【メッセージ文について】
「和顔愛語」とは、穏やかな表情と優しい言葉。
とても尊いあり方ですが、これを本当の意味で実行するのはなかなか難しいことです。
機嫌が悪いと無愛想になり、イライラすると他者を傷つける言葉さえ吐きかねません。
調子のいいおべんちゃらや二枚舌も、不実な心が顔を出しているだけです。
しかし、その一方で、道ばたで困っている人を見かけた時、打算とかではなく、優しい言葉が掛けられることがあるのも事実です。
それは、どこから来るのでしょう。
私の不実な心からは、ありえません。打算はもちろんのこと、「してあげた」という思いがおこり、お礼がないと腹立ちに変わることも不実のありようです。
そんな私たちに、阿弥陀さまのお慈悲が、はたらいてくださっているのです。
阿弥陀さまの智慧の光に触れた者は、身も心も柔軟になります。
阿弥陀さまのお慈悲に育てられ、私の不実な心の中に柔軟な心が芽生え、優しい言葉が発せられる身に育てられたのです。
くりすあきら君という少年の詩に、
ありがとうは、しあわせのあいさつです
ありがとうは、しあわせのあいさつです
(くりすあきら『ありがとうのてがみ』)とありました。
「ありがとう」と言われたら幸せな気持ちになれますし、「ありがとう」が言えるのは、その人が幸せだからです。
「和顔愛語」も、幸せの挨拶です。阿弥陀さまのお慈悲に出遇った幸せのおすそ分けを伝えてまいりましょう。
(西本願寺)