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「先駆的覚悟性」にもとづき「既住的な実存可能性を本来的に反復すること」は、「現存在」が「おのれの英雄を選ぶこと」である!ハイデガー『存在と時間』「第1部」「第2編」「第5章」「第74節」(その3)

2020-04-23 15:17:55 | 日記
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第5章 時間性と歴史性」「第74節 歴史性の根本的構成」(その3)

(3)-6 「先駆的覚悟性」にもとづき「既住的(※過去的)な実存可能性を本来的に反復すること」は、「現存在」が「おのれの英雄を選ぶこと」である!
G 「おのれへ帰来しておのれを伝承的に付託する覚悟性は、伝えられて来た実存可能性の反復(おのれの取り返し)(Wiederholung)となる。ここでいう反復とは、明らかな自覚をもっておこなわれる伝承のことである。」(385頁)
G-2 「既住的(※過去的)な実存可能性を本来的に反復すること」は、すなわち「現存在がみずからおのれの英雄を選ぶこと」であり、これは「先駆的覚悟性にもとづく」。(385頁)

《感想3》ハイデガーは言う。「覚悟をもって被投性へ立ち帰って来ることのなかには、伝えられて来た可能性をみずから伝承するということが含まれている。」(383頁)
《感想4》ハイデガーは言う。「現存在は先駆において《おのれをふたたび取りもどし》て、ひとごとでない存在可能に直面させる。」「《このように本来的に既住(既在)(※過去)的に存在すること》を、われわれは《反復(Wiederholung)》となづける。」(339頁)Cf. なお了解における「非本来的既住性(既在性)(※過去)」が「忘却」(Vergessen)or「忘却性」(Vergessenheit)である。(339頁)
《感想5》ハイデガーは1927年の『存在と時間』で「英雄」を待望し、「個々人の運命」は「民族」の「共同運命」だと述べた。かくて1933年彼は「民族」主義者、「英雄」待望論者として、ナチスを礼賛し入党する。

(4)まとめ:「現存在の存在に歴史性がぞくしている」!(387頁)
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