King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

朝はコロンビア

2019年04月08日 09時12分09秒 | 珈琲

毎年感じる秩父の桜滅亡化状況です。

それは芝桜の盛況の陰で進んでいる桜の木の減少が進んでいて

それについて行政は何の関心もないかのような放置状態で寂しい思いを

毎年しているのです。昨年の市役所新築で桜があまりに粗末にされ隅っこに追いやられ

さらにその現象に拍車がかかった感じがしましたが、これはソメイヨシノという品種の

宿命とそのケアに全く関心がないかのような現行政の心の貧しさから来ていると思います。

 

市役所周辺の秩父公園はそれはきれいな桜の名所でした。それに加えて当店の上の羊山も

桜の名所でどちらも市民の桜の宴を重要な地点でした。それを芝桜で観光客に売り渡し

市民の憩いの地より観光にシフトしたかのような形態で今まであった桜の木は芝桜植栽地へのアクセスのために

痛めつけられ数を減らしました。さらに羊山の上も毎年桜の宴のために夜提灯が点けられますが、いまや誰も夜に

桜の宴などする人はおらず、桜の木も粗末に扱われ木の途中から切られていたり枝なども無様に切られています。

 

木もまばらになり、かつては芝生のところもコンクリートブロック敷きになり余計木には悪影響を与えたようで

桜に元気はありません。

 

芝桜には毎年手間と費用が掛けられいますが、桜は年々勢いを失い、寿命が近づき何らかの策が必要なのに

このまま人々の関心の薄さの中その姿がさらに薄くしていくようです。

 

そんな思いの中、今朝は新しい豆コロンビアでモーニング珈琲をいただきました。

 

このウィラという一番コーヒー豆生産が盛んな地で栽培され他所でも使われているカサブランカという

名がついています。

そんなこともあり、あまり期待もしていませんでしたが、味は予想を裏切るものでした。

コンビアの珈琲というとまず思い出すのは紅茶のように赤い色と透明なその抽出液の色です。

そしてその香りは花のように芳しく香りすーと入ってきます。

この珈琲の特長はスペシャルティらしくそのカップ一杯にストーリーがあり、一口目二口目と

味が変わり、ドラマが広がります。圧巻はカップの中間からくる甘みの強さです。

そのじんわりとした甘みにここで気が付くいたというように重なり積み重なった味が急に思い出した

かのようなああ甘いんだと気が付く感じに感じられその心地よさに浸りフィニッシュまで続き、後は

飲み口の良さと後味の続く余韻がまた心地よく長く香りとともに蘇ります。

 

決して強い印象もガツンとした飲み心地や珈琲を飲んでいるんだという主張もなく、紅茶や新茶の

甘みの強い淹れたての物を含んだような柔らかく広がる飲み口がまさにコロンビアの特長のマイルド

珈琲の味であり喜びです。

 

こういう珈琲を味わうとアメリカンの逸話を思い出します。

 

日本の喫茶店には昔と言ってもそんな遠くない過去にアメリカンというメニューがありました。

私の友人から聞いた話ではアメリカ単身赴任やアメリカ出張の多い彼の仲間と喫茶店に行くと

彼らが注文するがアメリカンでその時に発するのがおいお湯を入れんなよというものだというのです。

最初それを聞いたとき何を言っているのか解らなかったのですが私が珈琲業界に入りその意味するところが

良く解りました。

 

アメリカンという喫茶店のメニューは高度経済成長時代グローバル化が進み、企業の海外進出も盛んで

ビジネスマンは頻繁に米に行っていたわけですが、その時に珈琲を飲む習慣も増え、日本の喫茶店も

彼らの舌の肥えた人々に応えるかのようにアメリカンというのを考え出したのですが、店主側では

米ではどんな珈琲を飲まれているか知らないため、苦くない珈琲という事でお湯で割ったコーヒーを

出したのです。

 

つまり、当時から米では珈琲産地に近く新鮮でおいしい珈琲に接していて日本のようにただ黒くて苦い

液体でない珈琲を知りそれを日本でも要求したのです。

 

時代は移り、日本でもスペシャルティの豆が味わえるようになり、アメリカンというメニューもなくなり

ました。ただ、まだ日本の喫茶店では胸焼けのするようなコーヒーが出続けているというのは残念でなりません。


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