King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

日々の精度

2020年01月13日 09時42分50秒 | 珈琲

まだ色々と整わない日々ですが、家と心を通わすというような

ことをやっているようで日々進化しているような感じもします。

 

それと同時に、自分の精度というか自分が今まで培ってきたものが

鈍っていないのかという危惧も感じたりしています。

 

膨大な本やら溜まった展覧会の図録などを並べてふと思うのは最近は

この図録を買っていないなあということとそもそも展覧会もしばらく

行っていないということです。それはとにかく最近はどの展覧会も

ものすごい人込みで落ち着いて絵を見る雰囲気ではないことや特に

もはや目新しいものもなくなってきていることに思い至ります。

 

そもそもなぜこんな図録に満ちたコレクションを形成するに至ったのか

というのは並べた本や図録からピンときました。

 

これはバブル期に日本に名画がたくさんやってきて時代が時代なら信長とか

秀吉のような世の権力者が集めて一部の人の目にしか触れられなかったお宝が

今では世界の名画や名品がわずかな入場料で目にすることができるという事態に

これは見に行かなければというので、出かけたことと、かつてはミーハーな行動は

慎み、だれもが出かけるようなところにはあえていかないという方針から死ぬ前に

有名観光地など日本を代表する風景など足を運んでおかなければという方針返還を

した時と重なり、いろいろなところに足を運び、それは丁度失われた10年とか20年と

いいあらわされるようになり、日本が頂点から下り坂になり、人口も減り始め

世の中では日本の文化にあこがれて世界中から人々が押し寄せていると喧伝されては

いるものの実際凋落は日々感じるようになり、それはなぜどうして起きたのかと考えると

どうしても近代日本の成り立ちというものが気になり、近代史、さらには戦国時代と

歴史を振り返りだした時期と重なっています。

 

そして、それをしたのは私だけでなく、戦後日本にあり多くの日本人はどうして

という思いから時代を振り返り、多くの時代小説家が現れたのです。これは

戦国時代の武将が勇猛果敢で小説の題材として重宝したという簡単な理由で

なく、司馬遼太郎など残している言葉からも明らかです。

 

このように自分の持ち物や残したものから自分の考えなどがたやすくたどれると

膨大なものの整理などしているとわかるのですが、そうするとまた私以外から見れば

ただのごみの山もまたおいそれとは捨てる気になれずに押し入れの奥などに積み重ね

られたりしていくのです。

 

移転してから訪れる常連さんの反応もそんな当店の状況を見て発せられる言葉も

様々でまた楽しい感じです。前と変わらないねという人がいたかと思えば、今度は

前より素敵ですと何度もほめてくれたりと人それぞれ反応が違うのが楽しいところ

です。

 

前よりはるかに見つけやすくなったし説明しやすくなったので迷わずに来店された

かと思うと皆一発ではたどり着けずに電話をいただいたり、窓からうろうろとする

姿が見えたりとしています。

 

見つけたとばかり駐車場に頭から突っ込む方がほとんどですが、これは是非とも

駐車場はバックにて入場をお勧めしております。それは帰りの安全のためですが、

可能な限り誘導しますが、当店の前の道に出るのに見通しがいいとは言いづらい

状況ですので来店の際はバック入場をお勧めいたします。

 

 


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