」当時の笹川良一色を一掃させるべく、新たに名前を変えさせた「日本財団」の会長職に就いていた曽野綾子と面談。
曽野の判断で、ペルーに小学校を建設したり。保健所を建設するなどの資金を提供。フジモリ喜び、すっかり懇意となった経緯がある。
で、ペルー国内で、かねてよりフジモリは強権政治を断行。天敵、政敵、多数。
今から14年半前の、2001年11月。危機を感じたフジモリは、国外へ脱出、亡命。
日本に来て、頼ったのが、上記、曽野綾子。
曽野。自宅の離れに、フジモリをかくまい、国内外に波紋を呼んだ。
3か月、ソコにいたフジモリは、その後、チリへと亡命。
なんだかんだの末、逮捕、拘留の末、身柄をペルーへと送られ、ついには最高裁で「禁固25年」の実刑が確定(写真左下)。
すっかり老いを見せ、現在も77歳の身ながら、刑務所に収監中だ。
政治的裁判であっただけに、でっち上げられた罪もあったが、不正を働き、私腹を肥やし、極め付きの悪人顔の「桝添ゼニゲバ要一」並みに、国民多数の反感をかっていたのも、また事実。
それだけに、一部の国民が危惧しているのは、父親の手法に似た政治手腕を持つ、長女のケイコ・フジモリが、もし当選したら、真っ先に父親の恩赦・釈放をやってのけるのではないか!?ということ。
わたしが曽野綾子(その あやこ。写真左下)に遭遇したのは、自宅の離れに身をひそめて、ペルーの司直の手を逃れていたフジモリがチリに逃亡した頃。
この写真のように、「徹子の部屋」にあでやかな着物をお召しになってお出になるなど、出たがりながら、おだやかな人柄に見えていた。
出会ったのは、上野公園の手前。
ところが!
---なぜ、フジモリ大統領を自宅にかくまったのですか?
その問いを放ったとたん! 表情は一変! みるみる眉はつりあがり、さながら鬼面。
「あなた、なにをお聞きしたいの!!」
「そんなことは、わたしが書いたものを読めば、分かることよ! 読みもしないで、聞くなんて失礼よ!」
こと政治的主張の激しさ、偏向ぶりは知っていたが、素顔もコレかい!?と、いささかビビった。
「あのねえ、教えてあげる! いい!?」
思わず、バッグの中に入れていたテープレコーダーの録音スィッチを押した。
まあ、早口で、まくしたてた、まくしたてた!!
鬼のような顔。理路整然では無く、もろ、全篇感情的。
一気に畳み掛けるように激を飛ばして、「わたし、急いでいるの!」と言い捨てて足早に去った。
あ、あ、あっけにとられた。
たまたま、虫の居所が悪かったのかなあ? わたしの、お聞きの仕方が、気に障ったのか、お気に召さなかったのかなあ?
記事にすることも無く、しばらくの後のこと。
「日本財団」のパーティがあり、一ファンとして出席。
競艇選手の年間勝利を祝う集いのなか、曽野が辞任したのち、再び会長職に就いた笹川陽平が、グラス片手にニコニコしながら、全国の地方の、いわば支社長たちを呼んで懇談。
それをすぐそばで聞いていた。
笹川サイドによれば、曽野が就任時、全国各地に点在する競艇場を巡り、いろいろ、アツレキを呼んだとのこと。
「いやあ、曽野がさあ、かなり無理難題をまくし立てていたんだって? 大変だったろう? あの勢いで罵倒されたんじゃ、たまらんだろ? なあ?」
「はい。まあ、なあ・・」と、同意しつつも苦笑いを、ほぼ全員が浮かべていた。
---そんなに、すごかったんですか?
「まあ、曽野のばあさん、怒ったらすごいからねえ・・・・」
「改革っていうか、変えたいという気持ちは分からないでもないんだけどねえ」
「呼びつけられて、ああ、頭ごなしに言われたら、もうねえ・・・・。亡くなられた笹川良一会長の時代から、我々が頑張って、苦労して積み上げてきた過去のいきさつも知らないで、キツイ命令口調でまくしたてるもんだからさ。あれじゃあ誰だって、聞く耳、持たなく成るよねえ」
ああ・・・・・・なるほどなあ・・・・・。
私の聞き方が、悪いわけではなく、曽野綾子の性格にいささか難ありか・・・・・。
曽野綾子、すでに84歳。老いて、少しは人間的に丸くなっていれば幸いなのだが。
今日、この雌雄を決する戦い。眉つり上げて、注目してるんだろうなあ・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪ 2021・6・8 追記 ≫
またも、父譲りの、ケイコ・フジモリ
選挙、接戦中
ケイコ、支持、51パーセント
相手候補、49パーセント
予断を許さない、接戦中と、外電
んんん・・・・・
ちなみに、その曽野綾子
ただ今、89歳と9か月にて、存命中です