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住職の独り言

~ご縁に触れて~

お寺の月曜日

2008年05月05日 | Weblog
月曜日はお掃除の日なんです。

最近はお寺でほとんどの方がご法事をなさいます。
その他、雅楽教室・写経教室・役員会等々
それら行事も土・日に集中。

お寺の者にとっては、土日の法事や行事も
土日で終わりという訳ではなく、
次の方が清々しく過ごして頂ける状態にして
はじめて終わる訳であります。

座布団さん有り難う
畳さん有り難う
エアコンさん有り難う
建物さん有り難う

と、感謝しながら…
又、皆さんが清々しく過ごして頂く為に、
お掃除をし、最後にお香を焚いて、掃除終わり。

でも、掃除というのは掃除した私自身が清々しくなるですよね。

後生の一大事もそうだけど
その時になって慌てるのではなく
何時何があっても安心だという
日頃からの準備が大切…
これで何時お客さんが来られても安心です。
 合 掌
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弟子

2008年05月03日 | Weblog


禅宗の友達と一泊二日で旅行に行った時、
「こうして出歩いている時、何かあった時どうするの?」
と、聞いたら
「弟子が居るから大丈夫だよ」
えェ!弟子が居るんだ!

私の感覚として、
弟子というと落語家に住み込みの弟子がいるように、
お寺にも居るんだ!
本山なら分かるけど…すごいなァ…と思った。

しかし、よく聞いてみると、
息子さんだった!
でも、禅宗では息子であっても弟子なんですよね。

浄土真宗の場合は住職であっても、○○寺衆徒であり、
他宗では布教師で「師」かも知れないけれど、
浄土真宗では布教使。「使」なのであります。
僧侶も門徒も共に南無阿彌陀佛によって救われる、
御同朋・御同行であります。

~歎異抄~
親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼(とんでもないこと)のことなり。

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浄土真宗の本尊

2008年05月01日 | Weblog


浄土真宗の本尊は、
阿弥陀如来なんだけど、
正確に言うと、
南無阿弥陀仏なんですよね。

南無は大慈悲のはたらきを顕す言葉であり
当流にとっては
南無のない阿弥陀如来は美術品??

阿弥陀如来でもお姿は色々あります。

天真寺のご本尊はお木造の阿弥陀如来でありますが、
南無阿彌陀佛の立撮即行・大悲招喚勅命のお姿であり、
南無阿彌陀佛の救いの法を示したお姿であります。

阿弥陀如来が御成就下さった救いの法が
南無阿彌陀佛であります。

南無阿彌陀佛によって救われ、
凡夫が無上涅槃に到らせていただくんですね。


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