1「屍」:私はオスマントルコ皇帝の細密画工房の名人絵師〈優美〉。私は殺された。
2「カラ」:私はカラ。男36歳。細密画の絵師。12年ぶりにイスタンブールに帰還。かつてシェキュレに恋し、シェキュレの父から細密画工房を追放された。シェキュレの父は「おじ上」と呼ばれ、細密画工房の実質的トップだった。今、「おじ上」は皇帝ムラト3世(位1574-95)から秘密の装飾写本を作る密命を帯びていた。それは西欧式画法で描かれ、ヴェネツイア総督に送ることになっていた。だが〈優美〉はそれを異端とみなし、秘密を公にし、装飾写本の計画を頓挫させようとした。それを知った絵師の一人が、〈優美〉を殺した。〈優美〉にそんなことをさせれば、細密画工房の絵師全体が異端とされ迫害・処刑されるかもしれないからだ。
3「犬」:珈琲店で噺家が犬の絵の話をする。珈琲は、「異端的飲み物で、神を理解する理性を破壊する」として、イスラム教の原理主義教団エルズルム派から攻撃されていた。噺家はエルズルム派を揶揄した。
4「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:細密画絵師〈優美〉を殺した絵師が誰か?これが小説で以下、推理される。
5「おじ上」:カラのおじ。シェキュレの父。皇帝の細密画工房の実質的トップ。かつてカラの母が死んだ時、少年のカラを弟子として取った。「おじ上」の娘シェキュレにカラ(24歳)が恋し「心中する」と言ったので、「おじ上」は激怒しカラを追放した。その後、シェキュレは騎兵と結婚し、子供二人、シェヴケト(長男)とオルハン(次男)をもうけた。騎兵の父は戦死した可能性が高い。(4年帰ってこない。)今回、「おじ上」は皇帝から命じられた秘密の装飾写本を手伝わせるため、カラを呼びもどした。「〈優美〉は殺されたかもしれない」と「おじ上」が言った。
6「オルハン」:シェキュレの次男で、カラになついている。
7「カラ」:皇帝の細密画工房のトップオスマン統領(92歳)に、カラは会った。
8、15、25、39「エステル」:ユダヤ街に住む行商人(女)で人々の手紙を運ぶ仕事(配達屋)もする。
9「シェキュレ」:義弟(夫の弟)ハサンの下心・恋文が面倒だ。
!0「木」:噺家が細密画の絵師から買った木の絵が珈琲店にある。(絵を市中で売れば絵師の収入源の一つとなる!)
11「カラ」:カラは追放され12年たった今も、シェキュレに恋する。
12「〈蝶〉」:細密画工房の名人絵師〈蝶〉。細密画に個性を主張するのは傲慢だ。
13「〈コウノトリ〉」:細密画工房の名人絵師〈コウノトリ〉。細密画は永遠を描く。
14「〈オリーブ〉」:細密画工房の名人絵師〈オリーブ〉。名人絵師は盲目になった時、神がご覧になるままの世界を見ることができる。神の情景を見る。あるいは「心やすらかな暗闇」、「何も書かれていない無窮の頁」を見る。(※実は〈優美〉殺しの下手人は〈オリーブ〉だ。)
16「シェキュレ」:騎兵の夫はもう4年帰ってこない。シャーフィー派の法官に頼めば、容易に夫と離婚させてくれる。
17「おじ上」:彼が言う。「〈優美〉殺しの下手人は名人絵師〈蝶〉〈コウノトリ〉〈オリーブ〉のうちの誰かだ。」「皇帝から命じられた秘密の装飾写本は完成させるつもりだ。」
18「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:私は、〈優美〉の中傷つまり「細密画工房は異端の集まりだ」から皆を守るため、〈優美〉を殺した。
19「金貨」:今、イスタンブールではヴェネツイアの偽金貨が出回っている。
20「カラ」:「おじ上」はヴェネツイアの西欧式肖像画を気に入っていた。イスラムの細密画は不変の伝統様式を守り画家の個性は出さないし、不完全な被造物(人間)の肖像画を描かない。だが皇帝は西欧式肖像画を描くよう「おじ上」に命じた。
21「おじ上」:彼は、皇帝から命じられた秘密の装飾写本の本文を、カラに書かせるつもりだ。
22「カラ」:シェキュレを手に入れるため、「おじ上」に命じられた通り秘密の装飾写本の本文を書くつもりだ。
23「わたしは人殺しと呼ばれる」(※人殺しは〈オリーブ〉!):〈優美〉がしゃべれば、細密画工房の絵師たちは無神論者の烙印を押される。「おじ上」は平気で異教徒の「遠近法」を用いる。私もシェキュレに恋している。
24「死」:西欧人の様式で描かれた死は、異端だ。
26「シェキュレ」:「法廷に行って、あなたを連れ戻す」と夫の義弟ハサンが伝えてきたと、シェキュレがカラに言った。
27「カラ」:「法官の決定で、寡婦になれる」とシェキュレから言われる。
28「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」(※人殺しは〈オリーブ〉!):「遠近法」の絵を見て〈優美〉殿は私たち絵師を異端と触れ回ったので、私は〈優美〉殿を殺した。
29「おじ上」:青銅の壺で殴られ「おじ上」は殺される。「おじ上」の秘密の装飾写本の最後の10枚目が盗まれる。そこには皇帝の西欧様式の肖像画が描かれるはずだった。(※下手人は〈オリーブ〉!)
30「シェキュレ」:カラと会っていたシェキュレが帰宅すると「おじ上」(シェキュレの父)は殺されていた。シェキュレは死体を片付け、病気だと偽った。
31「わたしの名は赤」:色彩の赤は血だけでなく花びらも。炎も描ける。色彩とは何者なのか?
32「シェキュレ」:シェキュレがカラに言った。「お父様が殺された。父の本の最後の挿絵(10枚目)を殺人者が盗んだ。」「私の《夫からの離婚》、また《カラと私の再婚》の法的手続きをシャーフィー派の法官に頼んで行って来てほしい。」
33「カラ」:離婚と再婚の法的手続きが済む。再婚の証人が必要なため、カラとシェキュレによる花嫁行列と再婚の宴会が行われる。(以上、上巻)
34、48「シェキュレ」:「新しいお父さん」(カラ)に次男オルハンがなつくが、長男シェヴケトがカラを嫌い、実父の弟ハサン(シェキュレの義弟)になつく。義弟ハサンが、カラに「お前がシェキュレと結婚したいため、おじ上を殺したのだろう」と言う。
35「馬」:馬の絵。犯人捜しの鍵となる。殺された〈優美〉が持っていた。
36「カラ」:「おじ上」(シェキュレの父)を病死だとして近所に知らせる。また宝物庫頭に、おじ上の9枚の絵(皇帝から命じられた秘密の装飾写本)を渡す。「10枚目は盗まれた」とカラが伝える。
37「わたしは諸君のおじ上」:死んだ「おじ上」の魂が言う。「東も西も、神のものだ。」つまりイスラム教にかなったトルコの細密画の伝統的様式も、西欧の様式も、ともに神のものだ。
38「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:皇帝の細密画工房の長であるオスマン棟梁が、宝物庫頭から言われる。「おじ上の死に皇帝陛下はお怒りになり、①書物を完成せよ、②「おじ上」を殺した者を拷問して殺せと、命じられた。」
40「カラ」:カラが近衛都督に呼び出され、「お前がおじ上を殺したのだろう」と頭を締め上げる拷問を受ける。その途中、突然、拷問が中断され「③三日以内に犯人を捜し出せ。皇帝が命じられた」とカラに言った。カラは解放された。近衛都督が付け加えた。「三日以内に犯人が捕まらない時は細密画工房の絵師全員を拷問にかける。」
41「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:彼が言う。「西欧の絵師の模倣は許しがたい。」Ex. 遠近法。Ex. 被造物に過ぎない人間の肖像画を描くこと。
42「カラ」:オスマン棟梁とカラが、〈優美〉の遺体に残されていた犯人の「馬の絵」を調べる。絵の馬の鼻が、モンゴル式に鼻柱が切られている。そこに突然皇帝が現れ、事情を説明され、「名人絵師3人に馬の絵を直ちに描かせよ」と命じる。
43「〈オリーブ〉」:近衛都督の部下が来て「皇帝陛下の命令だ。今、馬を描け。」と告げられる。(※実は、〈オリーブ〉が「おじ上」殺しの下手人だ。)
44「〈蝶〉」&45「〈コウノトリ〉」:彼らも、皇帝陛下の命令で馬を描かせられる。
46「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:(※実は人殺しは〈オリーブ〉だ。)彼が言う。「おじ上の手元に痕跡を残したのは失敗だった。」また彼が言う。「東と西を分けたのは悪魔だ。」
47「悪魔」:西洋の画法は悪魔のそそのかしだ。人間など、克明に写し取るほど重要な被造物でない。
49「カラ」:〈オリーブ〉〈蝶〉〈コウノトリ〉に描かせた馬の絵に、鼻柱が切られた馬はなかった。そこでオスマン名人が内廷の宝物庫を見たいと望む。「鼻柱が切られた馬」の絵を、誰が描いたか調べるためだ。皇帝が許可する。
50「二人の修道僧」:西洋人が描いた二人の修道僧の絵がある。
51「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:彼が言った。「あらゆる美は神のものだ。」「ベフザード(※orビフザード(1455?-1535)、イスラーム世界最高の細密画絵師とされるペルシア人ビフザード)は自分の眼をつぶした。」「ベフザードは自分の眼をつぶし、神のご覧になる世界を手に入れようとした。」そしてオスマン棟梁は針で自分の両眼をつぶした。
52「カラ」:「鼻柱が切られた馬の絵」を描いたのは〈オリーブ〉だとわかる。だが〈優美〉と「おじ上」を殺したのは動機的には〈コウノトリ〉ではないかとオスマン棟梁が言う。
53「エステル」:「シェキュレの前の夫が戦争から戻った」とのうわさ。シェキュレは、前夫の家、つまり義弟ハサンの家に戻る。だがそれはシェキュレの長男シュヴケトが、カラを嫌いなので勝手に言いふらしたのだった。ハサンはシェキュレを手に入れたいので、シュヴケトの嘘を利用した。カラが手勢を集めて棍棒や鉈をもちハサンの家を襲おうと詰め掛けた。次男のオルハンが自発的に扉を開け、シェキュレたちがハサンの家から出た。イスタンブールの街の珈琲店は原理主義教団エルズルム派に襲われ、噺家が殺された。
54「私は女」:シェキュレに惚れた妻子ある金持ちの男がいたという話。
55「〈蝶〉」&56「〈コウノトリ〉」:カラと〈蝶〉が一緒に、「おじ上」の10枚目の絵を探しに、〈コウノトリ〉の所に行く。
57「〈オリーブ〉」:「おじ上」は、皇帝陛下の細密画工房に西欧の様式が入ることを許した。私(〈オリーブ〉)は細密画の伝統的様式をずっと守って来た。
58「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:カラ、〈蝶〉、〈コウノトリ〉がやってきて、「〈優美〉と『おじ上』を殺したのはお前だろう」と私(〈オリーブ〉)を詰問した。私は言った。「〈優美〉が原理主義教団エルズルム派に密告する危険があった。彼は『皇帝が秘密に命じた装飾写本(10枚)は、西欧式の遠近法を使い、皇帝の西欧様式の肖像画を描き、異端だ』と密告するつもりだった。」そして「おじ上」は皇帝の信認が得られ細密画工房トップの地位が得られさえすれば、絵の様式が、西欧的でも伝統的でもどうでもよかった。私(〈オリーブ〉)は〈優美〉と「おじ上」を殺し、最も異端的な最後の10枚目も手に入れた。〈オリーブ〉は、細密画の絵師を求めるインドのアクバル帝(位1556-1605)のもとに逃げるつもりだ。また〈オリーブ〉はシェキュレに恋していたので、カラをナイフで刺し重傷を負わせ逃亡した。
59「シェキュレ」:下手人の〈オリーブ〉は、逃亡の直後、シェキュレ(「おじ上」の娘)の義弟ハサンに首を斬り落とされた。シェキュレの新しい夫カラは不具となり、その後26年生きた。(62歳死去。)
59-2 こうしてオスマントルコの細密画は終焉していった。トルコの細密画の源であるティムール朝の細密画は、かつて15世紀末、ヘラート政権の宮廷で最盛期に達した。(Ex. ベフザードorビフザード)ヘラートの細密画の絵師は時を止め、神の永遠を描いた。それは幸せの絵だった。西欧の画家は永遠を描かない。写実や個性的絵画は永遠を描けない。(以上、下巻)
《感想1》原理的には、なんらかの出来事(具体的事象・物・情念等)について描かれor書かれたもの、つまり記号・象徴・言葉は、「意味」をつまりイデアを指示する。イデアは、時を止め永遠である。原理的には、一切の「意味」(描かれor書かれたものとしての記号・象徴・言葉によって指示される)はイデアであり永遠だ。「出来事そのものの非永遠」と「《イデア=意味》の永遠」との対比。
《感想2》ただし、この議論は、『わたしの名は赤』が述べた対比、つまり「東洋の細密画の永遠」と「西欧の写実・個性の非永遠」との対比とは次元が異なる。
「ユースフを追いかけるズライハー」サアディー『果樹園』の挿絵より、ビフザード画(1488-89)