King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

飲み物は

2013年04月11日 11時39分44秒 | 日々のこと
もはやいまではないことですが、以前私のところに来る人に
何を飲むか聞くと水という答えがいつのころからか増えて
いました。

お茶や水はただというのが日本の相場です。

健康を気にする人が増えて水を要求するようになったのは
間違いありませんが、自販機にも水が入るようになり、
水道水とは別の水を普通に飲む人も増えているのも
何かおかしな感じです。

うちではミネラルウォーターを買っていた時期もあり
ましたが、今では全部水道水です。

浄水器に通してはいますが、秩父の水はわざわざ買う
海外のミネラルウォーターに劣っているようにも思えません。

でも、この水を出すというのが、昔仏壇や神棚に上げていた
行為をお客にしているようでなぜか滑稽に感じるようにも
感じていました。

今では珈琲を商売にしているので、水をわざわざ注文したり
わざわざ白湯で結構などという人は皆無ですが、末期の水
という仏教国ならではの風習で、何はともあれ喉の渇きを
癒すために水を差しだすというのがサービス業において最高の
もてなし法なのでしょう。

先日、湯沢で食事した時に当店の水は水道水ですとわざわざ
書かれていて、さらに湯沢は水道からおいしい水が出るのですと
書かれていて新鮮な感じがしました。

同様な書き込みがかつて秩父の道の駅でもあったのです。

自然の豊かさを誇るために水道水までもうまいという当たり前の
ことをいまさら言う必要があるのです。

お店でもそうなのでしょうか。

私は逆に違和感を抱きます。

よく聞く、おいしいお店という言葉とか本物の何々が食べられる
という褒め言葉はちっともほめていないように感じるのです。

特にネットでそういう褒め方をされている店がことごとくうまくない
経験をしているので、もしはじめていく店がそんな店なら避けるように
しています。

水がおいしい、空気がうまいなどと日本で言われるようになった時期から
何かがおかしくなった感じがします。

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