DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

現存在は無性に浸透されている!現存在は、すでに負い目あるものだ!呼びかけの了解とは、良心を持とうとする意志のことである!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第2章」「第58節」

2020-01-09 22:33:04 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性」「第58節 呼びかけの了解(Anrufverstehen)と負い目(Schuld)」

(9)良心の呼び声が現存在に宣告する《負い目》は①《債務がある》、②《あることに責任がある》、①+②「罪を犯す」(法律侵害)、③《ほかの人びとに済まないことをする》、これらのいずれでもない!
N 「呼びかけは・・・・何も《告げ》ない。」「呼びかけは世間(das Man)の出来事について、いかなる情報も伝えない。」(280頁)
N-2 「良心の呼び声は現存在に《負い目》ありと宣告する。」(280頁)
N-3 「負い目」とはどういうことか?①「負い目」は「だれかに借りがある」ということではない。(281頁)②「負い目」は「《あることに責任がある》」(「なにごとかの原因なり発起者であること、またそれの《誘因であること》」)ということでもない。(282頁)
N-3 「負い目」は、①+②としての「罪を犯す」こと(法律侵害)でもない。(282頁)
N-4 ③「負い目」は、「《ほかの人びとに済まないことをする》」(相手の実存を危うくする、迷わす、破滅させる)ことでもない。(282頁)
N-5 ①②③は「《人倫的要求》を侵すこと」と言われるが、これらは「良心の呼び声が現存在に宣告する」《負い目》でない。(282-3頁)
(9)-2 現存在の存在としての「関心」は無性に浸透されている:(a)事実性(被投性)の無性、(b)実存(投企)の無性、(c)頽落の無性!&「現存在は現存在であるかぎり、すでに負い目あるものである」!
O 「関心そのものが、その本質において、底の底まで無性(Nigtigkeit)に浸透されている。」(285頁)
O-2 「現存在の存在は、関心である。関心のなかには(a)事実性(被投性)と(b)実存(投企)と(c)頽落とが含まれている。」(284頁)
O-3 (a)「現存在は――存在している間は――関心として、おのれの被投的事実をたえず存在している。」「現存在は・・・・おのれ自身の無性を存在する。無性とは・・・・現存在の・・・・被投性を構成している《ない》(※無性)を指している。」(284頁)すなわち「根拠存在の無性」!「被投性の構造のなかに・・・・無性がひそんでいる。」(285頁)
O-4 (b)「投企は・・・・それ自身本質的に無的である。」「現存在がおのれの実存的可能性へ向かって開かれている自由存在に属する。」「自由とはどこまでも一方の可能性を選択することにあり・・・・そのほかの可能性を選択しなかったこと・・・・に堪えていくことにある。」「投企の構造のなかに・・・・無性がひそんでいる。」(285頁)
O-5 「(a)被投性の構造のなかにも、(b)投企の構造のなかにも、ひとしく本質的に、ある無性がひそんでいる。」「そしてこれは、また、(c)現存在が事実的にはいつもすでに頽落として存在していることにおける非本来的現存在の無性の可能根拠である。」(285頁)
(9)-3 良心の呼び声が負い目あること(※現存在の無性)を告知する!
P 「関心をおのれの存在としている存在者は・・・・それの存在の根拠においてすでに負い目(※無性)をもって存在している。」(286頁)
P-2 「この負い目ある存在が、さしあたってたいていは開示されずにおり、現存在の頽落的存在によってとざされたままでいる」。(286頁)
P-3 「良心の呼び声が根本においてこの負い目あること(※現存在の無性)を告知する」。(286頁)
P-4 「現存在が――関心として――おのれの存在に関わらせられているかぎり、現存在はその無気味さ(Unheimlichkeit、《死へ臨むひとごとでない存在》Cf. 252頁)のなかから、事実的=頽落的な世間的=自己(faktish-verfallendes Man)としてのおのれ自身を、おのれの存在可能(Seinkönnen)へむかって呼び起こす。」(287頁)
P-5 「その呼びかけは、(ア)呼びだしつつ(イ)呼びもどす。」(ア)「呼びだす」というのは「現存在が、おのれが存在している被投的存在者を、みずから実存しつつ引き受ける可能性のなかへ呼びだすこと」である。(イ)「呼びもどす」というのは「被投性のなかへ呼びもどして、この被投性を実存のなかへ引きとるべき無的な根拠として了解させること」である。(287頁)
(9)-4 良心は選択されえない!選択されるのは、良心を持つことだ!すなわち、呼びかけを了解するとは、良心を持とうとする意志のことだ!
Q 「良心はもともと選択されえないものなのである。」「選択されるのは、良心を持つこと・・・・である。すなわち、呼びかけを了解することは、良心を持とうとする意志のことなのである。」(288頁)
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