鎌倉の平山郁夫さんのアトリへへ行った折、招待券をもらったのでそれを使わせていただきました。
入り口を入ると受付と共に平山郁夫先生の作品集や小物のお土産コナー
いよいよ入場です。







亡くなる直前まで手がけていたシルクロード各地の街や、砂漠に生きる人々の営みを描いた作品は、平山さんのシルクロードへの思いが伝わってきます。
とくに、平山さんが好んで描いた「砂漠の舟」ともよばれるラクダは、シルクロードを行き交う隊商にとって、もっとも大切な交通手段でした。
平山郁夫が描き続けた砂漠を進むラクダの隊商は、東西文化交流の象徴であり、未知の国々、異なる文化や伝統、そして異国の人と人をつなぐ平和の象徴でもありました。





〈平山郁夫アトリエ再現コーナー〉
平山郁夫が生前アトリエで愛用していた絵筆、絵具、パレット、イーゼル、椅子などを展示しています。イーゼルの作品は、 2010年の春の院展に向けて、入退院を繰り返す中制作を進めていた未完の作品(遺作)です。
病室からの風景を描いています。
「夢 シルクロードを歩く」
平山美知子(平山郁夫シルクロ名誉館長)
私たちがシルクロードという言葉を知るようになったのは、いつ頃だったのでしょう。私の小学校、中学校の頃は西遊記の中の孫悟空の活躍が目立っていて、ご主人の三蔵法師のことはあとで知るようになりました。
平山と結婚して間もなく、平山が「ザイデンシュトラーセンて何かわかるか?」といいます。「何よ?」というと平山は得意顔で「ドイツの地理学者のリヒトホーフェンがいった言葉で、シルクロードのことだよ。」といいます。「シルクロードには普通の山や平地だけでなく、砂漠と言って砂の山や谷があって、馬などひずめの足だと砂にめり込んであるけないのだろうな、駱駝の足先は平たいから 、砂の上でも平気で長い間歩けるらしいよ。駱駝は力もちで、重い荷物をもって歩けるので、絹の布でもいろんな宝物を積んでゆけたのさ。だから駱駝は砂漠の舟といわれたのさ。駱駝の瘤は脂肪だけど水を飲まなくても水分になるんだろうな。」
結婚間もなく、一万円の月給で六畳一間のアパートに住んでいたころ、私たちのまだ見ぬ夢が際限なく拡がっていた日のことでした。ヨーロッパとアジアを結ぶ東西交通の道を本当に歩いたのは、それから20年後、昭和53(1978)年8~9月、第1回中国西域旅行の時でした。
※見応えのある美術館でした。機会がありましたら是非お立ち寄りください