DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』:巨額小切手偽造詐欺事件の犯人・その父親・FBI捜査官の男同士の繊細な人間関係の物語!

2020-01-24 22:56:58 | 日記
※Catch Me If You Can(2002、米)監督スティーヴン・スピルバーグ

父親(クリストファー・ウォーケン)が破産し、両親が離婚。ショックを受けた16歳のフランク・アバグネイルJr.(レオナルド・ディカプリオ)は、家出しニューヨークへ。やがて彼はお金に困り“小切手詐欺”を思い付く。パイロットになりすまし、偽造小切手を切っては全米各地を豪遊。さらにFBIに追い詰められると、今度は医者に成りすます。そして16歳から21歳までの間に、世界26カ国で約400万ドルを詐欺する。彼は実在の詐欺師だ。FBIの捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)がフランク・アバグネイルJr.を長い追跡の後に逮捕する。

《感想1》母親は現実的で自己中心的。父親が破産するとすぐに他の金持ちの男に乗り換え、その子供も産み新しい幸せを手に入れる。
《感想2》フランク・アバグネイルJr.は父親思いだ。巨額小切手偽造詐欺で得た金を、破産した父親に渡そうとする。しかし父親は詐欺で得た金を受け取らない。だが父親はFBIに息子を売ったりもしない。フランクが逮捕される前に、父親は事故死する。
《感想3》FBI捜査官カール・ハンラティは、長い追跡劇の間にフランク・アバグネイルJr.と気心が知れて来る。ハンラティが、フランスの刑務所からフランクの身柄を無事引き取り、アメリカに移送する。さらにハンラティは、フランクの身柄引受人となり、小切手偽造事件の分析官としてフランクをFBIに雇用させる。
《感想4》フランク・アバグネイルJr.は刑期12年終了後も、小切手偽造事件の分析官を続ける。また彼は、偽造不可能な小切手を考案して銀行に提供、高額の報酬を得る。カール・ハランティとはずっと友人であり続ける。
《感想5》巨額小切手偽造詐欺事件の犯人・その父親・FBI捜査官の男同士の繊細な人間関係の物語だ。



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「雨ニモマケズ」宮澤賢治(1896-1933):法華経信者の6つの修行「六波羅蜜」実践の個人的心得だ!

2020-01-24 15:20:02 | 日記
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

《感想1》雨・風・雪・夏の暑さに「負けない」とは①体が丈夫であり、②精神的に「負けない」という意味だ。
《感想1-2》①体が丈夫でありたい。健康は最大の財産だ。(a)働ける、(b)医療費がかからない、(c)快適だ、(d)精神も呑気でありうる。(もちろん体が健康でなくても精神は健康でありうる。しかし大変だ。)健康のコントロールが大事だ。例えば体重管理してやけ食いしたりしない。毎日一定の距離を歩くようにするなど。
《感想1-3》②精神的に「負けない」のは大変だ。日常は心配事だらけだ。毎日が苦闘だ。人生は家康が言ったとおりだ。
《感想1-4》家康は言った。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」人生について家康が言う。人生はもともと「不自由」・「困窮」であり、「堪忍」が不可欠だ。これが「無事長久の基」だ。また人生では「負くること」もしばしばだ。負けた時は、事後にその理由をよく調べて将来に備えるべきだ。「人をせむる」ことは、状況に対処した自分の《選択の責任》を再点検しないことだ。将来のことを考えるなら、自分の選択の再点検が必要だ。

慾ハナク
決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

《感想2》実は「慾ハナク」では経済は発展しない。だが宮沢賢治は実業家でない立場(宗教家or教育家or技師)だったので「慾ハナク」と言った。
《感想2-2》もちろん(a) 「慾ハナク」は実業家にも大切だ。彼らも強欲、傲慢であってはならない。実業家(Ex. 株主・経営者・小企業主)は社会的責任を果たさなければならない。また(b)「慾ハナク」は社会関係をスムーズにする。これによって人との対立が減る。
《感想2-3》もちろんこの世は「欲」で動いている。物欲、出世欲、支配欲、金銭欲、性欲、名誉欲等々。「慾ハナク」は文字通りに欲が無いということでなく《足るを知る》ということだ。強欲、傲慢をひかえるべきということだ。
《感想2-4》ただし宮沢賢治の場合は、宗教家・教育家・技師だから、最小限の「欲」にとどめるよう自分に課した。彼は在家の出家者(法華経信者)の立場だ。
《感想2-5》「決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル」のでは、実はこの世で生きていけない。この世は生存共存、弱肉強食、また弱い者は馬鹿にされ搾取され騙される。戦わねば生きていけない。また強欲、傲慢な者も多い。彼らと戦わねばならない。もちろん《できることなら他者と共に楽しく幸せに生きていきたい》という気持ちの者も少なくない。
《感想2-6》宮沢賢治は1933 年亡くなる。(享年37歳)その日、彼は喀血し「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱題した。彼に父親が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、彼は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」、「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。彼は法華経信者だ。

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

《感想3》宮沢賢治は熱烈な在家法華経信者で、基本的に菜食主義だ。1914年(18歳)、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その中の「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受けた。この頃から彼は採食生活となる。
《感想3-2》宮沢賢治は、1918年徴兵検査を受けるが兵役免除。彼は体が弱かった。彼は長く生きられないと思っていた。この年「私の命もあと十五年はありません」と語る。
《感想3-3》彼の実家は商家であり、《金持ち》とみられていた。1915年(19歳)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で入学。卒業後、研究生となり1920年、農林学校研究生を卒業。助教授に推薦されたが辞退。1921年(25歳)、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の教諭となる。

野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

《感想4》1926年(30歳)、花巻農学校を依願退職。この退職の理由としては生徒に対し「農民になれ」と教えながら、自らが俸給生活を送っている点への葛藤があったと言われる。
《感想4-2》宮沢家の別宅を改造し独居自炊の生活を始め、羅須地人協会を設立。「新しい農村を建設する 花巻農学校を辞した宮沢先生」という岩手日報の記事もでた。これが社会主義教育と疑われ、花巻警察の聴取を受ける。彼は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」として農民芸術の実践を試みた。また肥料設計事務所を開設、無料で肥料計算の相談に応じた。出入りした青年たちはもっぱら「農民芸術学校」と自称した。1928年(32歳)、宮沢賢治は、健康を害し実家に戻って療養。
《感想3-4-3》羅須地人協会時代の自炊は極端な粗食だった。ご飯はまとめて炊いてザルに移して井戸の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。おかずは油揚げや漬物、トマトなどだった。彼は鶏卵も牛乳も拒否、亡くなるまで菜食主義だった。「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」と彼は言った。
《感想3-5》1931年(35歳)、東北砕石工場花巻出張所が開設。宮沢賢治はその技師となり、石灰岩とカリ肥料を加えた安価な合成肥料の販売を行う。彼は製品の改造、広告文の起草、製品の注文取り・販売などで東奔西走。上京し高熱で倒れ花巻にもどる。以後、実家で病臥生活。11月、手帳に『雨ニモマケズ』を書く。

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

《感想4》宮沢賢治は法華経信仰に生きる。病気の子供を看病し、疲れた老婦の稲束を背負い、最期を迎えた者には「コハガラナクテモイヽ」と言い、喧嘩や訴訟は「ツマラナイカラヤメロ」と言う。(Cf. 彼は小作争議に距離を置く。)
《感想4-2》「法華経」はお釈迦様が菩提樹の下で説いた教えで、人は誰でも平等に成仏できる、また動植物も大地も全ての生き物に「仏の心」があるする。「南無妙法蓮華経」は究極の真理「妙法」の教えで、「蓮華」とは泥水に生えながら美しい花・蓮華から名付けられた。
《感想4-3》法華経は人々の苦しみを和らげ、社会全体の幸せを願い、庶民が救われる事を説く。法華経信者は人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、困る人を助ける。こういう生き方をする人は皆、菩薩になれる。宮沢賢治は菩薩を目指した。
《感想4-4》法華経信者には6つの修行が「六波羅蜜」必要だ。①布施(執着を捨てて他人に施す)、②持戒(戒めにより正しい生活をする)、③忍辱(苦しみに耐え忍ぶ)、④精進(おごらない心を持つ)、⑤禅定(常に正しい道に向けて努力する)、⑥智慧(落ち着いた心で精神を集中する)。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は法華経信仰とりわけ「六波羅蜜」の具体化だ。

ヒド(デ)リノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

《感想5》宮沢賢治の父政次郎は、古着や流行遅れになった新古品を大量に仕入れ、店で小売・卸売していた。また株式投資でも成功し近隣に多くの小作地を所有した。宮沢家は当時地元花巻の金持ちだった。羅須地人協会について宮沢賢治がある草稿で述べる。「ある小ブルジョア」の長男が「空想的に農村を救わんとして奉職せる農学校を退き村にて掘立小屋を作り開墾に従う。借財によりて労農芸術学校を建てんという。父と争う。」
《感想6》宮沢賢治の作品は①世界主義的(Ex. エスペラント)だ。郷土(イーハトーブ、岩手県)への愛着があっても、軍国主義や民族主義的な要素がない。②1920年(24歳)の時に「国柱会」に入信。彼の社会的活動や自己犠牲的な思想がファシズム的風潮と親和性を持った。国柱会は田中智学創設の在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じる右派だ。国柱会の名称は、日蓮の三大請願の一つ「我日本の柱とならん」による。宮沢賢治は田中智学著『本化妙宗式目講義録』全5巻を読破、国柱会に入信した。③宮沢賢治の思想には、当時の社会主義思想(Ex. 親友の保阪嘉内)、ユートピア思想(Ex.「新しき村」武者小路実篤、「有島共生農場」有島武郎)、トルストイ・徳富蘆花の人道主義、「満州・王道楽土」(農本主義者・加藤完治、国柱会の石原莞爾)の影響もあった。④遺作『銀河鉄道の夜』はキリスト教的な救済信仰も取り上げた。
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①幻の「死んだ子」の年を数えてもしかたない!②今が「終わり」であり全てだ!②-2 死んだ過去が、また幻の過去が、今を方向付ける!③起きたことは「変えられない」!

2020-01-24 09:17:34 | 日記
(1)「死んだ子の年を数える」:今、何とかやっていけるならそれを受け入れよう。「死んだ子の年を数え」ても仕方ない。過去は幻だ。記憶の中にしかない。会った人々においても、過去は幻だ。だれもが幻の記憶しか持たない。「死んだ子」も幻だ。幻の「死んだ子」の年を数えてもしかたない。
(2)「終わりよければすべてよし」:「終わり」とは今のことだ。今が「終わり」であり全てだ。今のほかに、この世に何もない。
(2)-2 だが過去の習慣=知識が、今を方向付ける。死んだ過去が、また幻の過去が、今を方向付ける。過去はゾンビだ。ゾンビが現実を方向付ける。あるいは幻が現実のうちで力をふるう。
(3)過去に何があっても、それが良いことでも悪いことでも、それらは起きたことで、起きたことは「そのまま認めろ」と宇宙が言う。起きたことは「変えられない」と宇宙が言う。宇宙はそのようにできている。
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成功の条件:①情報、①-2 デジタル技術、①-3ネットワーク、①-4 同時代の出来事の知識&哲学・歴史・文学、②人との協同・つながり、③身体能力、④共感(Ex. 音楽・芸術&運動)

2020-01-24 08:28:32 | 日記
※この世の成功の条件:①情報(Ex. 金儲けの情報・学歴・国家資格・経験)、①-2 デジタル技術、①-3 情報を得るネットワーク、①-4 同時代の出来事の知識&哲学・歴史・文学、②人との協同・つながり、③身体能力、④人間としての共感(Ex. 音楽・芸術&運動)

この世で成功する条件は①情報だ。誰よりも情報で優ること。金儲けに情報は不可欠。学歴・国家資格とは知識を持つこと、経験とは情報の獲得。①-2また、このデジタル時代にデジタル技術を使いこなせることが不可欠だ。①-3 どんな業界で成功するにも多くの情報をさまざまな同業界・異業界の人々から集めことのできるネットワークが作られねばならない。①-4 同時代のあらゆる出来事について知り、またこれまでのあらゆる知識(Ex. 哲学・歴史・文学など教養)が成功には重要だ。②人との協同・つながりが重要だ。一人でできる範囲は限られている。優秀な人々と協同できることが不可欠だ。③身体能力が重要だ。人間は動物だ。身体的能力に優れることが生存競争の根本だ。Cf. タレント業では運動能力はとりわけ重要!④人とのコミュニケーションに当たって、音楽・アニメなど芸術は、国境を越えてさえ可能な人間としての共感を引き起こす。④-2また運動も人とのコミュニケーション(or共感)ツールだ。
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オルハン・パムク『わたしの名は赤』1988年:「東洋の細密画の永遠」と「西欧の写実・個性の非永遠」との対比!Cf. 「出来事そのものの非永遠」と「《イデア=意味》の永遠」との対比!

2020-01-20 17:25:47 | 日記
1「屍」:私はオスマントルコ皇帝の細密画工房の名人絵師〈優美〉。私は殺された。
2「カラ」:私はカラ。男36歳。細密画の絵師。12年ぶりにイスタンブールに帰還。かつてシェキュレに恋し、シェキュレの父から細密画工房を追放された。シェキュレの父は「おじ上」と呼ばれ、細密画工房の実質的トップだった。今、「おじ上」は皇帝ムラト3世(位1574-95)から秘密の装飾写本を作る密命を帯びていた。それは西欧式画法で描かれ、ヴェネツイア総督に送ることになっていた。だが〈優美〉はそれを異端とみなし、秘密を公にし、装飾写本の計画を頓挫させようとした。それを知った絵師の一人が、〈優美〉を殺した。〈優美〉にそんなことをさせれば、細密画工房の絵師全体が異端とされ迫害・処刑されるかもしれないからだ。
3「犬」:珈琲店で噺家が犬の絵の話をする。珈琲は、「異端的飲み物で、神を理解する理性を破壊する」として、イスラム教の原理主義教団エルズルム派から攻撃されていた。噺家はエルズルム派を揶揄した。
4「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:細密画絵師〈優美〉を殺した絵師が誰か?これが小説で以下、推理される。
5「おじ上」:カラのおじ。シェキュレの父。皇帝の細密画工房の実質的トップ。かつてカラの母が死んだ時、少年のカラを弟子として取った。「おじ上」の娘シェキュレにカラ(24歳)が恋し「心中する」と言ったので、「おじ上」は激怒しカラを追放した。その後、シェキュレは騎兵と結婚し、子供二人、シェヴケト(長男)とオルハン(次男)をもうけた。騎兵の父は戦死した可能性が高い。(4年帰ってこない。)今回、「おじ上」は皇帝から命じられた秘密の装飾写本を手伝わせるため、カラを呼びもどした。「〈優美〉は殺されたかもしれない」と「おじ上」が言った。
6「オルハン」:シェキュレの次男で、カラになついている。
7「カラ」:皇帝の細密画工房のトップオスマン統領(92歳)に、カラは会った。
8、15、25、39「エステル」:ユダヤ街に住む行商人(女)で人々の手紙を運ぶ仕事(配達屋)もする。
9「シェキュレ」:義弟(夫の弟)ハサンの下心・恋文が面倒だ。
!0「木」:噺家が細密画の絵師から買った木の絵が珈琲店にある。(絵を市中で売れば絵師の収入源の一つとなる!)
11「カラ」:カラは追放され12年たった今も、シェキュレに恋する。
12「〈蝶〉」:細密画工房の名人絵師〈蝶〉。細密画に個性を主張するのは傲慢だ。
13「〈コウノトリ〉」:細密画工房の名人絵師〈コウノトリ〉。細密画は永遠を描く。
14「〈オリーブ〉」:細密画工房の名人絵師〈オリーブ〉。名人絵師は盲目になった時、神がご覧になるままの世界を見ることができる。神の情景を見る。あるいは「心やすらかな暗闇」、「何も書かれていない無窮の頁」を見る。(※実は〈優美〉殺しの下手人は〈オリーブ〉だ。)
16「シェキュレ」:騎兵の夫はもう4年帰ってこない。シャーフィー派の法官に頼めば、容易に夫と離婚させてくれる。
17「おじ上」:彼が言う。「〈優美〉殺しの下手人は名人絵師〈蝶〉〈コウノトリ〉〈オリーブ〉のうちの誰かだ。」「皇帝から命じられた秘密の装飾写本は完成させるつもりだ。」
18「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:私は、〈優美〉の中傷つまり「細密画工房は異端の集まりだ」から皆を守るため、〈優美〉を殺した。
19「金貨」:今、イスタンブールではヴェネツイアの偽金貨が出回っている。
20「カラ」:「おじ上」はヴェネツイアの西欧式肖像画を気に入っていた。イスラムの細密画は不変の伝統様式を守り画家の個性は出さないし、不完全な被造物(人間)の肖像画を描かない。だが皇帝は西欧式肖像画を描くよう「おじ上」に命じた。
21「おじ上」:彼は、皇帝から命じられた秘密の装飾写本の本文を、カラに書かせるつもりだ。
22「カラ」:シェキュレを手に入れるため、「おじ上」に命じられた通り秘密の装飾写本の本文を書くつもりだ。
23「わたしは人殺しと呼ばれる」(※人殺しは〈オリーブ〉!):〈優美〉がしゃべれば、細密画工房の絵師たちは無神論者の烙印を押される。「おじ上」は平気で異教徒の「遠近法」を用いる。私もシェキュレに恋している。
24「死」:西欧人の様式で描かれた死は、異端だ。
26「シェキュレ」:「法廷に行って、あなたを連れ戻す」と夫の義弟ハサンが伝えてきたと、シェキュレがカラに言った。
27「カラ」:「法官の決定で、寡婦になれる」とシェキュレから言われる。
28「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」(※人殺しは〈オリーブ〉!):「遠近法」の絵を見て〈優美〉殿は私たち絵師を異端と触れ回ったので、私は〈優美〉殿を殺した。
29「おじ上」:青銅の壺で殴られ「おじ上」は殺される。「おじ上」の秘密の装飾写本の最後の10枚目が盗まれる。そこには皇帝の西欧様式の肖像画が描かれるはずだった。(※下手人は〈オリーブ〉!)
30「シェキュレ」:カラと会っていたシェキュレが帰宅すると「おじ上」(シェキュレの父)は殺されていた。シェキュレは死体を片付け、病気だと偽った。
31「わたしの名は赤」:色彩の赤は血だけでなく花びらも。炎も描ける。色彩とは何者なのか?
32「シェキュレ」:シェキュレがカラに言った。「お父様が殺された。父の本の最後の挿絵(10枚目)を殺人者が盗んだ。」「私の《夫からの離婚》、また《カラと私の再婚》の法的手続きをシャーフィー派の法官に頼んで行って来てほしい。」
33「カラ」:離婚と再婚の法的手続きが済む。再婚の証人が必要なため、カラとシェキュレによる花嫁行列と再婚の宴会が行われる。(以上、上巻)
34、48「シェキュレ」:「新しいお父さん」(カラ)に次男オルハンがなつくが、長男シェヴケトがカラを嫌い、実父の弟ハサン(シェキュレの義弟)になつく。義弟ハサンが、カラに「お前がシェキュレと結婚したいため、おじ上を殺したのだろう」と言う。
35「馬」:馬の絵。犯人捜しの鍵となる。殺された〈優美〉が持っていた。
36「カラ」:「おじ上」(シェキュレの父)を病死だとして近所に知らせる。また宝物庫頭に、おじ上の9枚の絵(皇帝から命じられた秘密の装飾写本)を渡す。「10枚目は盗まれた」とカラが伝える。
37「わたしは諸君のおじ上」:死んだ「おじ上」の魂が言う。「東も西も、神のものだ。」つまりイスラム教にかなったトルコの細密画の伝統的様式も、西欧の様式も、ともに神のものだ。
38「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:皇帝の細密画工房の長であるオスマン棟梁が、宝物庫頭から言われる。「おじ上の死に皇帝陛下はお怒りになり、①書物を完成せよ、②「おじ上」を殺した者を拷問して殺せと、命じられた。」
40「カラ」:カラが近衛都督に呼び出され、「お前がおじ上を殺したのだろう」と頭を締め上げる拷問を受ける。その途中、突然、拷問が中断され「③三日以内に犯人を捜し出せ。皇帝が命じられた」とカラに言った。カラは解放された。近衛都督が付け加えた。「三日以内に犯人が捕まらない時は細密画工房の絵師全員を拷問にかける。」
41「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:彼が言う。「西欧の絵師の模倣は許しがたい。」Ex. 遠近法。Ex. 被造物に過ぎない人間の肖像画を描くこと。
42「カラ」:オスマン棟梁とカラが、〈優美〉の遺体に残されていた犯人の「馬の絵」を調べる。絵の馬の鼻が、モンゴル式に鼻柱が切られている。そこに突然皇帝が現れ、事情を説明され、「名人絵師3人に馬の絵を直ちに描かせよ」と命じる。
43「〈オリーブ〉」:近衛都督の部下が来て「皇帝陛下の命令だ。今、馬を描け。」と告げられる。(※実は、〈オリーブ〉が「おじ上」殺しの下手人だ。)
44「〈蝶〉」&45「〈コウノトリ〉」:彼らも、皇帝陛下の命令で馬を描かせられる。
46「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:(※実は人殺しは〈オリーブ〉だ。)彼が言う。「おじ上の手元に痕跡を残したのは失敗だった。」また彼が言う。「東と西を分けたのは悪魔だ。」
47「悪魔」:西洋の画法は悪魔のそそのかしだ。人間など、克明に写し取るほど重要な被造物でない。
49「カラ」:〈オリーブ〉〈蝶〉〈コウノトリ〉に描かせた馬の絵に、鼻柱が切られた馬はなかった。そこでオスマン名人が内廷の宝物庫を見たいと望む。「鼻柱が切られた馬」の絵を、誰が描いたか調べるためだ。皇帝が許可する。
50「二人の修道僧」:西洋人が描いた二人の修道僧の絵がある。
51「名人オスマン(orオスマン棟梁)」:彼が言った。「あらゆる美は神のものだ。」「ベフザード(※orビフザード(1455?-1535)、イスラーム世界最高の細密画絵師とされるペルシア人ビフザード)は自分の眼をつぶした。」「ベフザードは自分の眼をつぶし、神のご覧になる世界を手に入れようとした。」そしてオスマン棟梁は針で自分の両眼をつぶした。
52「カラ」:「鼻柱が切られた馬の絵」を描いたのは〈オリーブ〉だとわかる。だが〈優美〉と「おじ上」を殺したのは動機的には〈コウノトリ〉ではないかとオスマン棟梁が言う。
53「エステル」:「シェキュレの前の夫が戦争から戻った」とのうわさ。シェキュレは、前夫の家、つまり義弟ハサンの家に戻る。だがそれはシェキュレの長男シュヴケトが、カラを嫌いなので勝手に言いふらしたのだった。ハサンはシェキュレを手に入れたいので、シュヴケトの嘘を利用した。カラが手勢を集めて棍棒や鉈をもちハサンの家を襲おうと詰め掛けた。次男のオルハンが自発的に扉を開け、シェキュレたちがハサンの家から出た。イスタンブールの街の珈琲店は原理主義教団エルズルム派に襲われ、噺家が殺された。
54「私は女」:シェキュレに惚れた妻子ある金持ちの男がいたという話。
55「〈蝶〉」&56「〈コウノトリ〉」:カラと〈蝶〉が一緒に、「おじ上」の10枚目の絵を探しに、〈コウノトリ〉の所に行く。
57「〈オリーブ〉」:「おじ上」は、皇帝陛下の細密画工房に西欧の様式が入ることを許した。私(〈オリーブ〉)は細密画の伝統的様式をずっと守って来た。
58「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」:カラ、〈蝶〉、〈コウノトリ〉がやってきて、「〈優美〉と『おじ上』を殺したのはお前だろう」と私(〈オリーブ〉)を詰問した。私は言った。「〈優美〉が原理主義教団エルズルム派に密告する危険があった。彼は『皇帝が秘密に命じた装飾写本(10枚)は、西欧式の遠近法を使い、皇帝の西欧様式の肖像画を描き、異端だ』と密告するつもりだった。」そして「おじ上」は皇帝の信認が得られ細密画工房トップの地位が得られさえすれば、絵の様式が、西欧的でも伝統的でもどうでもよかった。私(〈オリーブ〉)は〈優美〉と「おじ上」を殺し、最も異端的な最後の10枚目も手に入れた。〈オリーブ〉は、細密画の絵師を求めるインドのアクバル帝(位1556-1605)のもとに逃げるつもりだ。また〈オリーブ〉はシェキュレに恋していたので、カラをナイフで刺し重傷を負わせ逃亡した。
59「シェキュレ」:下手人の〈オリーブ〉は、逃亡の直後、シェキュレ(「おじ上」の娘)の義弟ハサンに首を斬り落とされた。シェキュレの新しい夫カラは不具となり、その後26年生きた。(62歳死去。)
59-2 こうしてオスマントルコの細密画は終焉していった。トルコの細密画の源であるティムール朝の細密画は、かつて15世紀末、ヘラート政権の宮廷で最盛期に達した。(Ex. ベフザードorビフザード)ヘラートの細密画の絵師は時を止め、神の永遠を描いた。それは幸せの絵だった。西欧の画家は永遠を描かない。写実や個性的絵画は永遠を描けない。(以上、下巻)

《感想1》原理的には、なんらかの出来事(具体的事象・物・情念等)について描かれor書かれたもの、つまり記号・象徴・言葉は、「意味」をつまりイデアを指示する。イデアは、時を止め永遠である。原理的には、一切の「意味」(描かれor書かれたものとしての記号・象徴・言葉によって指示される)はイデアであり永遠だ。「出来事そのものの非永遠」と「《イデア=意味》の永遠」との対比。
《感想2》ただし、この議論は、『わたしの名は赤』が述べた対比、つまり「東洋の細密画の永遠」と「西欧の写実・個性の非永遠」との対比とは次元が異なる。

「ユースフを追いかけるズライハー」サアディー『果樹園』の挿絵より、ビフザード画(1488-89)

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