※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性」「第60節 良心において臨証される本来的存在可能の実存論的構造」
(11)「現存在の存在様態としての良心の呼びかけ」における「現存在の開示態」は、①了解として《良心を持とうとする意志》、②心境として「不安」、③話の様態として「沈黙」である!
S 「《良心を持とうとする意志》は、ひとごとでないおのれの存在可能における自己了解であるから、現存在の開示態のひとつの様態である。」「この開示態は、了解のほかに、心境と話とによって構成されている。」(295頁)
S-2 「このような了解に対応する心境(情状性)」は「孤独化の無気味さ」であり「不安の心境」である。つまり「良心の不安」だ。(296頁)
S-3 「良心を持とうとする意志にふさわしい分節的な話の様態は沈黙である。」「良心を持とうとする意志は、この(※良心の呼び声の)黙示的な話を、ひとえに沈黙の中でのみ、適切に了解するのである。」
《感想11》ハイデガーは次のように述べている。視(Sicht)は、「現存在の明るみ(Lichtung)」とよぶべき内存在の開示態(※自己意識)のなかで初めて可能になる。(170頁)「①世間話(空談)(das Gerede)、②好奇心(die Neugier)、③曖昧さ(die Zweideutigkeit)は、現存在が日常的におのれの『現』を――世界内存在の開示態を――存在しているありさまの性格である。」(175頁)「現存在の開示態の存在は、心境(情状性)、了解(※意識性)および話において構成される。」(180頁)
《感想11-2》「共同現存在(※他我)と内存在そのもの(※自我)」(170頁)!
《感想11-2-2》「内存在」は「・・・・のもとに住まうこと」、「・・・・と親しんでいること」と規定される。(188頁)
《感想11-3》「いかなる心境(情状性)もその本質上、世界内存在の全容をそのすべての構成契機(世界、内存在、自己)にわたって開示するものである。」(190頁)
(11)-2 《良心を持とうとする意志》に含まれている開示態(※自己意識)としての「覚悟性」:「ひとごとでないおのれ自身の負い目ある存在へむかって③沈黙のうちに、②不安を辞せずに、①おのれを投企すること」!
T 「《良心を持とうとする意志》に含まれている開示態は、②不安の心境と、①ひとごとでない負い目ある存在へむかう自己投企としての了解と、③沈黙としての話とによって構成される。」(296-7頁)
T-2 「この際立った本来的な開示態(※自己意識)は、ひとごとでないおのれ自身の負い目ある存在へむかって、③沈黙のうちに、②不安を辞せずに、①おのれを投企することである。」この際立った開示態が「覚悟性」(Entschlossnheit)である。(297頁)
(11)「現存在の存在様態としての良心の呼びかけ」における「現存在の開示態」は、①了解として《良心を持とうとする意志》、②心境として「不安」、③話の様態として「沈黙」である!
S 「《良心を持とうとする意志》は、ひとごとでないおのれの存在可能における自己了解であるから、現存在の開示態のひとつの様態である。」「この開示態は、了解のほかに、心境と話とによって構成されている。」(295頁)
S-2 「このような了解に対応する心境(情状性)」は「孤独化の無気味さ」であり「不安の心境」である。つまり「良心の不安」だ。(296頁)
S-3 「良心を持とうとする意志にふさわしい分節的な話の様態は沈黙である。」「良心を持とうとする意志は、この(※良心の呼び声の)黙示的な話を、ひとえに沈黙の中でのみ、適切に了解するのである。」
《感想11》ハイデガーは次のように述べている。視(Sicht)は、「現存在の明るみ(Lichtung)」とよぶべき内存在の開示態(※自己意識)のなかで初めて可能になる。(170頁)「①世間話(空談)(das Gerede)、②好奇心(die Neugier)、③曖昧さ(die Zweideutigkeit)は、現存在が日常的におのれの『現』を――世界内存在の開示態を――存在しているありさまの性格である。」(175頁)「現存在の開示態の存在は、心境(情状性)、了解(※意識性)および話において構成される。」(180頁)
《感想11-2》「共同現存在(※他我)と内存在そのもの(※自我)」(170頁)!
《感想11-2-2》「内存在」は「・・・・のもとに住まうこと」、「・・・・と親しんでいること」と規定される。(188頁)
《感想11-3》「いかなる心境(情状性)もその本質上、世界内存在の全容をそのすべての構成契機(世界、内存在、自己)にわたって開示するものである。」(190頁)
(11)-2 《良心を持とうとする意志》に含まれている開示態(※自己意識)としての「覚悟性」:「ひとごとでないおのれ自身の負い目ある存在へむかって③沈黙のうちに、②不安を辞せずに、①おのれを投企すること」!
T 「《良心を持とうとする意志》に含まれている開示態は、②不安の心境と、①ひとごとでない負い目ある存在へむかう自己投企としての了解と、③沈黙としての話とによって構成される。」(296-7頁)
T-2 「この際立った本来的な開示態(※自己意識)は、ひとごとでないおのれ自身の負い目ある存在へむかって、③沈黙のうちに、②不安を辞せずに、①おのれを投企することである。」この際立った開示態が「覚悟性」(Entschlossnheit)である。(297頁)