King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

はっきりしろよ

2011年11月13日 09時45分34秒 | 日々のこと
先日、テレビに山本太郎さんが出るというので
干されているという彼がどうしたのかと
思い見てみました。

デキビジというBSの番組で、見ている人が
一部の人だけという要素もあり、特殊なとこで
特殊な事をやるというどうでもいいことの
ようですが、日本では大勢に沿うというもの
とはぐれているところを見てみようと思いました。

BSというのは見ている人は少ないのですが、
最近みているとなんでもあるというか、多角的な
見方が出来る番組に富んでいるという感じもします。

作る側も挑戦している感じがあります。

昔の深夜放送の様に黎明期の斬新さと訴えるもの、
考えさせるものがあります。

BBCのドキュメントやトップギアなどお気に入り
です。

トップギアなどただの馬鹿番組とも見れますが、
原発の危機やら震災後のCMも流れないような時に
たまたま見つけてその時のほっとした思いで見て
からずっと見続けています。

これなんかも、普通に地上波でやっていたらみない
かもしれません。

それとあの地震がなければずっと見続けなかった
かもしれません。

デキビジも旬な人と対談が聞けて普通の局では
やらないきわどい話題もあります。

今回は原発問題で過激発言により、仕事を干されている
といわれている山本太郎さんと勝間和代さんが一対一で対談
しました。

山本太郎さんの早口でかみ合わないもの言いと政府に
対する不信感は、正常な人の発言というよりもう
考えがどっかに行っちゃった人の様に引きつった
顔と共にまともなかみ合った話は聞けませんでした。

実際、東電の補償がどうなっているのか、多くの人が
住む所をなくして、人生設計どころで無い状況に追い込まれ
途方に暮れているのに政府も東電をどうするかや被災地
の復興など具体的な方策も実際に行われている支援も
どう動いているのか、除染はどう進められるのか、
まるで解らないのです。

山本太郎さんが言っていた唯一まともな事は、原発を
止めなければならないのに、政府方針の転換とか
見直しを決めず、原発の輸出を海外で発表したり、
増税公約も海外でしたりという政府のやり方批判
です。

はっきりと原発停止とストレステストを打ち出した
菅直人さんは震災対応のまずさを原因に交代を告げられ
ました。

そういうはっきりとした行動をすると交代させられ
てしまうのか野田首相のように何も決めず、決めても
はっきりと堂々と表明してはいけないのが日本なの
でしょうか。

TPP参加も反対派に言わせれば、参加でなくて事前
協議参加に止まってくれてよかったと喜んでいます。

新聞全紙がTPP参加を表明と報じているのにとる人に
より、そんなに参加していないようにもとれる発表の
仕方だったようです。

そういう何を言っているのか何がしたいのか解らないのが
日本流だというのでしょうか。

でもそれが、海外でも通用するでしょうか。

ちゃんと選挙で選ばれた人というのはやはり応援して
くれた人それぞれにいい顔をしないといけないので
結局公務員の人件費削減も役所の改革も公約どおり
進んでいません。

寄せ集めの党だから党内をまとめて、さらにねじれ国会
で野党との協議もしないと何も決められないということで、
あちこちの顔をたてているうちに何をどうしたいのか
という事になってしまうのでしょう。

でも、それでは本末転倒でこういうときだからこそ強い
リーダーシップとしっかりとした行動指針が必要なの
ではないでしょうか。

国民の為という本来の志が保たれていれば誰も口を
出せないはずで、やはりどこかに有利にとか既得権とか
守ろうとするものが伺えるから何も改革できず、ぐず
ぐずと何も決められずにやっていくしかないのではと
思えます。

すっきりしないこの状況は当分続きそうです。
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1 コメント

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intelligentsia (noga)
2011-11-13 11:21:01
英米人の脳裏には、現実の世界があると同時に、非現実の世界観 (world view) がある。

現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。

真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。

現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。

日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。

英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。

考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。

物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。

究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。

国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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