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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(42)百田氏の誤り:①「排日土地法」(1913)と呼ぶのは誤り!②「排日移民法」(1924年)と呼ぶのも誤りだ!

2021-03-06 18:44:09 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大正から昭和へ」の章(149-234頁)  

(42)百田氏の誤り①:「排日土地法」(1913年)と呼ぶのは日本だけで、「日本人を特定する文言」は一切含まれていない!(172-175頁)
F百田尚樹『日本国紀』は、「アメリカ」は「1913年には排日土地法を成立させ、日本人の農地購入を禁止し・・・・」(百田343頁)と述べる。しかし、これは「カリフォルニア州」の州法で、「アメリカ」の連邦議会によって制定された法律でない。そして「排日土地法」と呼ぶのは日本だけで、正確には「市民権のない外国人の土地所有および3年以上の賃貸を禁止するカリフォルニアの法律」だ。「日本人を特定する文言はこの条文には一切含まれていない。」(浮世173-174頁)
 
(42)-2 百田氏の誤り②:「排日移民法」(1924年)と呼ぶのは誤りだ!日本人移民を狙って排斥する法ではない!
F-2 1924年に成立した「移民法」、別名「ジョンソン・リード法」は、「1890年を基準年として、その出身別移民数の2%以下に移民を制限する」ものだ。この法律は「日本人移民を狙って排斥する法ではなかった。」(浮世174頁)
F-2-2 かくて百田氏が「当時、アジアからの移民の大半が日本人であったので、実質的には日本を対象にしたものだった」(百田343頁)と言うが、誤りだ。この百田氏の表現はWikipedia「排日移民法」の項と同じだ。(浮世174頁)
F-2-3 「排日移民法」という呼び方は、「後に戦時中の反米プロパガンダによってつくられた理屈」にすぎない。(浮世174頁)

(42)-3 1900年代、移民制限に関し、アメリカは日本を「特別扱い」してくれていた!1920年代、アメリカ政府は共和党時代で日本に友好的だった!
F-2-4  1900年代、「もともと日本人は、アメリカの連邦移民帰化法の制限対象外だった。アジアの中で、欧米諸国と対等に交渉ができるという評価を得ていたからで、アメリカは日本を『特別扱い』してくれていた。」かくて「1907年から翌年にかけて林董(タダス)外務大臣と駐日大使オブライエンとの間で『紳士協定』が結ばれ、日本がアメリカへの移民を『自主的に規制する』という形にした。」(浮世173頁)
F-2-5  そもそもアメリカで、「新しい安価な労働力が入ってくると、自分たちの仕事が奪われる、という危機感を持つ人々が増え、移民を排斥する空気も生まれてきた。」(浮世172頁)
F-2-6 アメリカの移民制限の大きな流れを見れば、「中国人や朝鮮人が先に制限され、その後に日本人が制限されている。」(浮世174頁)
F-2-7 「1920年代のアメリカはハーディング(任1921-23)、クーリッジ(任1923-29)、フーバー(任1929-33)の共和党時代に入っており、政府は日本に友好的、しかし議会は政府に反対、という状況にあった。」「クーリッジ大統領は、移民法(1924年)は日本人を排斥することになり、従来の日本との協定に反する、と反対の表明もしている。」(浮世174頁)
F-2-8 「日本では移民法(1924年)成立時には反米感情が沸き上がるが、これは実はすぐに沈静する。」だが「1930年代に右翼・軍部などによってこの時のことが再度強調され、言わば蒸し返す形で『排日移民法』と連呼されるようになった。」(浮世175頁)
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